富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月十四日(月)快晴続く。早晩に石Kip尾に赴く。地下鉄で旺角と九龍塘の間に位置する站ながら降り立つは余も初。五十年代には大陸からの被災民押し寄せこの一帯にバラック小屋建て住まい五三年に大火あり五万人焼け出され民生など放任政策であった当時の政庁も所謂「難民住宅」建造しその後公団住宅の整備された一帯。站の上蓋の一帯は老朽化せし公団住宅の立替工事の真っ最中。南山邨といふ団地(写真最左)の南豐楼にある嘉湖といふ店(写真)で予約した粽を受取り。もともと早茶の店ながら粽が評判で今年も廿二日の端午節に向け繁盛。予約せねば買えぬほど。初めてのこの土地に散歩。南山邨に隣接の小高い丘の上に石Kip尾警察署あり。市街より不便な場所にて恐らくは今でこそ整備されし石Kip尾公園の一角ながら当時の難民バラックの群れを思えば警察署がそのバラック群見渡すこの丘陵に位置せしことも想像に易し。石?尾站に盲人多しと思えば香港盲人中心といふ大規模な施設あり。閉館の映画館あり南昌戯院といふ(写真)。石Kip尾の最も古い公団住宅(石Kip尾上邨)はすでに取り壊し大規模な建造工事すでに始まる。下邨の古いタイプの公団住宅も取り壊し待つのみ(写真、31号棟、26・27号棟の写真は着色)。南昌街より北に獅子山望む。この方角だと正に獅子の頭がこちらを向き眉間を射すほど(写真最右)。近くに食したきもの多かれど九龍某所に薮用あり時間なし。帰宅して四方田犬彦編『男たちの絆、アジア映画』平凡社読む。米国の文学者セジウィック女史の『男同士の絆-英文学とホモソーシャルな欲望』名古屋大学出版会01に触発されたアジア映画論。Homo-socialityとはHomo-sexualityとは異なり(寧ろ同性愛性はそこでは禁忌)これは「(男女を問わず)同性同士の(異性)排除的な絆を専らとし異性をその絆の強化確認のために利用するシステム」のこと。四方田先生はこのホモソーシャルが八十年代のオリエンタリズムや九十年代のジェンダーの如くこれから流布され用いられる概念といふ(今さら、で多少疑問あり)。四方田先生は赤木圭一郎宍戸錠の『拳銃無頼帖』を題材に日本映画のこのホモソーシャル性を取上げるのだが、続く斎藤綾子の「高倉健の曖昧な肉体」といふ文章にも言えることだが「今さら」でなくともかなり認識されてきたこの「組」だの男社会でのホモソーシャル性であり、高倉健といふ俳優については究極は結局「男の理想像としての健さんが姐サンであった」といふ不条理の一言に尽きるのではなかろうが(当然、この本では其処までの言及はないが)。四方田の文章ではこの赤木&錠の関係よりも藤村有弘といふ今でも余り評価されぬ俳優がこの拳銃無頼帖にて演じた謎の中国人の役柄についての指摘であり「日本人の男性同士がホモソーシャリティをより強固なものとして構築するために他者として必要とされた人物」と藤村の役割を指摘し「ホモソーシャリティが見えないところで民族差別を前提とし藤村有弘を犠牲とすることで成立している」と述べていることが最も興味深し。四方田も其処まで言及せぬがこのホモソーシャリティを強固なものにするための藤村有弘(といふかなり個性豊かな俳優)の排除が、よく知られていることだが藤村が同性愛者であることを思えば、四方田が最初に述べた「ホモセクシュアリティを排除することで成立するホモソーシャリティ」といふ概念に合致するもの。ところで四方田は藤村の系譜は「現在のタモリにまで続いて」おり日本映画における非日本人の役柄を演じる俳優として藤村を小沢昭一と並び最も重要な俳優としている。今でも記憶に残るは日テレで土曜日夜に放映されていたタモリの「今夜は最高」なる番組に藤村有弘が亡くなる数年前だろうか、に出演し、タモリもいつにもなく高揚を見せ、二人で似せ外国語で会話する巧妙ぶりなど今でも耳に残るもの。タモリの四カ国語麻雀などタモリも認める通り藤村の系譜であり、藤村がBCL(短波放送聴取)のかなり専門的な趣味を有し其処で得た外語のニュアンスであることなど披露。この本では他に漱石から鈴木清順に至るホモフォビアの近代、レスリー張國榮の『覇王別姫』取上げた論、また香港映画のヤクザ警察モノ論(『男たちの挽歌』から『無間道』まで)などアジア映画のホモソーシャル性を丁寧に分析。だがすでに映画のなかで観衆は感じている、恐らくは伝統的な社会にホモソーシャル性があったからだろうが、そういう観念のためこの本を読んで「今さら」なるほど、といふ程の感想もなし。
▼すでに綴っていた日剰用の文章をば削除してしまふ失態あり。以下、翌日に思い出すも能わぬ老化ゆへの健忘。確か綴ったは築地のH君より土曜日にNHKの衛星だかで海老蔵襲名の特番あり山川静夫加藤武海老蔵を語るのだが話はすぐに六代目だの先代の中村吉右衛門だの、十五代目羽左衛門にまで遡り、当然、海老蔵で祖父十一代目團十郎に話は至り、あの助六のくわんべら門兵衛は誰だった、仙平は誰だった、いやぁ彼はよかった、実によかった……といふ昔話となり、思い出したように海老蔵の話に戻り更に思い出したように海老蔵の此処は、彼処は父(團十郎)に似ている、と。團十郎といふ人、この十一代目とそれに瓜二つと称される期待された息子に挟まれるが、それを悪くとらず、穏やかに見据えること出来るのがこの團十郎といふ人の柄。新之助君の隠し子騒動の時の團十郎の歴然とした様など実にこの人の柄の大きさ。……以下、いくつか綴りおきし話あれど一切思い出せもせず。

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