富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

二月廿六日(木)晴。昼に太古坊の「袖山」丼物美味いと評判聞き立寄り鮪漬け丼にも惹かれつつ鯵の丼飯食す。美味だが胡麻油絡めすぎ多少鹹ひのが難。嘗て「耕」といふ日本料理屋あった場所で太古坊にて最も海沿い、東海隧道の入り口、Quarry Bay公園に近き場所にて昼は太古坊の社員食堂と化すが如何せん夜は閑かなる場所。それゆへ隠れ家的。夕方尖沙咀のKimberley街の新錦記なる硝子表具屋にて装丁の額三張受け取る。昭和四年の東京番地入地図、二十年代の北京色彩市街図に昭和初期の東西歌舞伎役者番付の三点。祖父によりきちんと保管されし物乍ら表具師に言わせれば何十年も折って為舞ってあった紙類といふのは広げると平らに見えるが額に入れると折り目の皺が目立ちそれをどう伸すかがかなり難しく他の仕事終わった晩に冷房扇風機など消して無風にての作業を要したことなど聞く。この表具屋の近くで薮用あり終わって畏友M君の車で自宅まで搬送。三張で一千港幣は安いと話しつつ、我らも若ければ手許に千ドルあれば飲む打つ買うであっさりと散財のところ、とても額の表具になど千ドルもかけやふといふ気など起きず、表具に高い安いなどと談義ぢたい我らも枯れたもの、と笑ふ。Z嬢と二更、廊下に据えた東京市街図を細かく見れば、広尾もガーデンヒルズはかつて渋谷第一御料地にて久邇宮家あり、有栖川公園は高松宮邸、溜池の清国大使館など「なるほどねぇ」と見入る。気になるのは地図の凡例に表示なき地図上の市街をあちこち断続的に走る赤い太線にて、幹線道路のようでいて芝の増上寺境内をば通り抜け、とくに八重洲周辺は碁盤の目のようながら突然断線してみたり、と、この奇妙な線でふと気になるのは帝都の何らかの地下道か、などと。ただし先日読んだ秋庭俊『帝都東京・隠された地下網の秘密』にある、例えば都営新宿線大江戸線のラインにこの太線は全く走っておらず。深夜三更に廿年常用の手提皮鞄修理。同仁斎の医師N兄がミラノ遊学にて見つけた医者用?カバンにてN兄が余がさぞや好むであらふと贈られ、受取り一握、手にした瞬間「これは生涯の伴侶」と達観。翌年複びミラノに遊ぶN兄にいずれ将来のためにと自費で二つ目の購入を依頼し今日に至るまで廿年の酷使に耐えた皮鞄もさすがに疲れて縫い目綻び底皮の薄くなり修理要す。本来はきちんとした鞄屋に修理依頼すべきところ応急措置。そのためついに十九年目にして二つ目の登場相成る(写真)。荷風先生の日剰読む。昭和十二年の夏、吉原大門の東娼家の屋根にある廿七夜の月を愛でる荷風先生、最近の娼妓陰暦の暦すら知らずと歎く。