富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2003-12-30

十二月卅日(火)晴。Z嬢よりの電話でアニタ=ムイ梅艶芳の逝去知る。某銀行Y君よりロイターの香港電転送され早朝に癌の悪化による肺機能低下で死亡、と。癌の疾患をば公言し十一月にリサイタル六晩だか続き是非観たいといふ気持ちとこれまで一度の観てもおらぬ者が「これが見納め」といふつもりで観ることに道義的に納得いかず観ず終い。四歳だかで今はなき遊園地茘園の敷地内にて箱を舞台に歌い始め天才少女と云われお嬢は芸能界にデビューし香港の成長とともに歌謡界の大姉御、四十路に手が届くかどうかといふ歳でまさかの癌の疾患、それを公言しての精力的なる活動の再開……とまさに香港のひばり。だがひばりが頂点極めた後に一線より退いて闘病のあと復活しやはり女王と人々をば唸らせて昭和の終焉とともに逝去したのに対して梅艶芳はひばりでいへば「ひとり酒場で飲む酒は」と歌唱力が円熟した頃での逝去。残念無念なる不世出の女歌手。母の買物に付き合い百貨店に向う途中、水戸芸術館にてオノ=ヨーコ展の開催を知る(写真)。会期中ながら年末年始にて休館中。父の名義にて契約した携帯電話の契約変更済ます。また芸術館通ると人は誰もおらず、午後のすでに西へと傾いた陽射しは百貨店の建物の影を芸術館に投じ芸術館の建物、普段は磯崎新の建築は何も飾らぬのだが、その建物の中央正面に、中庭から真っ直ぐに、白い大きなメッセージボード際だたせる(写真)。そのボードには WAR IS OVER と。ジョン=レノンのメッセージもイラク征伐だののこの世に虚しく響くがそのメッセージの大書きの下に近寄れば if you want it と。平和を望まぬ人がいるから、平和になっては政治的に経済的に困る人がいる限り戦争などなくならず。帰宅し、父の指図で祖父の蒐めた書画、親交受けた文人軍人画家らよりの手紙など整理。書画は何といっても春水、戦時の疎開の便宜図った鴨下晁湖よりの手紙、版画は川瀬巴水、巴水の描く夜の帝都東京(とうけい)の近代の町並みに寿司屋の屋台と「東をどり」の行灯看板、いくら見ても飽きず。午後に入院するK叔母を病院に見舞ひ。銭湯に一浴。再び叔母の病院。病院へと迂がる交差点で信号待ち、ふと交差点に、もう卅五年ほど前だったか、叔母が馴染みだった「K」といふ名の喫茶店あったこと突然彷彿。この交差点には地元では有名な「Monde」なるケーキ美味なる喫茶店もあり、だが叔母はその「K」に駅より汽車出るまで和んだのであらふ。帰宅してテレビつければ、昨日、星野監督にあれほど巨人の驕り指摘されながら(どちらの収録が先かははかり知らぬが)仲居君は日テレにて巨人ヨイショ番組に出演。夜中に眠れず柳沢慎吾君の唸る如き芸人ぶり観る。