富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

二月廿七日(金)快晴。未明に数年ぶりのかなしばり。何か重いものに押されたが如く身体の自由きかず部屋には魑魅魍魎の如きものが宙をまわる。気温摂氏廿二度で湿度61%と爽快ながら九〇年までの天候記録によれば過去最高は当時は18.3度で平均湿度湿度79%、快適ながら温暖化の由。早い晩に某氏と中環旧中国銀行の高層階に位置する中國會。長征と名付けられたバーにてドライマティーニ。中國會はDavid Tung(登β永鏘)氏経営のメンバー制倶楽部にてもともと中国銀行の幹部用フロアを改造したのはいいが同氏経営の上海灘のキッチュといふか蛍光色の色遣いで共産主義革命モチーフにしたポスターだのオーナメントが至る処にあり共産主義革命をここまで色物的にネタに使ふ趣味西洋人にはウケるだろう余には理解できず。而も中国銀行のビルでこれをされて中国共産党もよくも怒らぬもの。それにしてもバーのバーテン、どれもこれも茶餐庁の給仕の如き野暮な見てくれも悪さ。一流のバーといふのは給仕も品があるべき。中国の田舎者の様でそれも中国的なのか。店の電話のベルの音量が気にならぬバーといふのはそれだけで失格。ダインに移り十人ほどで個室にて晩餐。いわゆるパンチのきかぬクラブ料理。奇を衒った銀製の箸(写真)が大リーグボール養成箸といふべき重さで普通の箸に代えてもらふ。室内の壁には登β永鏘氏の名前を一文字ずつ冠した句が並び(写真)(お世辞にも中央の鷹の絵も対聯の書と同様、上手いとはいへぬが)、この対面の壁には登β永鏘氏とともにこの中國會の開業に参加した徐展堂氏の名前での対聯が。中国の人民解放軍などを背景にした商社北海集団有限公司の曾ての香港代表であり美術品蒐集でも著名で香港大学美術館もこの人の収集品と寄付金で立派な美術館建てたがバブル崩壊の頃にいろいろ埃が出てこの人も失脚し莫大な負債かかえ今はどうしていることか。食事終り最上階の図書室(写真)。ソファで酒が飲める空間で蔵書は登β永鏘氏倫敦留学時代に蒐集した一大英文学コレクション。ベランダに出れば中環の超高層ビルに囲まれて壮大なる眺望。中國會出て夜遅い中環歩いて外国人記者倶楽部。ジャズバーが冷却機改装中で階上のダインにてジャズ演奏あり。深酒三更に至る。諸氏と別れ深夜の蘭桂坊に踊り場二軒ほど覗き一飲すれば旧知のB君に遭い深夜三時近くまで密談。
▼新宿のL君。シェイダさんの判決について。「黙ってれば迫害されないでしょう」とは恐れ入りました。「内心の自由」は保障しますから、黙って内心にとどめておけばどんな意見をもっても自由ですよ、といふのが日本政府の理解する人権であり自由。権利など毛頭なし。これが限界。日本社会の観念そのもの。やはり日本は亡命先にはならず。つまり信じるに足りぬ国家といふこと。申し訳ないがシェイダさんはこの国では人間として生きられません……とL君。以下、長くなるがL君より転送されたシェイダさんのサポート団体の通信。
第60号 2004年2月26日発行(不定期刊)
<今号の目次>
(1)シェイダさん在留権裁判1審 不当判決に終わる
(2)1審判決にあたってのシェイダさんおよびチームS記者会見声明
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シェイダさん裁判の経過を知りたい方は、
すこたん企画シェイダさんページ
果てしなき移民たちのためのホームページ
をご覧下さい。
(1)シェイダさん在留権裁判1審 不当判決に終わる
