富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月九日(金)曇。少し寒さぶり返す。或る仕事にて普段かなり温情厚しと感じていた数名が些細な業務につき信じられぬほど利己的、薄情なる実性をば見せつけられ何故にかふまで勝手になれるものかと裏切られた感あり呆れ怒り通り越し悲しく暗澹たる思ひ。iPodへの録音作業にてかなり古い、最近聴いておらぬ曲いくつもあり。例えばBoz Scaggsの「Middle Man」で、もう四半世紀も昔のアルバム、TOTO(便器に非ず)の演奏にて見事なる楽曲、当時、SonyのテレビCMにこのアルバムより「Breakdown Dead Ahead」なる曲用いて「紐育の朝はロックで始まる」といふコピーに当時は余も「そうか」と感じたもの。Boz氏の歌唱、歌手の歌なるもの音程は人により多少の♯、♭ありそれが気になるのだが、Boz氏の場合、彼の多少♯気味の音程がこれがまた心地よし。前述の不快の気分転換にと早晩にジムに馳せるが多少の運動にては気も紛れず帰りしなコンビニにて麦酒立ち飲み。夕餉に菊正宗コップに二杯飲み文藝春秋二月号一読し更に暗澹たる気分のまま早寝。
文藝春秋なるもの、菊池寛の廿世紀での日本の文芸、思想界に於ける害悪甚だしきこと真なり。荷風先生早く見出した如し。文藝春秋といふ総合誌も見開きより一見上品なる写真、広告記事続き本文となり著名なる方々の随筆より始れば、二月号でいへば、阿川弘之君のイラクにて「亡くなった二人の外交官……、「テロに屈してはいけない」と言つてゐた人たちの素志を、言葉でなく行動で継承し、事実日本が、テロリストどもの脅迫に屈伏せぬ一人前の近代国家であることを、世界に示す絶好の機会」と近代国家なるものへの誤解甚だしき論評。漢学の碩学白川静先生すら文藝春秋では「文字を奪われた日本人」と戦後の日本が米国主導により日本の、東洋の文化と歴史の基を損ったと陳腐なる御節。今求められるべきは狭い文化伝統主義に非ず、泰西だらふが支那、日本だらふが博い視野から全てを体現できる輩であり、戦後なるものを単直に米国支配で日本の伝統が損われたなどと理解するべきでない。米国があろうとなかろうと岸田秀的に言えば幕末にアイデンティティの崩壊あり<個人>なる思想の流入にてどうにか知識人的には明治、大正は自己統一できたものが戦争に向かふ過程で国家規模で崩れたのであり米国の所為になどするは余りに利己的なる免罪。それに続き公明党依存脱却し憲法改正し真の国家になるには「自民は民主と大連立」せよだの、昨年好評博した?「父が子に教える日本史」といふ幻想的行為で過去をば語ったら二月号では視線を将来に据え「次の十年」はこうなる、と、水木楊なる作家の文章一瞥すれば、イラク派兵にて自衛隊に死者が出て公明党離反 自民党内で反小泉勢力が加藤紘一担ぎ反乱、民主・共産・社民による内閣不信任で衆議院解散、小泉失脚し民主党公明党連立で菅首班、折から日本が国連常任理事国入り打診あり憲法改正めぐり解散、民主党割れて小沢「新憲政党」旗上げ、最後のチャンスに打って出た石原慎太郎「日本独立党」が新憲政党と連立し終に憲法改正国民投票となる……と。これを読んで余の耳にはピンクフロイドの曲が流れるばかり。頁めくり読者の投稿には神奈川県の坪井和也君なる19才浪人生の投稿あり高校教育は「日教組教育と左翼偏向報道の影響」がひどく、修学旅行のアルバムには広島の原爆ドーム前でのVサイン、無邪気な「ピース」連呼があり、この青年はこれを「連合国側の勝利のVサイン、その彼我の差にこそ注意を凝らすべき」で「権力が轢死を壟断したような戦後教育のおぞましささえ感じる」と。十九の何も知らぬ小僧にこれだけの言説あり。一九のガキにここまで言われ、世の大人ども、自らが懸命に生きた戦後半世紀はそこまでひどいものなのか、と何故、怒らぬか。寧ろこれを読み「最近の若者はよくわかっている」などと安堵するのなら(と、それが文藝春秋の読者だが)それこそ彼我の己の生涯に何ら栄誉もなき自虐主義なり。