富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月十九日(金)曇。夕方藪用あり金鐘のAdmiralty Centreに参ればケーブルテレビの大型スクリーンに人混みあり何かと覗けば台湾にて亜扁総統並びに呂秀蓮副総統狙撃されると報道。弾丸時代は実弾でなくプラスチック弾のようなもので狙ったのは殺害が目的でなく明らかに選挙前日に傷害伴う脅迫。総裁選は前々回の中国が台湾海峡にミサイル射ち放し祝砲としたことで中国の威嚇が李登輝先生大勝齎し前回は亜扁、国民党連戦、国民党追れた宗楚瑜の三つ巴の選挙戦のなか投票数日前に中共の朱鎔基首相が「台湾独立は絶対に許さない!」と烈火の如く激怒した様が大きく報じられ「やっぱり中共は怖い」といふ念が亜扁に靡き亜扁を当選させ、二度も続けて中共が台独派を結果的に支援した経緯あり流石に今回はこの轍を踏まじと静観気取ったが、そのためか今ひとつ「これ」といった選挙材料もなし。昨日ノーベル化学賞の「台湾の知性」李遠哲・中央研究院院長が前回の亜扁支持に対して今回は距離を置いた姿勢保持したが昨日になり最終的に苦渋の選択で亜扁支持を表明、その程度が選挙終盤の盛上がりかと思っていたが、最後の最後でこれ。連戦君が多少有利といわれていたなかこの狙撃事件で浮動票が亜扁に流れて仮に亜扁再選となってもさっぱりとせぬ結果齎すばかり。晩にRoyal Asiatic Society(王立亜州学会)の香港支部の年次総会並びに晩餐会あり中環のHong Kong Clubに参る。食前酒は別料金でGlenfiddichの飲券購いバーで提示するがHK Clubともあろうものがウヰスキーの用意がない、と言われジンでSapphireの瓶ありドライマティーニ注文すると「それならできる」と言うので眺めていたら氷入れたグラスにSapphireをたっぷりと注ぎ檸檬ピイルをばグラスの飲み口の周囲に酸味擦ってピイルをグラスに落として出来上り。ベルモット一切注がぬ究極のマティーニベルモット使うこと知らぬ結果か、は問ふまひ。英国の非常に英国的なる史学倶楽部で香港支部も当然英国人士の当地歴史文化に英国的に関心もつ方々の組織で余の如き者が会員になることを受入れるだけご時世か郷土史家K君もこのRASの審議会会員であることもあり余は会籍あっても今晩が初めて参加。長年の蓄積か余りの濃い話の内容に全く着いてゆけず。K君に香港歴史博物館のW女史、香港政府古物古蹟辧事處のW博士など紹介される。同じ卓にあった英国人の老紳士がElsie Tu女史の話からTu女史の亡くなったご主人の杜学魁先生の話となり故人彷彿。K君に杜先生長く学長務めた慕光中学校の倉庫に眠っていた数百冊の戦前の日本書籍の行方がどうなったか気になると話す。このHong Kong Clubさすが香港代表する倶楽部にてビュッフェ形式ながらいわゆる倶楽部料理としては食事もかなり秀逸。デザートの甜味まで納得。このHong Kong Clubで思い出すのは八十年代後半より九十年代前半まで日本の地方銀行の香港進出烈しくこの賃貸料高いことで有名なHong Kong Clubの建物にも茨城の常陽銀行など入居し銀行とはいっても外為するわけでも資金調達だの投資するわけでもない地方銀行の出張所の身分でこのHong Kong Clubだのバンカーズクラブの会員となり中環をば我が物顔で闊歩していた地銀の面々の顔を思い出すばかり。このHong Kong Clubの地階正面とて当時香港で廣く店舗展開していた大和銀行の香港総行が此処にあったことも彷彿。今では彼らの影もなし。終って独り外国人記者倶楽部に少憩しようかと蘭桂坊抜ければ路上にまで酔客溢れる様に通り抜けるも難儀。何処から湧いてきたのかと疑うほどの、とくに紅毛の数甚だし。