2月25日(水)午後1時15分から、東京地方裁判所第606号法廷において、シェイダさん在留権裁判の判決が言い渡されました。「原告の請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」わずか2〜30秒で終わった法廷。4年近くにわたったシェイダさん在留権裁判第1審は、原告シェイダさん側の敗訴に終わりました。判決の内容は、実に低劣なものです。判決は、根拠なく、イランにおいて同性愛者が迫害の危険にあう可能性は少ない、と述べ、シェイダさんがイランに帰国しても、安全な生活が出来る、と断じます。また、シェイダさんが同性愛者としてカミングアウトしており、さらにイラン・イスラーム刑法におけるソドミー(同性愛者の処刑)規定を廃止するべきとの主張を公然と行っている、という点に関しては、これらの事実自体は認定した上で、これを原告の「性表現」とまとめ、「性表現」に関しては各国がその状況に照らして規制の基準を作って良いのであって、原告がカミングアウトしたり、イスラーム刑法におけるソドミー規定に反対することに対する抑圧は「迫害」には値しない、という判断となっています。同性愛者の人権の確立に向けた主張を矮小化し、普遍的に認められるべき政治的自由の範疇から排除するという、社会通念上もありうべからざる愚劣な、恥ずべき判決であると言えます。同性愛者が難民条約上の「特定の社会的集団」であるかどうか、また石打ち刑が「拷問等禁止条約」上の残虐な刑罰にあたるのか、という点については、そもそもイランは同性愛者にとって危険な国ではないから、という理由で、判断する必要なしとして退けられました。判決に対する詳細な分析・批判は別途作成いたしますが、この4年間、私たちが積み上げてきた様々な主張・証拠が、上記のようなあまりに低劣な議論によって覆され、シェイダさんから在留資格を剥奪する「判決」として宣告されてしまったことに、徒労感と絶望感を覚えずにはいられません。とりあえず、上記を速報としてお伝えいたします。詳細については追ってお知らせいたします。
(2)1審判決にあたってのシェイダさんおよびチームS記者会見声明
判決に引き続き、裁判所内の司法記者クラブにおいて、原告シェイダさんおよび支援団体であるチームS・シェイダさん救援グループは、以下のような声明を発表しました。
原告シェイダさん声明
人権が認められていないこの国で、私が裁判で勝訴判決を得ることが出来るとは、そもそも考えていませんでした。ですから、敗訴判決を受けたからといって、私は何ら失望していません。今後は日本ではなく、難民の人権を守る国を探したいと思います。
チームS・シェイダさん救援グループ声明
シェイダさんの支援団体であるチームS・シェイダさん救援グループとして、敗訴判決に対して深い悲しみと強い怒りを表明する。イラン・イスラーム共和国では、イスラーム法の施行を絶対視するヴェラーヤテ・ファギーフ体制(「イスラーム法学者による統治」体制)の下、同性愛者は差別され、迫害され、虐殺されてきた。同性愛者は、石打ち刑を始め、火炙りや断崖からの投擲といったあたう限り残虐な方法で殺されてきた。いまイランでは、国会議員選挙を巡って、改革派に対して、ヴェラーヤテ・ファギーフ体制の護持を主張する保守派の巻き返しが強まっている。保守派とは、たんなる聖職者の集まりではない。革命防衛隊、民衆動員軍、アンサーレ・ヒズボッラーといった準軍事組織が、イスラーム体制を国民に力で押しつけている。同性愛者への迫害は今後、強化されることは明白である。このようなイランの状況に照らして、同性愛者の活動家として、自己の性的指向を明らかにし、刑法の同性愛者処刑条項の撤廃を公然と主張しているシェイダさんが帰国すれば、極刑に処せられることは明らかである。シェイダさんは欧米に拠点を置くイラン人同性愛者難民の人権団体「ホーマン・イラン同性愛者人権擁護グループ」の公然たるメンバーなのである。ところが、わが法務省は、イランでは同性愛者は処刑されていないという異端的な説を繰り返し主張し、さらには、同性愛者は難民条約に言うところの「特定の社会的集団ではない」と主張し、石打ち刑は拷問等禁止条約にいうところの拷問や残虐な刑罰にあたらないとまで主張した。このような主張は、すべて真実に基づかない愚劣なものである。注目すべきは、「性的指向を隠してさえいれば弾圧されない」という主張である。性的指向を表明し、同性愛者の権利確立のために取り組むことは、同性愛者にとって必須の政治的権利である。法務省は、人間には誰しも備わっているこの権利を追求することを、同性愛者に対しては認めないと主張するのである。