富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

親展

一月初二日(金)晴。病院に叔母見舞い妹の車に送られ鹿島灘を下り昼に成田空港。第一ターミナルのえびす亭なる拉麺屋に入れば店内の壁に「外部よりの持込み飲食お断り」と書かれており其処に何故か大きく「親展」と(笑)。成田では親展はおそらく「とても重要なお知らせ」といふ意味か。契太(Cathay Pacific)航空451便にて台北経由にて香港。本日の香港直行便全便満席で台北経由としたが空港で尋ねれば直行521便に空席あり、と。変更も可で直行便も聞けば機体はA330-300と内装は新しいはずだが97年だかに故・羽左衛門丈の歌舞伎見に高雄訪れて以来の台湾にて台北も96年に訪れて以来のはず、空港だけでも台北に寄りたければCXのB747-400の二階席なら長い時間乗るのもまた可といふ飛行機好きゆえの心境もあり台北経由。成田のラウンジにて昨日の香港の新聞でアニタムイ逝去の続報読んでいたら香港ジョッキー倶楽部の前・主席アラン李福深氏も三十日に逝去と知る。台北への機中で今日の香港の新聞三紙に目を通し蘭医桂川甫周の娘・今泉みね著「名ごりの夢」読了。明治の当時の浅草に歌舞伎芝居見に行く日の前の晩からの心浮き浮きとした様、当日の芝居茶屋から芝居小屋に向う気持ちの高揚など確かに医師N兄の云う「ハレ」がそこにあり。著者は自分が見た歌舞伎役者のなかで沢村田之助を絶賛しているがこの脱疽となった女形の脚切断したのがヘボン博士だったとは。アジア風精進料理を肴に「白鷹」一合。台北中正機場蒋介石国際空港に到着し一時間半ほど機内にいても空港に降りても何れでもと客室服務員に云われ但し確認したところ空港のラウンジの使用は出来ず、とのこと。機内に残っても清掃などされて埃っぽいのも厭、空港に降りれば空港の器は旧態依然だが内部は改装されかなり明るくなり免税店の充実はかなり。ウヰスキーやブランデーの充実は成田にかなり勝り成田でサントリーの「山崎」買ってはいたが愛飲する「Macallan」の12年物と「Bowmore」15年をば購ふ。時間持て余しダメ元にてキャセイのラウンジ訪れれば受付のいかにも柔和そうな職員が「どうぞご利用ください」と。香港空港のラウンジを同じコンセプトで小さくした感あり使い勝手よき空間。香港と同じヌードルバーあるが牛肉麺食せば香港よかヌードルバーの格はかなり上。飛行機に戻り先程の客室乗務員「お帰りなさいませ」って新橋のバーじゃないんだから(笑)、ラウンジ使用できたこと伝えると「そもそもなんでダメだって云うのでしょうかねぇ」と乗務員。余が「きっとトランジットじゃないからでしょうし、ラウンジが混雑してる場合のこともあるのでしょうね」といったいどちらがキャセイの職員がわからず。江藤淳先生の「妻と私」文春文庫読む。表題作の江藤先生が愛妻をなくし自らの死を覚悟してなのか余りに精緻なる筆致に落涙禁じ得ず。江藤淳自殺の報受けかなりの作家や文芸家がそれについて文章を残しているが殊に田中康夫江藤淳追悼の文章は一読に値するもの。絶筆となった「幼年時代」は今読む所為もあろうがその「妻と私」に比べかなり文章が熟れておらぬのは死を覚悟しての動揺なのか江藤淳氏自身の病状悪化の所為なのか計り知れず。江藤淳がその落ち着きぶりから大正生まれの高齢のように思っていたが石原慎太郎文藝春秋に掲載された追悼文「さらば、友よ!江藤よ!」のニュアンスの通り実は昭和七年生まれで石原慎太郎の一つ下。月刊「太陽」などで鎌倉の自宅で上質のセーター着こなし妻の拵えた肴で酒を飲む姿があまりにもしっくりとしていた為に老けた印象だったのか。月刊「世界」読んでいる間に香港着。先程の乗務員に別れしな「直行便はお選びにならなかったのですか?」と尋ねられ飛行機に乗る時間は楽しく読書にも最適にてちょっと長く乗りたかったものですから、と答えるが実は単なる旅客機好きが真実。Z嬢の出迎え受ける。香港は大気澱み靄が鬱蒼。帰宅して荷物片付け実家の書庫より運んだ岩波文庫の昭和46年の南総里見八犬伝十巻、羽仁五郎の「都市の論理」だの矢野健太郎の高校数学「解法の手引き」だの講談社ブルーバックスの都築卓司「四次元の世界」だの岩波新書で蒲生礼一「イスラーム」、それに「チボー家の人々」など、二十年以上前に読んだ(或は買っただけで読まぬまま)の書籍三十冊ほどトランクほぼ一つ分の古書をば整理、深夜に至る。