富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月初四(金)快晴。早晩にジム。旧知のO氏新嘉坡より来港にてO氏と知古のM君誘ひ二更にFCCにて食し鼎談。M君誘ひFCCのジャズ酒場に参る。M君早々に退く。モルトLaphroaigをダブル。S君の姿見かけるとS君酒場の隅の此方に歩み寄り「ここに荷物置いていいか?」と。当然の如く余と酒の一杯でも酌むのかと思えば荷物置いて友人らの陣に戻りこちらには参りもせず。余はクローク、下足番に非ず。ただ呆れるばかり。帰宅の途につけば乗ったタクシーの走行の目前にバスが、二階建ての大型バスがバス停発してとんでもない暴走運転にて車線変更しタクシーと危うく事故となるほどの運転ぶり。たかだか路線バスに時速八十公里は無用、キチガイに刃物とはまさにこれ。世の中理解できぬことばかり。テキシの車中にて思ふは少なくとも余が他人に招飲だの親交深めるなどの気遣い不要。何も得るものなし。ただ独り自らを律し我が心地よく如何に過すかに専念すべきことが最良と覚悟し荷風先生の昭和に入ってからの隠遁の意味しみじみと汲むばかり。
▼立法会議員にて中国民主運動の支聯會副主席なる李卓人氏外国人記者倶楽部での講演にて曰く、香港は何も過激なる主張しているわけでなし一国両制での規定の範囲にて民主主義、基本法にて明文化された行政長官選挙での普通選挙実施等を期しているだけで、それに対して中国政府の過敏反応こそ香港に不信感擁かせるもの。今晩の六四追悼集会については中国のなかで香港が唯一六四の民主運動の追悼できる地域としてこの維持すべき。中国政府が何故にこの香港の主張に対し過敏になるのか、勿論一党独裁の政権ゆへ乍ら異常なる過敏さにもっと余裕もつことも大切。ちなみに89年の天安門事件での逸話として李氏述べるは当時北京での民主化運動の学生支援のために香港にて集めた援助金持参した李氏は六月五日に北京空港にて公安の身柄拘束に遭い三日後に北京政府への始末書と引替えに身柄拘束解かれたが援助金実に150万香港ドル約二千三百万円を北京政府に押収され、その預り書もつゆへにいつの日か北京政府より還付あるか、と。
チベットについて。第14世ダライ・ラマ法王に次ぐ地位にある第11世パンチェン・ラマは先代が中国との関係のなかで波乱の人生送ったが第14世ダライ・ラマが指名した当代は今もって中国政府により軟禁状態にあり中国政府は別の、謂わば傀儡のパンチェン・ラマ擁立しチベット側に対抗。この中国政府の選んだ第11世(写真)が中国国内にて積極的に政府寄りの立場で宗教活動。
▼UP系列の『亜州週刊』誌の報道だそうだが、中共江沢民君の指示により党幹部用に89天安門事件に関する三時間モノの記録片VCD制作。内容は天安門事件の経過、党政府文書や関係者証言で、意図は党の責任の明確化。学生鎮圧については実際の責任を楊白冰(鎮圧には否定的であったとされる楊尚昆将軍の弟で当時の解放軍総政治部主任、のちに中央政治局委員)に負わせ登βの指示はなく、天安門といへば敵視される李鵬戒厳令の決定をしたものの鎮圧での直接責任を排除し、結局は江沢民ら現在の主流派に至る連中は政治責任なきことの党公式見解としての明確化。歴史に名をどう残すかのこと。こういった動きが、何時までも六四鎮圧につきあれを学生の国家転覆暴動であり中共の鎮圧の罪を否定することできる筈もなく、党の信頼回復に向け党としての政治的決着を見込んでの作業の一環か。江沢民君にしれみれば完全な引退のための最後の作業が六四での自らの立場の明確化により後世に汚名残さぬこと。それだけ。
自民党憲法改正部会での憲法改正案に前文の中で「行きすぎた利己主義的風潮を戒める内容を盛り込む」と朝日の報道にあり(こちら)。自民党代議士の知力の低さに呆れるばかり。憲法とは国家経営に対しての国家法であり国民の権利を国家が保障することあっても国民の権利の制限や儒家の如き道徳を説くものに非ず。それが解らぬとはバカ以外の何ものでもなし。中共一党独裁専制の中国ですら憲法にて「中華人民共和國公民有言論、出版、集會、結社、游行、示威的自由。」(第35条)と謳っているのが事実。実際に其の自由など一切ないのだが憲法ゆへ国民の権利を謳ふ。憲法にて国民の徳の修養を求めるバカな国家が何処にあろうか。だがその粗忽なる代議士選ぶのは国民。国民の民度の低さなり。憲法にて利己主義的風潮戒めて利己主義的風潮なくなるわけなかろうが。寧ろ国家公民が為に無私の精神にて公に尽くすべき代議士諸君が利権だの権益だのと利己主義的風潮あり。其れを戒めることそこ国民の利己主義的風潮の憂慮より優先されるべきではなかろうか。

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