富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月初二日(火)小雨。黄昏にジムで鍛錬。十月に巴里に遊びその後二ヶ月ほど鍛錬欠かし筋力落ちて重量落としていたがようやく十月以前の重量まで復す。帰宅して小料理屋の如き料理つまみ焼酎。二月の中旬に三日にわたり信報に掲載された張五常教授の「未だ改憲の時期に非ず」といふ中国の私有財産保護に関する張教授の憲法改正時期尚早といふ意見論文読む。予定では来たる五日に人代大で私有財産認める憲法改正の決議される見込み。中国の共産主義にあって画期的なことだが!、張教授は現実的にはすでに私有財産が存在しているわけでCoquinteau国家主席の就任一年にも満たぬこの時期に慌てて改憲するより数年待って満を持してでよいのでは?と。改革を急ぐことでの不安、とくに張教授は民主主義であるとか国民の自由といったものを最大価値として優先することによる経済発展の停滞などについて言及し英知なる政府の統制下での計画的な経済改革の必要性を説くのだが、それだけ読むと中立右派的な、日本でいえば大嶽秀夫的なる現実論。だが裏読みすれば張教授が米国での脱税だの詐欺商法での訴訟免れ中国国内に「潜伏」中といふ背景を知ればこの論文が中国政府への身柄保護の懇願状に読めぬでもなし。批評社の歴史民俗学資料叢書の一冊読む。
▼SCMPに早くもダービー予想あり。文句なしでLucky Owner(Cruz厩)に続きSuper Kids(Size厩)、Tiber(Moore厩)と続き期待の星で今いちのRoosevelt(Oughton厩)など。馬主C氏のDashing Championはratingを90まで落とし目下ダービー出場難しく明日のクラス2での1800mに賭けるばかり。
▼中文大学の日本研究系の学科廃止が取消決定。吉事と喜ぶべきか日本研究とは何かあらためて考えてみるべきか。
集英社より井上ひさし小森陽一編で出た『座談会昭和文学史』全六巻は座談会と銘打つだけに確かに、という人選。大正から昭和へが加藤周一谷崎潤一郎芥川龍之介中村真一郎志賀直哉阿川弘之、プロ文が小田切秀雄柳田国男折口信夫岡野弘彦山口昌男宮沢賢治を「巨大な三日坊主のセクシュアリティ」としてロジャー・パルバース招き「プラハの賢治」とは大胆、永井荷風坂口安吾川本三郎荻野アンナ、大衆文学で『大菩薩峠』を安岡章太郎、戦後編で松本清張司馬遼太郎藤沢周平佐高信関川夏央も面白いし、太宰治長部日出雄石川淳丸谷才一、昭和の詩が大岡信谷川俊太郎……と昭和文学史だけでなく話を今聞いておくべき見事な人選、となぜここまで細かく書き写したかといふとこの集大成で最大の疑問は戦後日本文学で確かに欠かすことのできぬ存在に大江健三郎があるが、この第六巻で「大江健三郎の文学」を語る相手が大江健三郎であるといふこと(笑)。これ以上何も言う必要はあるまひ。
▼最近の香港での愛国論争について「没有共産党就没有新中国」(共産党がなかったら新中国もあり得ない)といふ革命歌まで持ち出され共産党主導の国家建設の正当性が今になって宣われるが、これは建国後の土改・三反・五反・四清・反右・人民公社・大躍進・文革四五天安門事件といった一連の共産党政府による災難を揶揄し「没有共産党就有新中国……的苦難」と替え歌もあり(共産党がなかったら新中国の苦難もなし)、これについて劉健威氏曰く、新中国に成果出たのは、資本主義が発展し市場経済に向い中国の生産力が世界市場に解き放たれ制度改革だの法整備が進み……といった八十年代の改革開放始まって漸くのこと、その最も重要なる基盤はまず資本主義というシステムであり次に重要なのは八十年代から香港の資本と技術力が大陸での投資にまわったこと。東欧が政治的には改革されても十分な資本と技術力が西側から投入されないことで経済成長が停滞しているのに比べ中国は香港あってこその経済的飛躍。その意味では「没有香港就没有新中国」、と劉氏。最近は国家在っての二制度などと香港の地位の小ささばかり強調されるが確かにここ三十年近き歴史を見れば香港なしには中国の発展なし。
▼ところで中国といえば上海の発展。上海が大都市であることも認めるし近年の都市としての充実もあるのだろうし、香港より洗練された都市としての歴史もあり。そういった意味で上海に魅力あるのは当然だが、余は何が気になるかといへば、どんなに都市として発展しようとも言論の自由もなくマスコミは統制された、一党独裁の政治下で、新聞すら読む楽しみもなく、どうして生活できようか、と。かりに上海に住めば確かに人との密談は多くなろうが(口コミによる情報が重要なこと)日記に書くこともさぞや減るであろう。都市化進みインフラ整備されても山も海もなく走るのは都市のなかのランニングコースか……興味ももてず。