富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

二月廿五日(水)薄曇。インフルエンザ昨晩より快方に向ふ。香港の愛国論問題をからめ七月の民主派デモについて日刊ベリタに久々に記事書く。当然のようにすでにビクトリア公園の会場は他団体が予約済み、とか。本日はさすがに倦怠感あり痰がひどい以外は熱も退くがインフルエンザにこうも対応する薬剤といふものも有難い以上にその効能恐ろしきもの。かなり強まったウイルスとそれ退治せむとする薬剤が身体のなかで抗していると思うと恐ろしいかぎり。日曜の夜のJan Garbarekの演奏会、会場でもお見かけした劉健威氏が信報の連載でこの演奏会取り上げ打楽器奏者のMarilyn Mazur賞め、彼女は実は香港初めてでなく八十年代のマイルス・デイビスの香港公演!の際にも打楽器で参加、と劉氏友人に教えられた、と綴る。八十年代のマイルス、といへばThe Man with the Hornで奇跡の復活遂げStar Peopleの頃で日本での確か読売ランドイースト?だったか余も聞きに馳せ参じ当然、香港公演あれば日本とツアーなわけでこのMarilyn Mazurなる打楽器奏者いたかどうか全く記憶になし。
▼築地のH君より。小林よしのり先生『SAPIO』で「産経抄」を名指しで徹底批判とか。産経の「戦争に大義はいらぬ」に「なんという不見識、不道徳か」と怒り全開。御意。産経は左翼革命勢力の批判なら無視しても宜敷かろうが相手がよしりんといふこの批判には産経抄は真摯に対応する義務と責任あり、とH君。なにせよしりんは「わしが大東亜戦争に誇りを感じるのは、そこに大義を見出したからだ」といふ主張。これについて産経が答えられねば今後、産経は歴史について語る資格を放棄すべき。そもそも単にマスコミの左傾化憂ふ資本により作られた保守派新聞であり(当時は読売がナベツネの今ほど右傾化しておらず)よしりん大義に応えられるほどの理などある筈もないが。
▼政府の国民保護法制整備本部……嗚呼なんて怖い名前、による有事法制関連七法案など誰も概要などきちんと読まぬわけで、それが政府の暴挙より更に怖いのだが、例えば「国際人道法違反処罰法案」なんて「まだ」人道的なようだが「目的」読めば
この法律は、国際的な武力紛争において適用される国際人道法に規定する重大な違反行為を処罰することにより、刑法等による処罰と相まって、これらの国際人道法の的確な実施の確保に資することを目的とする。
って日本語か? 憲法が米国のお仕着せ憲法で日本語として拙いと指摘されるがこの法案も「この法律は」といふ主語と述語「……を目的とする」の間の「処罰することにより」「相まって」「実施の確保に資する」の係り結びが余には理解できず。内容も嗤へるのは「3」の「重要な文化財を破壊する罪」であり、確かにテヘランでの国立博物館破壊など赦されるべきではないが条文が
次に掲げる事態または武力紛争において、正当な理由がないのに、その戦闘行為として、歴史的記念物、芸術品または礼拝所のうち、重要な文化財として政令で定めるものを破壊した者は、7年以下の懲役に処する。
ってこんなのが何の効力があろうか。戦争なのである。国家が勝手に正当な理由づけして戦っており殺人すら合法となるのが戦争。その究極状態で、而も勝てば官軍、負ければ賊軍の世界で、重要なる文化財が破壊されるのは当然負けた方でその負けた方が攻めてきた方に負け戦の後「はい、あなたは文化財破壊したから懲役七年」とか裁判でもするのだろうか、或は勝った方が自軍の兵士を「あなたは敵国の文化財破壊したから」と処罰するか。或は日本政府が自衛隊の隊員がかりにイラク文化財破壊した場合に自ら自衛隊員を懲役刑にするだろうか……しない。「6」の「文民の出国等を妨げる罪」の(1)
出国の管理に関する権限を有する者が、正当な理由がないのに、文民の出国を妨げたときは、3年以下の懲役に処する。
もをかし。「正当な理由」など時の政府権力がいかようにも作れるもの。その権限を有する者って誰であろうか。たんに審査官か法務省の役人か法務大臣か総理大臣か……人権に差し障るこれほどの権限有する者がこの程度の判断で而も「3年以下」の懲役刑という法律つくっていったいどれだけの有効性があるか。寧ろペルー政府が「正当な理由」にて送還を求めているフジモリの出国を日本政府は妨げているわけで、この出国の如何の権限有する総理大臣が懲役3年の有罪判決にでもなれば面白いのだが。それにしても、法の条文にまで米国軍隊への服従誓ふという独立国家とは思えぬ破廉恥な法案(米軍行動円滑化法案や自衛隊法改正案)や国民保護法案=平成の治安維持法がこうも国民的議論など起きもせぬまま成立してゆくのだから、なんといふ政府及び国民の判断力、思考力の無さ。
