富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

甲申年正月初三日。

甲申年正月初三日。早朝に正月恒例のFat Choy(發財)Run山頂にて開催され参加。昨年レース序盤にて突発性の気管支炎のようになり呼吸苦しく途中で断念、今年は斤量に厳しさあるがどうにか8キロ完走。気象台は摂氏9度だが山頂寒風吹き荒び体感気温は零度近し。終ってI氏とZ嬢と旧山頂道下りI氏宿泊のアイランドシャングリラホテル。カフェにて珈琲。帰宅。午後テレビにて競馬中継観戦。地場G1の百周年記念銀瓶にてSize厩舎のLiberal's Choiceに期待したが惜しくも二着、まさかの赤辣椒が昨年のSARSの最中にエイシンプレストン一着となったQE II Cupでの四着以来の快挙にて一着。波蘭ウォッカのStarka、ドライマティーニにGlenfiddich……と一人新聞雑誌読みつつ飲み続け晩にZ嬢とお好み焼き食す。山崎俊夫作品集(下)『玉虫秘伝』読む。
▼『週刊読書人』の「……に聞く」は延々「誰か」のインタビューが続く名物企画にて蓮實重彦なら蓮實重彦という人のインタビューが一言一句漏らさず(つまり編集せず)延々と一年くらい続き、蓮實ファンには有難いが興味のなき者には何の意味もなし。多少興味あっても一人のインタビュー読むこと強いられる点では苦痛以外の何ものでもなし。現在は大西巨人氏(聞き手は若手の評論家鎌田哲哉氏)。すでに二十五回と半年。一月二十三日号では珍しく話題砕けて大西氏の『神聖喜劇』「もし」映画化されたら?といふ話題となり大前田軍曹はビートたけし、主人公の東堂は市川雷蔵だの役所広司など名前挙がり、いずれにせよ登場人物の誰もが老成しており大前田にせよ四十過ぎの壮年をば読者想像か。『人間の条件』の小林正樹監督が『人生喜劇』映画化に意欲あり『全身小説家』の原一男監督とのエピソード、大西巨人が原監督の『ゆきゆきて、神軍』など評価せぬことなど興味深し。それにしても大西氏でで可笑しいのは「息子の赤人がパソコンをやっているんだが……」といふ物言い。「カストリを」とか「左翼運動を」とか例えば「茶の湯を」ならまだいいが、今どき「パソコンを」ってのがいかにも大西氏。も一つ可笑しいのはこれも48回も続く「執筆と編集のためのパソコン技法」なる連載。単にWin機でいへば「秀丸」、Mac機でいへば「Jedit」の「使い方」の文章による説明続く。パソコンのたかだかエディターソフトの使い方を文章で説明する方もする方だが地道な出版会社の地道な編集者の中にはこの連載を「有難い」と思っている方も少なくない筈。もう一年も続き終るかと期待したら「ここまでひと通りのエディタの初期設定の準備は完了しました。次回からはより具体的な話に進もう。」といふ一文に抱腹絶倒欣喜雀躍阿鼻叫喚。今までが初期設定だったとは! たかだかエディタソフトでこれ以上何を語ろうといふのか……ちなみに執筆者は未来車の西谷能英氏、敬服。
山梨県日川高校校歌に教育勅語の歌い込みあり憲法教育基本法に反するとして同校卒業生らがの県知事相手取り損害賠償求め訴訟起こす(朝日)。校歌には「天皇(すめらみこと)の勅(みこと)もち…」といふ文句ありこれ教育勅語指すことは明白。教育勅語憲法にて失効が確認されており、このような校歌誇りとする教育では憲法の掲げる普遍的価値や平和の大切さを学ぶ機会が制限される、と原告側。だが余は思ふに明治34年山梨県第二中学校として創立された学校は将に明治23年発布されし教育勅語に則った舊制中学であり、学校が1945年の「革命」を経ても存続していることぢたい「何も変わっておらぬ」事由。本来ならこの校歌の歌詞変えるなり校歌廃止どころか戦前の旧制中学といふ存在ぢたい廃校にでもせぬ限り「精神」払拭されず。県下有数の進学校として学校の伝統は伝統として慮り一方にて校歌のみ戦前の国家主義と否定することに矛盾あり。だが最も嗤はれるべきは現職校長T君にて新聞の取材に対して「教育勅語を歌いこんだという根拠はなく、歌詞は象徴天皇と解釈している。八十年以上歌い継がれてきた思いも大事にしなければいけない」と発言。唖然。望ましき発言は「教育勅語を意味すると指摘の点もわかるが、八十年以上歌い継がれてきた思いも大事にしなければいけない」だろうか。教育勅語を意味することは誰の目にも明らか。それを優柔不断にも「象徴天皇と解釈」とは(笑)。戦後の日本では憲法では天皇が「勅」下々に給すことあり得ぬのだが……。これぢゃ右翼からは神尊なる我が国の伝統、教育を戦後的に歪曲、と非難され、左翼からは保守反動の詭弁と非難され、結局窮地に追い込まれるは校長ご本人。これが戦後教育の弊害なのかも(笑)。ちなみに余の在籍したる明治六年創立の公立小学校も県下二番目に古き小学校とかで校歌も実に国家主義的に荘厳勇ましく校歌二番に「ともに励まむ国のため」といふ歌詞あり。余が小学の頃には「校歌」は一番と三番のみ歌わており子ども乍らに勝手に「三番全て歌うと長いからの省略か」と理解していたし校歌とは別に子どもに歌い易き歌詞と曲の「健児の歌」なる歌あり。こちらが校歌に替わりよく歌われていたもの。今にして思えば校歌の二番省略はこの「ともに励まむ国のため」が事由であり校歌に替わる健児の歌も校歌の国家的なる歌に「児童教育上好ましくない」といふ戦後的な配慮の末のことのはず。ちなみに隣りの小学校、敷地は藩校弘道館に隣接するゆへ国学的なのも当然かも知れぬが校歌は「我らはここに学ぶ身ぞ 林の梅に鑑みて 嵐を凌ぎ雪に堪え 芳しき名を世に立てむ」と、当世小学生の親でも意味理解できず。
▼築地のH君よりサイモン&ガーファンクルのうちガ君スピード違反から「たかだか」大麻所持見つかり逮捕。ガ君ほどの人が今更大麻で逮捕もあるまひ。せめてものお笑いはガ君「自分は有名人だ」といって身分証明書を警察官に提示。H君「アメリカも住みにくくなりましたな……」と。全く。
■三月の歌舞伎座。昼の部は先代萩は花水橋(魁春の頼兼と松緑の谷蔵)……これは興味ないが、竹の間御殿で音羽屋の政岡に菊之助の松島、すっかり菊五郎劇団入りかと段四郎の八汐、それに栄御前が芝翫といふのは興味深き配役。「床下」は高麗屋の仁木弾正に富十郎の男之助は特に興味ないが神谷町の藤娘は「観ておくべき」、恋飛脚大和往来は御存知新口村、松島屋の亀屋忠兵衛に京屋の傾城梅川、これは観ておきたいところ。夜の部は忠臣蔵高麗屋が内蔵助なだけで余はウンザリだが而も演目がが「大石最後の一日」とは偉大なる近代心理劇展開か。「達陀」は音羽屋の親子に松緑菊五郎松緑をどう育てるか大変なところ。義経千本桜は小金吾討死から鮓屋、体力十分でか松島屋のいがみの権太、小せんに秀太郎、娘お里が孝太郎と松島屋のお芝居、左團次の景時は適役か。