富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月十三日(日)海南島のほうに台風上陸とか、風が雲散らしたか雲一つなき快晴。朝早く起きて久々に裏山より大譚の自然公園まで上り(写真)貯水池、引水路道を走り抜け南岸の海岸まで一路9キロほど九十分にて至る。海岸にてジュネ『泥棒日記』の頁開くが快晴も神の悪戯か微睡みも易く数頁も読めず。昼に麦酒飲み午後も微睡み続き。午後遅く灣仔。ジム。Z嬢と落合い別なジムの入会手続。今のジムは五年ほど前に三年分会費毎払いすれば二年無料だか二年で三年無料だったかで入会し後一年ほど会籍ある筈でここ数年無料感覚続き自宅に近い別のジムが特恵料金提示したので入会といふ訳。帰宅して枝豆で恵比寿麦酒。鮪の中落丼。久が原の朗然亭君よりメールあり昨日の余が永平寺にて貫首のお出ましに伴僧が「お出ましになられますから合掌でもつてお迎へください」との敬語表現がおかしいと綴った件につき臨済に近縁のT君曰く余の存念尤もいえど「實は伴僧は「身内」に非ず信者と同樣貫首の弟子」であり「この場合やはり敬語を使はざるべからず候」と。「禪家の室内は徹頭徹尾師僧に絶對服從、共産・ヤクザとさして變はらざるは寧ろ當然」で「而して禪は宗教」「室内の修煉を情慾海中の衆生濟度に用ゐるこそ目的なれ室内の門弟以外に室内の作法は強要せず」と教示あり。十一歳での入門が永平寺ジャニーズ事務所か、については「只違ふは何十年修行なすとても自己以外の他者の役に立つ捨石たるべきか否か、この一事」であり「禪者窮極の目的は他者の爲の捨石たることに極まり」と。昨日の放映内容見ても感じたが余も多少なりとも若き頃にこの宗派の僧に知古を得、内情につき仄聞も知りし者として仏門にしては体育会的、人脈(といへば聞えいいがコネ)だの資金力だの自民党代議士の地盤、鞄、看板ぢゃないが厳格は筈の禅宗にしては些か気になるところもあり。T君の指摘通りテレビ局が宗派の「淺き處を撫づるのみ」で「作家を介せずばドキュメント取材なすこと能はず情けなき限りに候」との指摘。御意。雑誌『世界』七月号での慶応義塾教授・金子勝教授の発言(「無責任」と「不安」のスパイラル)溜飲下がる思いで読む。日本のリスクに関する鈍感さ、「いつ暴漢に襲われるかわからない」といふ不安からセキュリティ意識高めても実は交通事故に遭う危険性の方が高く、石原慎太郎に象徴される外国人増=犯罪増も、そもそも徹底した入国管制にて犯罪歴のある外国籍人士だの入国できぬわけで前科なき者がなぜ日本で犯罪を犯すのか、移民政策に公正なルールが欠けているのではないか、北朝鮮にしても「ミサイルが飛んでくる」といふ不安が真しやかに語られ、不安が煽られ「夜道で暴漢に襲われるかもしれないから」の不安感から憲法を変え国防を強化しなければならない、といふ幼稚でだが低き民度にはわかり易い言説が行交ふ、この無責任なる体制で、結局は漠然とした不安が政治的資源として利用され、至るところに監視カメラ設置の監視社会、警察国家化するのだが、警察がいれば安全といふ発想は、金子教授曰く、百円ライター買うと「対人賠償責任保険付」とシールが張ってあるが、もし本当にライターが爆発したら誰もそのライターの製造会社だの保険番号など覚えていないのと同じ(保険に入っていること=警察がいることが何となく不安感の解消になるだけ)と(笑)。お見事。この号の『世界』の特集「犯罪不安社会ニッポン」は必読に値する充実した内容。社会不安で監視カメラ設置に九割の国民が賛成する現実だが、実際には犯罪社会がいかに演出されたものであるか、都市の犯罪が都市内部でなく(監視カメラの設置された都市の繁華街でなく)「郊外」に発生することがいかにこの廿年の都市化に問題があったかといふこと、など興味深き指摘多し。

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