富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五月廿三日(日)快晴にてZ嬢の発案でT氏夫妻誘い大嶼山。中環より快速船で梅窩。銀湾邨の団地より古塔(写真)残る鹿地塘の集落抜け南山古道に介り緑一面の南山の休憩地(写真) より南大嶼郊遊径を7kmほど歩く。新緑目に蒼く暑さ酷くも二東山、大東山の丘陵より幾條も流れ落ちる渓流に涼風も心地よし。伯公峠に出でバスで長沙下村まで下り海岸に面したThe Stoepなる南アフリカ料理屋(写真)に食す。砂浜の木陰に寛ぎ素朴な料理に肉も野菜も香ばしく葡萄酒二本空け夕方まで憩ふ。バスで梅窩に戻り夕方遅い快速船で中環に戻る。風呂に半身浴し池波正太郎『男の作法』十数年ぶりで読む。余も老いて今では知らぬことより池波先生の言説とて「果してそうか」と思う点もいくつかあり先生の饒舌ぶりが「キミ、僕はね」と聞えて多少耳障り。荷風先生日剰昭和十五年読む。一月初四の記述に「午後食料品を求めむとて日本橋大黒屋に行く。道すがら電車の窗より新年の町を見るに松屋松坂屋高島屋白木屋 ……」とあり麻布からの道すがらならやはり松坂屋松屋高島屋白木屋と書いてほしいなどとどうでもいいこと気になるが、もっと気になるのは例えば「根岸笹の雪側の横町に馬場といふ家私娼の周旋宿なりと云ふ」とか例えば麻布××町の私娼米坂イネといった具体的な記述あり、これを日剰を偶然に読んだ者が米坂イネが実は自分の祖母であったりとか根岸の笹の雪といへば豆腐料理の老舗、その横町に今でも馬場さんが住んでいた場合、自分の家が戦前私娼家であったと知ったりとか、そういう不具合などないものか、と余計なことばかり気になり日剰読むもちっとも先に進まず。

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