富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

甲申年正月初二日。

甲申年正月初二日。ランニングクラブの面々と朝に黄大仙。老朽化せし公共団地撤収しすっかり「美観」となった黄大仙廟に参拝(写真)。ミニバスでやはり老朽化し取り壊されし公共団地・沙田峠邨まで行き沙田峠の坂道上り獅子山(Lion Rock)に登る。曇り空に霞む九龍の市街一望し(写真)獅子の背(写真)より獅子の頭(写真)を歩き沙田の吐露湾見下ろす望夫岩。子を背負い帰らぬ夫待つ妻のように見える奇岩、落書きも呈わ(写真)。落書きは今見れば醜悪かも知れぬが二千年経ってみれば古代人の落書きにて史跡指定かも。大圍に下り芸能博奕金儲け何でも御座ひの車公廟参拝(写真)。縁起物の風車売る屋台も色鮮やか(写真)。沙田まで歩き夕方に龍華酒店にて鴿の丸焼きなど定番食す。ホンハムの駅舎の星巴珈琲に寛げばZ嬢の大学後輩のH嬢に遭遇。帰宅して薬湯につかり『世界』読む。ジン(Plymouth)にポートワイン(Taylorの95年)を4:1で氷からませ一飲。これは色彩も美しく極めて好味。晩に正月の花火あり。寒さ厳しく折からの雨では花火も映えず、か。秋庭俊『帝都東京・隠された〜2』読む。記述に気になるところあり「四谷という地名は(略)四方に谷があったことに由来している」と此処まではいいが「しかし、首都圏在住の方はご存知のように、いま、そのような谷はどこにも見当たらない」とは。この「首都圏在住の方はご存知のように」も要らぬ一節だが、四谷に谷がないなど、と……四谷の新宿通より一歩入ればお岩稲荷から「若葉」も、荒木町、三栄町と緩やかな坂が続きその向こうが「坂町」と神楽坂より四谷にかけては地名町名とともにかなり隆起矯しき地形今でも残る界隈なり。
▼雑誌『世界』一月号にて教育基本法について碩学姜尚中教授「戦後のねじれがもたらす危機」なる一文にて曰く(カッコは富柏村による参照)「いままでの五五年体制に合致した地方社会や、社会への所得の再分配や教育資本を初めとする様々な再分配装置が、もう機能不全に陥っている」のが現在で「これは明らかに自民党政治の限界」であり「農村型でない都市型の、しかもポピュリズムが生じやすい、そういう人口構成や社会構造が、いまの日本で非常に顕著に顕在化しつつある」のであり、経済的にみれば(その再分配を強引に行うためのバブル期の)膨大な住宅投資がバブル崩壊で「資産デフレに陥り、茫然自失している」なかで「そういう都市型住民のいろいろなルサンチマンの捌け口として、ある種のポピュリスト的な人々(⇒石原慎太郎)やメディア(⇒文藝春秋や読売)が機能している」「そのような都市型の住民を中心とする、ある種の愛国主義的志向が、受け皿になりつつある」のであり「本来、日本のウルトラナショナリズムは、農本主義と言われている通り、疲弊した地方社会から出てくるはず」のものが「ナショナリズムは、都市の中心(東京)から起きて」おり「これは、明らかに、持たざる者のイズムではなく、一度は資産デフレを経験したことのある中間層の、ある種のルサンチマンがその根幹にある」こと。そしていま日本は「二つの問題で国家はその正当性を問われて」おりそれは「治安と、安全保障」(⇒佐々淳行)で「国家が福祉国家としての正当性を担保できるような機能と役割を果たし得なくなった時に、国家の存在意義はどこにあるか、と考えると、端的に言えば、治安と軍事ということ」になり(⇒小泉、石破)、「この問題が突出してあらわれたのが北朝鮮の問題」である(⇒安倍晋三)、と姜教授。本来、こういう喪失の時代にあって「よりどころ」は憲法教育基本法にあるべき(姜教授)だがその本来のConstitutionたるべきものが民度の低さゆへに何の価値も見出されずただ「改正」などとまるで伊勢神宮遷宮で建物新造し装束神宝新調し神儀ばを新宮へ遷さば世が泰平となるが如き発想。