富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

香港マラソン

二月八日(日)雨。気温摂氏八度。近所のO君と待ち合わせ尖沙咀。香港マラソン。97年から?か初回が10kmで翌年よりのハーフ連続出場。今年は例年にも増して斤量あり確実に七年前より7kg増量の上に走り込みなど全くしておらず体脂肪率22%と我ながら唖然。而も本格的な雨で気温も香港マラソン史上最低の厳寒。憂鬱なままスタートするがこの寒さはランニングにとっては余計な体力消耗せぬ理想的な気温のようでキロ5分ちょっとと余にしては記録的な時計で走り続け折り返しでもまだまだ体力温存、さすがに海底西隧道のなかで気温上がり酸欠のようになり香港島に入ってからは速度落ちるがそれでも余の時計で1時間52分程度で完走。さすがに腰痛に途中難儀したが膝など不調にもならず。但し心拍数は一時的に189まで上がり心臓麻痺でも起こすのでは?と。問題はゴール後の灣仔運動場での荷物受取りで、ハーフマラソンの出場者が受取りに参るとまだ10kmレース参加者の長蛇の列。運動場のフィールドの芝は雨で田圃の如し、そこで結局1時間も並びすっかり身体も冷えて荷物受取りタクシーに乗ろうとして荷物開けると他人の荷。荷物札にも間違いなく何事かと思って運動場に戻ると事もあろうに同じ番号札で荷物入れる袋の色違いが3色もありそれでの混乱。また十五分費やしてようやく荷物受領。荷物札をば出場者のゼッケン番号とすればいいものをわずか3桁の番号にしたため当然番号足りずの由。ちなみに出場者は合計で二万四千人とか。97年の大会がわずか三千人くらいだと思うとかなりの人気沸騰。而も10kmが一万三千人だかおり昨年の倍で荷物受取りの収集つかず。すっかり身体も冷えて大腿の関節が痛み痙る寸前。タクシーに飛び乗り帰宅してブランデー一飲。入浴。即席のさぬきうどん。即席きつねうどんなど食す際はまずお約束として肥満のもと「揚げ」を入れずスープも液体は全部入れても粉末スープは半分で十分。それだけで大分塩分控えること可。午後、九龍で按摩。夕方、弁護士のT君とばったり。中環。外国人記者倶楽部の酒場にT君誘い麦酒飲み歓談愉快。晩にランニングクラブのメンバーで銅鑼灣の韓国料理「郷村」にて今日のマラソンの打上げ。さんざん肉をば食し焼酎かなり飲む。
▼首相小泉君昨日お気に入りの品川プリンスシネマにて映画「シービスケット」鑑賞。「感動した!」であろう。いかにも小泉君好みそうな物語。あの当時の古き良きアメリカ。だがその国家が当時日本に無理難題押しつけ日本はアジア解放がため戦争をせざるを得ぬ状況になってゆくわけ。だが「感動した!」だろう。小泉三世、大嶽教授の分析通りけして従来の保守タカ派に非ず。靖国にせよ英霊を崇える自らの感情にて動いたこと。「シービスケット」見れば感動し特攻隊の手記よめば涙しテロに立ち向かう正義の米国見れば感動し……というところ。
深センの病院に高熱で収容された香港の男性が隔離病院の環境劣悪と実態を述べる。狭い病室に10人が詰め込まれ隣のベッドとの間が30cmほどでトイレは60人に1カ所。地元住民が隔離された病室では一部の入院者が床に直接寝ていた、と。陰性と判断されたが当局に「病院での検査や施設は国家機密に属し、見聞を口外しない」という誓約書に署名させられる始末。この隔離病院での感染が怖く香港に戻り再検査。以上、成報の報道を朝日が伝える。どうしようもなきこの実態。深センでこれなのだから。