富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十二月廿九日(月)晴。ホテル引き払ひ。旅鞄あり預け請えば寄宿の際は預かっておいて受付の女コインロッカーをお使い頂くかロビーに団体の荷物のように網被せ置いておくことになります、と。寄宿の際は職員が荷車で旅鞄をば懇切丁寧に何処か荷置場まで運んだものと説明するが埒開かず。新宿駅までタクシーで荷物運ぶがコインロッカー少なく満杯にて山手線にて上野。辛うじてロッカーあり荷物仕舞って浅草。傳通院のあたり歩いて浅草寺裡に参り母にきんつばをみやげにと「徳太郎」に参るが今日まで三日間正月の祝い餅の注文捌くためきんつばは明日と大晦日に発売、と。残念。鹿の子など購ふ。千束の通りの「千葉屋」で大学芋購ふ。花屋敷遊園地の界隈を一遊。浅草寺に参拝。暮れの浅草寺仲見世の人出も昔知る者にはこのようなものか。昼に比べ行列も短くなった「大黒家」。行列に並んでいると店から出てきた一見して田舎者の客が余のひとつ前の夫婦に「ここは値段は一流だけど味は大したことないね」と一言。余の前に企つ夫婦は笑って何も答えずが田舎者の一見の客にしてみれば天婦羅の常識的からして大黒屋の衣多くねっとりとした、甘いタレのふんだんにかかった天丼など、この男、千葉か何処かの浜の者なら確かに漁りたての魚貝の天麩羅などに比べれば「なんで東京の天麩羅はあんな味なのけぇ」と呆れるも確かに道理あり。だが大黒屋ほどになると、その本来すべて否定されるべき天麩羅の非常識も大黒屋らしさ。祖母に連れられて幼き頃「大黒屋」に来た者にはこの千葉の浜の者の指摘にかかわらず、ただ懐かしき味。「まんなか」の天丼。熱燗を飲みつつ「名ごりの夢」読み天丼届いたところで海老天を肴に熱燗飲み干しゆっくりとかき揚げで天丼食す。口直しに「梅園」で豆かんと粟ぜんざい。合羽橋のほうを歩き通りがかりの床屋にて散髪。たまの床屋は顔剃られ爽快。上野より列車にて郷里に戻る。父母と「みかわ」といふ手打ち蕎麦屋。スマスマなど見る。阪神元監督星野君が巨人ファン仲居君に対して巨人、巨人といふが他チームの一流選手を億の単位の金で買収し強いチーム作り、それで勝った、勝ったと……巨人ファンは平気なのか、と指摘すれば仲居君「でも巨人はスーパーチームが夢だから」とせめてもの反論、だが星野氏は「それなら選手をみずからのチームで作ってこそ巨人。他のチームの一流選手集めて強いのは当然、それで「勝った、勝った」と浮かれていていいのだろうか」と。仲居君に対して「あなたは発言力のある人なわけだし、あの局(=日テレ)にも招かれて中継の解説とか出てるのだから「勝った、勝った」じゃなくて、巨人はどうあるべきなのか、野球とは何なのか、を野球のことなど全く解らない経営サイドに聞こえるように言わないと」と辛辣なる提言。仲居君がそこまでわかっていたら巨人ファンなどしておらぬのだから星野君の指摘は通じぬであろうが。それにしても年の瀬にアントニオ猪木ばかり。猪木ビンタされて喝を入れられたと歓んでも世の中何も変わらず、は長嶋の野球と一緒。