富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月晦日(水)雨。Z嬢とバスでビクトリアピーク。濃霧(写真)。Cafe Decoなる料理屋で昼食。ピークのGalleriaなる商店街の中にあり香港市街一望する展望レストランは「常識的には避ける」場所だが唯霊先生がここの羊肉料理絶賛しZ嬢のAsian Milesのマイレージの余数未だあり此処がマイレージで食事可のため。子供連れの母達多く大騒ぎとなり閉口するが場所柄観光レストランであるとともにピークに住まわれる方々にとっては近所のすかいらーく的大衆食堂か。観光客と近所の有閑主婦とガキ、それに接待関係でわざわざ此処まで来てビジネスランチの方々といふ不思議な空間。運慶作の如き頬高丸顔の坊主頭のアジア人顔含む客接待の「いかにも」香港政府そこそこの高官といふ八名卓ありその坊主何処かで見た顔と思えば確かWHOの免疫専家の日系研究者、話の節々からやはりその筋のウイルス関係者の接待昼餉。昼から血税で八人で葡萄酒二本空けてビフテキたらふく食す様子見て牛食は問題ないと理解。食前酒に注文したBloody Maryのタバスコ製のグラス可愛らし(写真)。確かにグリル料理はそこそこの味。但し食事終わらぬうちに珈琲供されその珈琲が見た目ばかりで味も香りもなく飲めぬ代物、デザートのメレンゲも食すに価せず。デザート食しにピークトラムで中環まで下りようかと思えばトラム站にやたらマスコミ取材多くMadam Tussaudの蝋人形館が入場券売り場まで増設しており何事かと思えばZ嬢が撮影記者に聞けば明日が芸人張國榮君逝去から一年の命日で今日この蝋人形館にレスリー哥哥の蝋人形が展示開始だとか。でそのレスリーのファン参観に訪れるを取材するの図。ピークトラムに乗り込みZ嬢にその話聞き「またレスリーの蝋人形が夜中に歩いただの参観に訪れた愛人・唐兄が蝋人形の前に企ったら蝋人形が涙流しただの夜中に歩くだけならいいけど展望台から身を投げたりしてね」などと軽口弾いていたら一つ前の座席にレスリーファンと思わしき日本人女性二人あり。聞こえてでいただろう、失礼……。ちなみに明日の午後遅くには哥哥投身自殺現場であるMandarin Oriental Hotelにて追悼会あり明後日は日本から来港の哥哥ファンの熱望により香港観光協会通じ香港電台に働きかけ日本では公開されておらぬ『我家的女人』だの禁煙キャンペーン映像『煙飛煙滅』、それに別途未公開映画『沙之城』と『女人33』の特別上映が電影資料館でされるとか。凄まじき追悼の念。閑話休題香港公園散歩。先日羅大佑のコンサートに客演の呉俊霖=五佰& China Blueの「涙橋」のCD購ひに金鐘Pacific Place香港レコオドに立ち寄り「涙橋」の他ホロヴィッツの1928年より44年のRCAに於ける初期録音盤「若き日のホロヴィッツ」及びLPはかなり所有するがCD一枚もなきBud Powellの“The Defenitive”の計三枚。Z嬢はピングーのVCD二枚購入。帰宅途中に近くのジム倶楽部施設見学。施設ぢたいは広いが中途半端、中身は老人倶楽部の如し。帰宅。夕刻にスタルカの火酒飲む。タバスコ社の通販で所望のグラス等注文。日本蕎麦茹でて食す。冷酒。ところで隣宅の話。昨日は土地審裁處の職員隣宅の鉄扉に書類貼り付けたが今晩もまた現れ今晩は書類を鉄扉横の壁に貼り付けて立ち去る。隣宅内には住人居り居留守決め込み職員去った後恐る恐る扉開け余は張り紙さっと剥がして終わりかと思えば何やら難儀し何かと思へば昨日は四隅セロテープで貼っただけだが今晩の書類は裏全面が粘着質の「シール」タイプで剥がすに難儀。こうなると次回は更にエスカレートかと住居人でない余も乱歩先生の世界の如く扉穴鏡より覘きつつ邪推するばかり。たまった新聞読み整理して『噂の真相』休刊別冊残っていた編集長日記読み了。
▼久が原のT君より長谷の鎌倉文學館訪れた歸途夕刻圓覺寺訪ねれば山内から向かひの東慶寺裏に懸けて打ち續く山々には山櫻の木多く白色やら淡紅やらとりどりの花盛り參詣人も去つた寺内閑寂豁然として響くは折々電車の遠音と鳴き頻る鶯の聲、と。確かにこの瞬間こそT君の「よくぞ日本に」と思ふたを遠き南の此の地にあってもつくづく感じ入る。美しい日本。だが世間は一向に美しからず。
朝日新聞に天聲人語の筆者論説委員小池民男君より同・高橋郁男君に明日交代とあり。吉報。小池君の粗忽なるは今さら言ふ迄もなし。何といつても〇二年十二月十二日の天聲人語にて和歌山毒入りカレー事件の裁判取り上げ被告の名用ひて「眞實は須らく美しい」なる文法的にも誤る迷言は今以て忘るゝに能わず。
▼昨日日剩に綴りし東京都での教員處分につき朝日社説でも取り上げるが記事は社會面にベタ記事のみ。一面トップは筋弛劑裁判と六本木ヒルズの廻轉ドア事故。この東京都の處分の方がよりconstitutionalに重大な問題だと思ふがさふ思ふことぢたいキョービは「偏向」らしいのは讀賣の社説は甲子園でもW杯でも「日の丸を振る若者が目立つた」のは「國旗や國歌に對する自然な態度が育つてゐる」からで「學校だけが社會の意識とかけ離れてゐる」のを「當たり前の姿に戻すべきである」と。讀賣相變はらず頭惡し。甲子園では國歌齊唱で規律せずとも處分されずW杯は日本チームの應援の象徴として日の丸君が代が用ゐられたゞけのこと。それを自然として逆に處分だの監視が徹底されるゲシュタボ東京都下の學校での式典を同一に扱ふことの矛盾。讀賣新聞といふのは一人一人の記者はかなり良識的であるしマトモなのだが(記者個人の資質としては朝日よか好感もてる記者少なからず)讀賣といふ組織となるとゞうしやうもないのは非常に日本的(笑)。産經新聞産經抄の暴論期待したが今日はなく明日に期待(笑)、ベタ記事で「生徒が起立しなかつたり式場に入らなかつたりした學校が一部にあり都教委は原因を調査してゐる」と言ふがこの原因こそ個人の思想信條の自由。それに對する權力の介入。都教委の結論は最初から見え見えで「生徒起立せぬは偏向した教員の惡い影響」だらうか。