富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十二月卅一日(水)曇のち晴。朝寝きめこみ朝遅く叔母の病院。病院に来られていたS叔母を車で高速道路は三十分ほど、家に送る。S叔母の家訪れるは実に十七年ぶりか。帰宅してワイシャツの生地とお仕立券あり百貨店へ。芸術館にて昨日と同じ午後二時に写真何枚か写す。東京より従兄弟のS兄参られ駅に迎え叔母の病院。叔母を看病する従兄弟のT君に、マスクなら、と香港にてマスクにはかなりの知識と経験からユニチャームのマスク購いお渡しする。早晩にS兄とこうして会うも珍しきことと鰻の蒲焼きでもと思うが老舗の中川楼、鰻亭、ぬりやから駅前の鰻屋まで晦の営業の有無確かめる市内の鰻屋年末にてすでに休み。それぢゃ晦ゆへ蕎麦でも、と「みかわ」訪れるがさすがに満席順番待ちの盛況に断念。折から那珂川の河原にて何故か晦の季節外れの花火。開催意図理解できず。駅のそばの国鉄経営のホテルなら食事も可かと訪れれば和食は正月パッケージで宿泊の客で満席、軽く西洋料理。二千円にてこれだけ料理出していったいいくら儲かるのか、と他人事ながら気になって仕方なし。S兄を駅に送る。S兄には次回は東京は北千住にて酒処「大はし」に「バードランド」で焼き鳥を所望。帰宅する道すがら大晦日に閑散とする大通りと人の気配もなき裡通り。余が幼き頃には蕎麦屋ばかりか魚屋など除夜の鐘まで営業し余もやれ売掛けの集金だの配達だの、新年のお飾りを買って来い、近くの水雷神社にお賽銭あげて来い、と遣いに走り、商店街の歩道溢れむばかりの人出深夜まで絶えず、母は紅白終った頃に美容室に参って正月の髪つくり、深夜には、あれは神崎寺の鐘、あれは信願寺の鐘、と除夜の鐘が静かな市街に鳴り響き、その頃には元朝参りの人が出かけ始め……車で市街を流せば当時の活気さまざまな風景にて思い出され思わず涙。年末より正月を日本にて過ごすは香港に住う十三年にて実は初めてのこと、しかも郷里にて過ごすは廿年ぶりか記憶すら辿れず。大晦日の特番テレビ鑑賞。酒は奈良は新庄町の「梅乃宿」。猪木の、藤波引退発表での「突然」の猪木藤波の師弟対決は猪木は藤波君の首〆に「突然」意識失い因縁の師弟対決は猪木の通算六勝一引分けで藤波に初めての勝利か!、だが猪木あってのこの特番が猪木担架にて運ばれ藤波も唖然とするが猪木「突然」意識戻り回復し藤波にメッセージ送るが、さすがに猪木信者結集する神戸の会場も「シラ〜ッ」と歓声もなし。プロレスの演出は赦されるが猪木を用いて日本といふ国家に元気を、などといふ日テレの茶番の浅薄さなり。曙はTBSの視聴率といふ崇高なる目的のためボブ=サップ相手の勝つはずもなき「対決」。TBSによって生贄となった曙。曙との一戦終えた撒布選手が「予定通り」にハワイにあるタイソン君に「次はオマエだ!」といふ台詞吐く場面あり、本当に簡単な勝ち名乗りなのだがそのボブ撒布選手の平易な英語に観衆反応せず、その上、間抜けは番組とは全く似合わぬ真面目な同時通訳の女性、その政府高官のコメントの如き通訳。NHKの紅白見れば和田アキ子の迫力ある「古い日記」の歌唱ぶりに、ボブ=サップの本来の相手は和田アキ子の他なし、と思ったは余ばかりぢゃありまひ。紅白など見るのは何十年ぶりか、スマップの諸君がトリで世界でナンバーワンにならずともよし、もともと特別なオンリーワンであればよし、と槇原君の歌を歌ふを聴き、これは護憲の歌か、と。いずれにせよ日本は崇高なる理念なり謳ふオンリーワンではもはや非ず。紅白の最後にて司会のNHK職員が〆めの言葉に嘘でも幸せなる未来だの平和だの本来語るべきところで「テレビが素晴らしき未来を作り出していくことを望んで」と結ぶ。さすが会長が海老沢らしき〆の文句、この海老沢君が郷里の出身かと思えば恥ずかしき限り、海老沢君はさすが橋本登三郎の子飼らしく利権誘導も登三並み、母の話ではNHK支局の地元局舎立替えと郊外への中継アンテナ新設を退職禅譲前に実施中とか。日本のマスコミの三悪はネベツネ、海老沢と余が呟けば横にいた母が「それと日経の鶴田社長」と、何ゆえ鶴田君を御存知かと母に問えば恥ずかしきことに鶴田君まで郷里の出身、而も「確か鶴田はん、富坊の高校の先輩やで」と母。唖然。年が明け、お湯から出た父に「おとーちゃん、ちょうど高野山、テレビで流れてはるるで、御酒で新年の乾杯しよか」と酒を注いで渡せば「梅乃宿」の瓶見た父曰く「このお酒、高野山のお寺さんから貰らふたお酒やで」と。勿体ないお酒を頂いていたものだと有難いかぎり。深夜眠れず「朝生」見る。