ジャニー喜多川さんが週刊文春のホモセクハラ記事を名誉毀損と訴えていた訴訟は最高裁藤田宙靖裁判長)上告棄却し記事の内容を事実と認めた上で高裁判決の文春側が支払う賠償額を一審の880万円から120万円に減額した判決に確定。戦後の一つの巨大な闇が明るみに(笑)。鹿砦社であるとか『噂の真相』も溜飲が下る思いだろう。それにしても「セクハラの記事の重要部分は真実だが、『飲酒、喫煙をさせている』などの記述は真実でなく名誉棄損」とは。飲酒、喫煙をさせていなかったにせよ性行為「させていた」のに、その部分の刑事は一向に進展もせず、かなりヤヴァいジャニーさんの「たかだか酒、煙草での」名誉毀損を認め、セクハラの重要部分は真実、でさらりと終ってしまふとは……かなり司法ぢたい常軌を逸してはおらぬだろうか。常軌を逸した司法の判決はもう一つ。新宿のL君熱心なイラン人のゲイ・シェイダさんの難民申請。イランで同性愛は死刑になる、とシェイダ氏は日本政府の強制退去処分取消しを求め提訴したのだが東京地裁(市村陽典裁判長)は「公然と同性間の性行為をしない限り刑事訴追される危険性は相当低く迫害を受ける恐れがあるとは言えない」と宣い本国への送還を適法と判断し原告側の請求を棄却。しかも「男性が来日前は同性愛者であることを隠して普通の生活を送っていたことを踏まえ『訴追の危険を避けつつ暮らすことはできる』と指摘」し「自分が望む性表現が許されないことをもって難民条約にいう迫害にはあたらない」と判断(以上、朝日)。性行為しなければ安全、自らのセクシュアリティを隠して生活することも自然(じぜん)と、この判断が基本的人権を侵害していることを市村陽典君は気づかぬか。欧米では……といふのを理由にしたくないが。マイノリティの人権といふのは逆で見れば分かることで、例えばこれが「高検検事長が愛人をつれて名古屋に出張」することが許されぬ国があり、その高検検事長が「国に帰ると辞任に追い込まれる」から難民申請しているのを「何を言っておるかっ!」と国に返す、これは基本的人権の侵害には当たらぬのは、当然のことながら「高検検事長が愛人を連れて出張すること」は愛人の存在の有無ではなく「公的な出張に愛人同伴」が許されぬから……この例え、面白いかと思ったが今ひとつまとまらぬ(笑)。いずれにせよシェイダさんの難民申請が理解できぬといふことは基本的人権だのを憲法で謳っても(普遍といふのだから日本国民以外にもそれを適用せねばならず)結局、その意味がわかっておらぬこと。裁判官がそれぢゃ憲法改正も当然か。
▼朝日の文芸時評関川夏央氏)からの引用になるが橋本治先生の「そういう『批評の不在』」(一冊の本二月号)から紹介するのは「よい商品(作品)=高価」という常識が通らないのは出版界だけだ。コンビニのおにぎりでさえ「質が高いから値段も高い、でも売る」というのに」「『この本は内容に見合って高価です。だから買いなさい』が言えないのだとしたら、本は『ハンドバッグやおにぎり以下』なんだな」という治ちゃんのご意見。そこで治ちゃんによれば「『いい本だから値段を高くして売ろう』という態度の最後の本は、小林秀雄本居宣長』(七七年、四千円)だった」と。御意。見事。そう、あの頃、余が毎日立ち寄ったK書店の文芸書の棚のいちばん上に、その『本居宣長小林秀雄著が据り、当時(今もだが)浅学の余は小林秀雄がどういう人かも知らず「なぜ本居宣長岩波新書で読めるのに、たかだかそれの評論がこんな立派なのか」とこの本を手にして当時四千円といふ値段に手が震え箱から出そうといふ気も消え失せセロファン破らぬように書架に戻した記憶あり。なぜこの小林秀雄といふ人の本がそんなに「高い」のか、と驚き、傍らに江藤淳といふ人の『小林秀雄』といふこれも装丁のしっかりした本があり、江藤淳といふ評論家に論評されるくらい立派な評論というのが(そういうジャンルが)あるのか、と初めて認識。それ以来、中学や高校の歴史の授業とかで本居宣長と見るとトラウマの如く本居宣長よりも小林秀雄といふ存在があの本の装丁とともにガーンッと脳裏に現れる状態が今もって続く。この書籍の価格のことを言えば、最近の本では例えば岩波書店の『定本柄谷行人集』全5巻は既刊『比喩としての建築』2,600円、『トランスクリティーク』3,400円は単に再版でなく増補、英語版からの大幅改訂など綿密な作業経た実質的な新刊であることを思えば千円高くてもいいはずだが岩波書店としてみたら「いい本なのだから高くても当然」でなく「少しでも手の届く値段に抑えて多くの読者に」といふ発想だろう、おそらく。これが橋本治のいふ出版業界のネガティブな発想、が、現実はもっとシビアで恐らく千円高くても安くても買う人は買うし買わない人は買わないのが柄谷行人の世界であって、販売部数は大して変わらぬはず。