富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

陰暦一月十五日。元宵。古来灯籠愛で湯圓食す日也。雨。気温摂氏7.8度の極寒。この気温は尖沙咀!の天文台での測温にて当然何処も彼処も尖沙咀より気温低し。『週刊香港』に連載の「老舗の風格」ファイル上網。晩にケーブルテレビ『我的香江歳月』(私の香港の日々)なる番組にて香港政庁前広播処処長にて香港政府在東京経済貿易主席代表を最後に引退した張敏儀女史の特集番組あり。72年に香港の公共放送局・香港電台に加わり当時『獅子山下』シリーズにて社会問題鋭く描く社会派ドラマ世に送り(当然、政府非難も色濃いが当時の政庁は一切それに圧力もかけず、と張女史回顧)39歳の若さで政府の広播処処長に抜擢され十三年要職にあったが台湾の両国論を取り上げるなど表現の自由、政府にも手厳しい報道内容などが政府与党親中派より非難され返還より二年後の九十九年に在東京経済貿易主席代表といふ実質的閑職に左遷される。昨年政府より引退しようやく心中をば吐露。政府による番組制作への干渉などについて語るを見る。政治学者・大嶽秀夫君の『日本型ポピュリズム中公新書読み始め。大嶽先生ここ数年深刻なる鬱病だった、と告白。もう廿年も前だか先生独逸での研究生活終え帰国され仙台の戦災復興記念館だか市民会館の会議室だかで帰朝講演会あり(なんと教養主義的!、当時まだ留学に権威ありか……あ、古賀先生見れば今でも留学には功名あり)その当時ですらかなり鬱的とお見受けしたが。予想以上に平易なる書きぶり。
親中派の御用政党にて国家安全条例だの七一デモでの罵詈雑言ですっかり民心にも見放されし民建聯、選挙での大敗の責任とり党首辞任の曾?成君、いっときはすっかり憔悴しきっていたもののさすが節操なき親中ぶりで養生したか〇七年の行政長官普通選挙実施について複び発言。彼は、選挙人について香港にて選挙権有する香港永久居民であっても行政長官の選挙権は中国公民に限定すべき、という彼の提案について市民の間(とくに外国籍市民)より反発あることに対して「(外国籍でも選挙権有するのはわかるが)これは実際の状況からして「忠誠」の問題」とした上で「もし行政長官が中国を代表しないとしたら、それは外国を代表することで、つまり中国と香港にとっての利益損失、香港が外国政府による活動がないとは私は信じない」と米国が香港の政治状況に対して「内政干渉」することを挙げ中国の自治権を支持。それにしても「地方自治体の首長が民意にて選ばれること」の意義を国家問題と混同するこの頭の悪さ。唖然。行政長官はたんに香港を代表するにすぎず。
▼宮崎の一高校生がイラクより自衛隊撤退求める「首相として勇気ある行動を」と訴える請願書、それは豪州、米国からも含む5,358名の署名付き、を内閣府に提出。それに対して首相小泉三世、いつもの「……なんですよ。……とね。……ですよ」の一本調子、「自衛隊は平和的に貢献するんですよ。学校の先生もよく生徒さんに話さないとね。いい勉強になると思いますよ」と宣ふ。三世この請願書は「読んでいない」として「この世の中、善意の人間だけで成り立っているわけじゃない。なぜ警察官が必要か、なぜ軍隊が必要か。イラクの事情を説明して、国際政治、複雑だなぁという点を、先生がもっと生徒に教えるべきですね」と。(以上、朝日こちら)小泉三世自身は善意の人の範疇かその逆か(嗤)。教育にかかわる発言に文相河村君「自衛隊武力行使に行くわけではないということを丁寧に教えなければならない」と首相発言を補完(のつもり)。 河村君、高校の公民の学習指導要領で日本の安全保障の問題を理解させるよう明記されていることなどを挙げ「自衛隊が何の目的で行くのかを高校生なりに理解してもらう必要がある。(派遣の)法的な根拠もあり、事実に基づいてきちっと教えてもらいたい」と(朝日)。この宮崎の高校生もきっと、この首相、文相の発言知れば当然わかることは、公然の目的は勿論、武力行使に行く、戦さに行くわけではなし、但し戦争に近い危険な地帯に派遣されることで武力抗争に巻き込まれる危険性が高いのであり、また、自衛隊ぢたいが武力行使に非ずとも米国の実質的なイラク征伐の一翼荷う活動であるから何処まで公平感ある活動なのか、日本がイラク情勢安定のため平和活動で他にももっとやるべきことあるのでは?……といった観点ゆへの自衛隊退去といふ示唆。それを一方的に自衛隊は平和的に貢献、学校の教育がまずいといふような発言では、とてもこの高校生説得することも能わず。高校生に一笑に付されよう。一国の首相たる者、本心にその国の社会憂へば、寧ろ当世にあってこのように明確なる意識もって首相に直言する若者の気合いを、自らの拙論とは意は異なるとはいへ、その気合いを褒めるべき。よく学びよく考え立派な大人になれ、と贐けの言葉でも贈るべき。この首相発言に対して日教組が「政府の考えを押しつけるな」と首相発言に抗議。「国会の場でも意見が分かれている問題について」「(請願を)読むこともせずに学校で自衛隊派遣の意義を教えるべきだとする発言は、若者の純粋な思いからの行動に対して非常に失礼な対応」と声明を発表(朝日)。正論ではあるが、これが今度は「だから学校の「組合の」先生は政府に反対する「反戦教育」なんてしてるのよ」などと、かつて平和意味せし「反戦」なる言葉が今ではネガティブに聞こえなくもなし、民度低き理解容易にされるのが日本の現状。
▼朝日に経済学者岩井克人君の文章あり。碩学の大衆相手に易しく噛み砕いた分かり易き文章の筈が岩井君のですます調は『ベニスの商人の資本主義』に見られる如く意外と難解。憲法学者樋口陽一君の新書物にも通じるところあり。この岩井君の文章、英国の法体系に於いてコモン・ロー(普通法)とエクイティ(衡平法)といふ異なった法概念が共存すること、その英国の法体系についてなぜこの二つが共存するのかについて岩井教授「最近その疑問が解けつつある」とディケンズの『荒涼館』だのアダム・スミスの『国富論』など引用しつつ論は進むのだが、余の如き門外漢でもさすがに普通法は解るが岩井君の挙げたそのエクイティについてがさっぱり解らず、解らぬまま延々と話が続きもう記事の八割分に至ろうとする一四〇〇字ほど費やしたところで漸く「それでは、もう一方のエクイティとは何なのでしょうか?」といふ話題になり遅まきながら安堵するのだが椅子から落ちそうになるのは「それは、EQUITYをカタカナにしたものです」と(笑)。そんな。続いて漸く「法律の教科書ではよく衡平(法)という訳語が用いられますが、本来は正義や公正といった意味を持つ言葉」であり「どうして道徳心や倫理観を喚起させる名前をもつ法体系が登場する必要があったのでしょうか」と話が進む。余の如き凡人にはEQUITYのカタカナ書きといふ説明を含め?このEquityの概念をばもっと早く説明していただかぬと理解に能わず。やはり碩学の平易なる文章ほど難解なものなし、と痛感するばかり。