富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月三十日(火)曇。銅鑼灣のElizabeth Houseに赴く。香港IDカードのICチップ埋め込まれた新型カードの受領。このカードあきらかに技術設計的に難あり。IC部分が露出しており摩耗や瑕で個人情報管理に最も重要な部分が破損容易なこと(快挙)。かつてはこういったICチップ露骨なるカードも散見されたが現在の技術ではOctopus Cardの如くIC部分は埋め込むのが常識iちなみにこのOctopusはソニー製だそうな)。なぜ露出型かといへば受取窓口で嗤ったのだが今どきカードを「ガッチャン」と読み取り機に差し込みチップ部分より情報読み出す作法(つまりアナログレコードに針乗せるようなもの)。これではますますICチップ部分の摩耗激しく疲労度著しい筈(天晴)。なぜIC埋め込みで情報読み取りもセンサーに翳すだけの作法(Octopus Cardの如し)にできなかったのか。ここが政府と民間との感性の差か。立川『競馬のない日は……』読了。立川末広氏が取上げた本の一冊にBurchard von Oettingen著『馬産の理論と実績』といふ書あり。百年前の「古典」で邦訳は大正年間と第二次大戦中に続き三度目は(全訳は初)馬事文化財団よりの出版だがすでに絶版だろうか。興味ある書物なのは立川氏の引用だけでも英国のエプソム競馬場のコースの分析など「なるほど」と唸る内容だが気になったのは立川氏が「それにしても、と小生は驚くのである。著者は名前からわかるようにドイツ人である。それが一〇〇年前に異国の文化である競馬についてこれほどの大著を著した情熱は何だったのだろう……」といふ感想。ドイツでどれだけ馬の歴史があり文化があるのか余は知らぬがドイツ人にとって(それも十九世紀なら)英国文化といふのは英国王室とて現ウィンザー系がドイツ系なほどでけっして日本人が考えるほどの異国文化でない筈。ましてや言葉の問題など殆どないのだから日本と琉球より違和感はないかも。まぁそれはいいとして久々に肩の凝らぬ随筆読んだ感あり。昏時に最近に珍しき大雨となり驟雨かと思へばさに非ず風豪く雷鳴轟く。晩に隣宅の扉敲く者あり扉鏡より覘けば役人然としたる男隣宅の鐵扉に書類貼付け記録にデジカメにて撮影して去る。何かと思ひて見れば土地審裁處なる司法機關の裁定で此の物件の所有權巡り裁判あり原告の訴へ通り被告(現住者)に四月八日迄の立ち退き命令なり。一昨年だか舊前の住人去り須臾空き家續き不動産屋が借り手だか買ひ手連れて來るが續いたが突然現住人家族引つ越して來て當初奇妙に思つたは居住後も須臾は不動産屋が客連れて參つては住み人ある事知り驚く始末。狹い家に大家族で晝に仕事に行くでもなき老夫婦らは徹夜麻雀の連續も餘に幸ひは全く靜かな麻雀でパイ雜ぜる音すら餘り氣にならず。たゞ昨年より老婆の發狂の如き錯亂續きけして老惚でもなく何か口論あつての事かと察す。亦た氣の毒は此の家の三四歳ほどの幼兒にて何かといへば親や祖母に呶鳴られ家によく置いてきぼりにされ何か歪んだ家族と餘も兢々とてゐたが此の司法機關よりの文書張り出され相手の勝訴と明記され退去命令では眞逆此の家族に上訴せる程の事由も餘裕もあると思へず何れにせよ立ち退いて呉るゝであらん事喜びに絶えず。 深夜になつても雨歇まず。『噂の真相休刊記念別冊追悼!噂の真相』読む。様々な記念企画並ぶなか「噂の真相が断念したスクープネタ“最後の公開”」なる特集あり巻頭が「小泉総理のツメ切れなかったスキャンダル」とあり、やはり小泉三世は国政導けぬどころか爪も満足に切れぬのか……きっと公設秘書である姉が純一郎君の爪も切ってあげているのか、と思ったものの最後の公開のスクープそれも首相ネタとしてはちと弱いと思ったら「詰め切れなかったスクープ」であることを須臾して理解(笑)。噂真休刊に寄せてのメッセージにリハビリ中の野坂昭如氏の「生きるも死ぬも噂とともに」といふ一文あり。ぼくは噂を気にしない。何故なら噂を立てる方だから。ぼくは噂の申し子だったといっていい。噂を大事にする『噂の真相』とは仲間であった。ジャーナリズムの一端を担う雑誌が無くなる。これは今の日本を占う上で他人事じゃない。「噂」のある世の中はいい時代に違いないのだ。生きるも死ぬも噂ととももに。(原文は文毎の改行あり)久々に野坂先生の文に接す。最も真当なコメントは田中康夫チャン。「『噂の真相』が休刊したら日本の言論は翼賛的閉塞状況に陥る。ってな傍観的見解を、したり顔で述べる「業界」の輩は笑止千万です。(略)本来、誰もが表現者たりえます。誰もが『噂の真相』たり得るのです。にもかかわらず、自身が所属する「大文字」としての新聞やTVでは報ずるのが難しいから『噂真』にでも伝えておくか、と高給を食みながら体も張らず、一情報提供者に甘んじる。