富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月朔日(月)曇。先月廿三日に拙述せし「飛び込み先で自分の生いたちを語り同情を引いて契約をもらうという、昔から商売の世界に伝わるいわゆる豊川商法」についてナンシー関創始者ジャニー喜多川としているのだが、ジャニー喜多川社長は例えばフォーリーブス売出しの頃とか自らがハーフであることを使ってこの豊川商法をしていたのだろうか。わからぬ。」なる件。ナンシー関女史の文章に余はてっきりこの世には豊川商法なる、きっと名古屋に纏る商法でもあるのかと信じ切っていたが……。芸能事及びナンシーに詳しい松山の畏友S君より教示あり。
ナンシー関の当該発言の出典がにわかに分からなかったので直ぐには反応できなかったのですが、ここにいう「豊川商法」が豊川誕に因んだ冗談であるのは明白であろうと思った次第です。豊川誕は「豊川稲荷に捨てられていた孤児」だとか云った不幸な生い立ちで売り出していたのです。無論それはジャニー喜多川ヒロム氏による嘘の話で、豊川誕(とよかわじょう)という名も芸名です。誕生の生ではなく誕で「じょう」と読ませてしまう強引さ加減にジャニー特有の言葉遊びのセンスがあらわれています。で、今『ナンシー関大全』を見たところ、小説の中の文言だったのですね。九十頁。これは完全にフィクションの中の冗談でしょう。所謂ネタです。豊川商法に近いのは演歌歌手の不幸自慢でしょうが、それはジャニー創始になるのではなく、逆に、ジャニー氏が演歌を真似したといえるのではないでしょうか。
そう、S君の指摘にある通り、この文章はナンシー関の随筆でなく『ビックリハウス』廃刊で中絶した小説のなかの一文であり余もパロディ文学を真剣に読んでいたとは恥じ入るばかり。それにしても芸道とは真に奥深き世界。
▼ところで芸能といへば歴史家・網野善彦氏逝去。七十六歳。元都立高校教員。このような碩学を教員にしておくだけの度量は今の東京都にはあるまひが。ステレオタイプの稲作社会と単一民族観念に対して日本がいかにワンダーランドであったか、と商業民や職能民、被差別民などを通じて天皇までをも実はそういった無縁にある民にとっての王であることなど解き明かす。若かりし頃に網野先生の著作読み歴史が俄然面白く思えたもの。
住基ネットへの対応や平成の市町村大合併にも異議唱え真っ当な地方自治体として面目躍如の福島県矢祭町が修学旅行で計画していた国会見学を巡り「見学には衆院議員の紹介が必要」という決まりあるは疑問として町教委(近藤作多子教育長)が衆院事務局に見解を求めたところ衆院は米同時多発テロを受け全ての国会見学者に衆院議員の紹介義務づけたが自治体の選挙管理委員会や報道機関など中立な立場の団体には紹介なしの見学を許可しており学校も見学を了承という回答を得る(朝日)。なぜに矢祭山町がこうも真っ当なのか。福島の茨城との県境、八溝山望む山間の小さな町で東北の耶馬渓と称される奥久慈の桜にツツジの名所。もともと福島には自由民権運動以来の人権感覚あり寧ろ東北には厳しい自然の風土か京都を中心とする「日本」とは嘗て異なる文明栄えた由来か克己、自律の観逞しきことは事実。少なくとも石原慎太郎をば都知事に選ぶデリカシー欠如の都に比べて真っ当なるは明らか。