欧米では、同性愛者であること、また同性愛者の権利を主張することによって迫害を受ける十分に理由のある恐怖を有する難民を数多く受け入れている。日本でも、宗教や政治的な迫害を理由に、数名のイラン人難民が受け入れられている。性的指向による迫害については難民の理由として認めないという法務省の主張は、同性愛者に対する差別以外の何ものでもない。法務省が、公然と同性愛者差別を行い、嘘とペテンで塗り固めてまで擁護しなければならない入管体制とは、難民を強制送還してまで守り抜かなければならない「難民鎖国」とはいったい何なのか。法務省は、こうした難民鎖国政策が、グローバル化と人口減少時代において、長期的には日本国家それ自体を衰退に追い込むことにつながっていることに、未だ気づいていない。我々は、難民鎖国の閉ざされた門をこじ開け、シェイダさんを難民として受け入れさせるために、最後まで闘い抜く。最後に、悲しむべき本日の判決を弾劾して、以下のイラクの現代詩人バドル・シャキール・アッ・サイヤーブの詩を捧げる。
  ああ 無言の 無言の墓地よ 汝等の悲しき小道で
  おれは吼える 叫ぶ 叫び 悲嘆の声をあげる
  沈黙のうちで おれは聞く
  闇の中に散らばる厳しい雪
  孤独の足音が鳴り響く
  あたかも鉄と石でできた獣が
  生命を啖らうように 命のかけらすらない 夜も
  昼も事
▼五月の十一代目市川海老蔵襲名披露公演。なんだろうか、これは……。「暫」が新之助改め海老蔵で桂の前が雀右衛門、これは当然なのだろうが、伊勢音頭で團十郎が福岡貢、新之助改め海老蔵が料理人喜助……築地H君も襲名披露なのだから福岡貢を海老蔵で親父が料理人で添え役でいいのでは、と。同感。新之助海老蔵)の貢は本役のはず。で夜の部は口上が「幹部俳優出演」で雀右衛門芝翫富十郎菊五郎梅玉團十郎といふのは寂しいかぎり。これじゃ梅玉の襲名口上並み。海老蔵なのに。で「勧進帳」は團十郎の弁慶、菊五郎義経海老蔵が富樫。今更誰が成田屋(父)の弁慶を見たいだろうか。海老蔵が富樫熱演して「これからも父と音羽屋のおじさんを盛り立てていきます」といふ、それが今回の勧進帳なのかも知れぬが。最後の魚屋宗五郎も三津五郎の宗五郎に海老蔵の主計之助、松緑菊之助、に芝雀、彦三郎とはちょっと若手の会の如し。
▼築地のH君よれば愛読の産経新聞
「戦争は悪だと決めつけられたまま忘れ去られた死者の魂」県立鳴尾高三年/三浦泰隆(一七)。この歌にはっと胸を突かれた。頭の中から戦争をはじきとばせば平和がくるとしてきた日本の戦後教育よ。
といふ一節あり。ちなみに小林よしのり先生も激怒する産経新聞の「大義いらず」は二十日の産経抄にも
「でも人間てやつはなんでも大義名分をほしがります。夫婦げんかにも口実がいる。錦の御旗がほしいン」「そのようだな、十八日の朝日新聞も社説で『「大義」をすりかえるな』とシャカリキだった。笑ったねこれには。大義や正義にこだわるのは空想的平和論と同根だ」。「おかしいですかい」「おかしいよ、熊さん考えてもみな。かりにイラク戦争大義がないとするとしよう。これは不正な戦争だった、侵略の戦争だったという白黒二元論でいうとだな」「ご隠居さん、難しいこというなよ」。「ごめん、戦争を白か黒かで切るとだよ」「なんだオセロゲームか」「そうだ、オセロ式にいこう。アメリカの方に大義がないとするとイラク大義があることになってしまう。フセインの独裁やクルド人虐殺は大義や正義かい」。「いやイラク戦争に反対の左翼の連中もそうはいっていないよ」「そうだろ。つまり大義があるかないか、どっちに大義があるかなどという議論は意味がない。戦争はどっちもどっちなのさ。だれもが自分の方に大義があるという。だから中国の古人も“春秋に義戦なし”とのたもうたのだ。大東亜戦争だって日米双方に理屈があった」。「するてえと国家は何のために戦争するんですかい」「ずばり国益だ。政治家はそこをきちんと見抜いて国益に沿った判断をせにゃならん。あたしの頭のような大義論はやめてもらいたい」「ご隠居さんの頭って?」「つまり不毛だな」
……ともはや自分が自分が何を言ってるのかわからぬのだろうが。