それこそ常日頃、連中が批判する“お任せ民主主義”です。「噂真」が存続していれば書いて貰えたのになぁ、などと他律的願望を述べる前に、隗より始めよ、ではありますまいか」と全くもってその通り。最も不可解なるコメントは「作家の」吉本ばなな先生。「………」とあり「長い間お世話になりました。私がいったいなにをしたっていうんですか?」と(笑)。これが不可解なのは書くだけ書かれた挙句に冗談でこのメッセージならわかるのだが「おそらく」マジで「私がいったいなにをしたっていうんですか?」と噂真に問ふているのでは……と思えてしまふこと。ちなみにこの休刊記念別冊でも一番面白くも何ともないのが筒井先生の『狂犬楼の逆襲』なのだった。尾上九朗右衛門氏逝去享年八十二歳。
▼多摩のD君より。都立高校の教員二百名だかが君が代不起立で処分とか。市区町村立の小中学校でも処分が出始め。支援集会に出た人の話では「罪人」みんな意外なほど元気溌溂だが興味深き点は殆ど例外なく団塊世代。それも女性多し。あと十年もすれば定年で総退場なのだから下の世代はこのファシズムなど怖がって口出しなどせず。そして教員の「入れ替え」以上に早いのは保護者の入れ替え。反対集会に行ったD君がD君より若い保護者を見かけず「都内で反対運動最年少か?」=このまま運動の終焉を見ることになるのかと危惧するほど。この大量処分、都議会で都知事石原慎太郎君は「民主主義社会ですから、みんなで決めたルールは守らないと」として処分は当然と語る。二重の謬論とD君。まず民主社会で「みんなで決めたルール」の最高形態はいうまでもなく法。では国旗国歌についての起立敬礼斉唱は国法でなんと定められているのか。どこに忠誠義務があるというのか。国旗国歌法制定時の「強制はしない」という政府答弁をまつまでもなく法律から直ちに忠誠義務をみちびくことは不可能。そして例の都教委の「指針」。あれの何処が「みんなで決めたルール」なのか。いつどこで誰が決めた指針か。「みんなで決めたから従え」という以上「みんな」がその決定に参画していなければ話が合わず。都教委が勝手に出した役所の通達がどうして「みんなの決めたルール」になるのか。この知事は国の最高法規であるところの憲法を気に入らないから守らなくてもいい無視しようあんなものは無効だと公言、それが「みんなで決めたルールくらい守れ」とは。そもそも公務員が権力を行使する正当性の源泉は国の最高法規たる憲法以外になし。憲法を無視して勝手にやっていい、というような石原君の東京都知事としての権限もなくなるといふ法知識すら欠如の都知事。つまり「石原知事は気に入らないので、無視します。あんなものは無効です」も石原感覚なら有りといふこと。第二。民主主義といえどもすべてを多数決で決定しうるわけではないこと。過半数が決議したからといってあらゆることが許されるのではなし。民主主義をただ「多数決」という意味にしか理解していないようだが(これはある面では戦後の小学校の学級会で多数決でその決定に服うことが民主主義と指導された、実は戦後民主主義を否定する者に限って戦後民主主義の薫陶深く受けている事実……富柏村註)過半数が民主主義の廃止に賛成したら民主主義は終わるのか? 残念ながら日本は今そういう状況。個人の尊厳という価値は民主主義の理念の中核であり多数決といえどもゆえなくそれを奪うことはできないといふ普遍的理念すら何処へか忘却。改めてD君曰く都教委の通達は形式的にも理念の上でも民主主義には相容れず。石原君は民主主義を否定する立場にたつ政治家として「民主主義に反する」とかいうお為転しを直ちにやめて「やつらは民主主義者だから弾圧する!」と堂々と言うべきでは?、とD君。
尾上九朗右衛門氏逝去享年八十二歳。朝日新聞の訃報には「六代目尾上菊五郎長男九朗右衛門さん死去」と見出しあり。訃報の見出しにこれは失礼。確かに六代目の長男であるし生れてからずっと「六代目の長男、長男」と言われ続けたのだろうが五十台で米国に移住してHarvardや哥倫比亜大学で日本演劇の講義もち余年はハワイに移住してと梨園に生れながら個性的な生涯完うした人に「六代目長男……」とは。この訃報で「えっ」と思う人には「六代目尾上菊五郎長男」は不要。六代目といったら菊五郎といふ時代でなし。菊五郎といっても先代。六代目を知る人がいったい今の読者にどれだけいるのだろうか。だいたい九朗右衛門を知っていれば六代目の長男といふことは常識で今さら不要な説明。つまり九朗右衛門を知らぬ人なら六代目も知らず六代目を知らぬ人なら九朗右衛門も知らず。その九朗右衛門は余が歌舞伎見始めた頃にはもはや米国移住しており『演劇界』だったかにハワイ便りのような記事散見したのみだったが何時だったか歌舞伎座で珍しく帰国して舞台にたち白浪五人男だったか確か故・松禄と同じ舞台に日本駄右衛門の役で出たのを見た記憶あり。