記者倶楽部のにてジャズ聴きつつウヰスキーはDalmoreにCohibaの葉巻薫す。カウンターで隣席した英人二人の談義耳に入ればシングルとブレンドであるとかモルトとグレンの違いも分からぬ人も酒場にあるようで片方が棚に並んだモルトの説明するが多少内容に怪しさもあり。バーで溜めた新聞読めばSCMPに現代中国研究の碩学Orville Schellの文章あり。台湾の総統選挙に対して「中国の民主化台湾海峡に平和を齎す」と確かにその通りだがではどうすれば?といふ答え出ぬ話で内容は平凡ながらSchell氏の“To get rich is glorious”なる中国の登β小平の開放経済を確実に把握した氏の84年の書籍紹介されていたのが当時の平凡社のブルータス誌であったわけで、当時の東京はそういう文化?があり、だが実はSchell先生の紹介も中国研究のことより氏が若くして研究成果を見せて四十だかの若さで半ば引退し加州の田舎で隠居暮し、それがたまらなくいいなぁ、とそういふ記事であったことは八十年代のブルータスを知る者には言われてもわかる話か。いずれにせよ余はその記事読みこの“To get rich is glorious”に興味持ち紀伊国屋だかでこのペーパーバック見つけて、それや注文して“Discos & Democracy”など読む。廿年も昔のことなり。その後の氏の著作では“Virtual Tibet”が出色。現在は加州大学バアクレイ校の大学院でジャーナリズムの院長されていることを知る。昨日のSCMPと信報に須臾公的発言なかった呉光正氏の言論あり。昨今の政談烈しい中で殊に李柱銘氏の港人治港の理論を柔らかく批判しそれでは北京との良好なる関係で隠定した繁栄を維持することが難しいとして現実に則した路線維持を主張。ポスト董建華の行政長官候補としては最近は財務司・唐英年氏が浮上し李嘉誠までが唐氏を好評価、また若手のホープである梁振英君が最近は余りに親中派的発言続けタカ派的色彩強め親中派除くと敬遠の感あり、そのなかで董建華とも形式的にであるが行政長官選挙を争った呉光正氏はあまり脚光を浴びずにいたが、おそらく梁振英への倦厭感に応じての再浮上だろうか。車を雇い帰宅。荷風先生の日剰昭和十三年になると先生が新開地新宿にムーランルージュなど見に参るようになり浅草オペラ館に頻繁に通ふ。浅草喜劇の俳優「シミキン」清水金一だの大辻司郎といった余でも名前聞けばプロマイド写真の顔浮かぶ名も昭和十三年ともなると少なからず。
週刊文春の出版禁止の仮処分について。個人情報の秘匿。今回は田中真紀子先生の娘が私人の秘匿権侵害を訴えたがこの個人情報保護は今後拡大されるのは必須でそれ故にマスコミが個人情報保護法について異議申し立てているおり文藝春秋もこれについては反政府反自民的でもあるが(田中娘の件は別にしても)個人情報保護法が明らかに権力側、政府与党に有利に働くものだと思えばそれの立法化推進しているのは文藝春秋社が一貫して支持してきた自民党政府によること。文春、諸君といった媒体であれだけ保守派支援しておいて(勿論、なかには田中角栄研究といった事象もあったが)その保守による作業で被害に遭っているのだから、文春もそのへんを省みるべきでなかろうか。戦後、この保守は余りにも大きくなりすぎ権力を持ちすぎたこと。小泉内閣の歴史的暴挙みれば本来、党内基盤も有力なる財界の支援もなくとも朧げなる国民の支持のようなもの(といってもイラク侵攻などかなりの不支持があるのだが)を基に何でもできる環境。それの付与に寄与した最も大きなメディアがフジ産経と並び文藝春秋社であること。
▼余の畏友、セキリ君による岩波書店C.S.ルイス著(瀬田貞二訳)ナルニア年代記シリーズ「ライオンと魔女」「銀のいす」の書評(こちら)。