富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月初三日(土)晴。昨晩遅く16歳の頃に読んだ「チボー家の人々」の序章「灰色のノート」読み返し懐かしさ一入。今日は朝から昼まで不在中の新聞読む。昼すぎジムにて有酸素のcardio運動にてトレッドミルにて6.5km/h、15度の傾斜で三十分。午後遅く九龍某所にて高座。帰宅。鯵の干物、モツ煮、白菜の漬け物に味噌汁。昨日のキャセイで供されたものの飲まずに持ち帰った「白鹿」一合。大西巨人神聖喜劇」第六部少し読む。
▼元旦に元朗の台湾産蘭花の温室で放火か火災あり。この蘭花園の経営者が千葉寿史さんといふ八旬過ぎた方で八十余歳といふ高齢ながらこの日剰お読みの方はご記憶あるだろうか十一月廿三日に綴った、KCR西鉄の天水圍站前の「千葉跳蛋市場」といふ名の「千葉のフリーマーケット」、てっきり千葉県と何か関わりが、と思ったがこの千葉寿史さんの経営と識る。台湾産の蘭の花は香港にて愛鑑され殊に旧正月には蘭の花飾る風習ありこの時期に蘭の温室での火災といふのは偶然とは言へまひ。
▼首相小泉三世の靖国神社「初詣」あらためて新聞の小泉発言読めば「なぜ元旦に(靖国)参拝したのですか?」といふ問いに「初詣でという言葉があるように日本の伝統じゃないですかね。多くの各地の神社にお詣りしています。いいことだと思います」と日本といふ国家の首相としての立場での靖国参拝と風習としての近所の神社仏閣への初詣での区別など出来ておらず。しかし小泉三世の「平和のありがたさ、これからも日本が平和のうちに繁栄するように様々な思いを込めて参拝しました」といふ言葉には「本人にしてみれば」嘘はないのであらふ、本人はそう信じているところがこの首相の単純なところ。翌二日には歌舞伎座で昼の部「義経千本桜」鑑賞の首相、靖国の初詣も新春歌舞伎の芝居見物も同じ感覚かも知れず。
▼話は昨年末のことだが居酒屋「和民」が同業「魚民」を赤字に白抜きの看板や紛らわしい店名の使用につき渓谷し「魚民」が反発し「和民」側に損害賠償求め提訴。「和民」については「民に和む」にはどうも店名の音に和みがなく献血中に「和民」の看板眺めていてふと気づきしことは「わ」といふ音読みに「たみ」といふ訓読み据えた造語故にて何故このやうな音の坐り悪き名にしたかといへば経営者が渡海氏と合点いつたことは数ヶ月前この日剰に綴つたが(だが本来「和民」などといふいかにも造語見たら「和平党」だかと「民主党」の連立か、としか思えず)、「和民」も和民なら「魚民」も魚民で、「魚民」はまだ「うお」に「たみ」と訓訓で法則上は坐り良いが通常これは「ぎょみん」で漁民のはず、「和民」がまだ無理に「民が和む」と読み下せるのに対して(だが本来は「民和」だが)「魚民」はそれも能わず(民が魚す?)、「魚民」では民助(たみすけ)なる男の営む魚屋「うおたみ」としか思えず、これでは「和民」の魚貝版狙ったかと思われても否定できず。まあ「魚民」が「ぎょたみ」と音+訓読みであれば間違いなく「紛らわしい店名」だが。いずれにせよ「和民」が渡海氏といふ経営者の名と「民が和む」といふ意味づけに対して「魚民」側にそういった由来、意味づけ乏しきことは「魚民」側明らかに不利。どうであれ「和民」だの「魚民」といった、漢語の意味も和語の美しき響きもなき名をば冠る店に何ら不自然も感じぬ者相手の商売ゆへ。