富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2003-11-23

十一月廿三日(日)快晴。朝五時に起きタクシーで銅鑼灣摩頓台のバス総站。Z嬢と六時丁度の天水圍行きの始発バスで長距離バスもここ数ヶ月の相次ぐ転落横転事故あり一応制限速度守り一時間余で天水圍、NIKEの香港10km挑戦賽03に参加。十数年前に曾ての産経新聞香港特派員で当時長野の某公立短大で教鞭とられていたI氏に誘われ流浮山に海鮮食そうと上水よりバスで元朗から流浮山に向かう途中、この今で云ふ天水圍のあたりが大規模な宅地開発という話ありこの殺伐とした丘陵と湿地帯どう開発かと猜疑ってから十数年、多くのマンションだの団地だの建ってすっかり郊外の市街地と成る。このNIKEの10km、昨年は蘋果日報などある将軍澳の工業団地で遠いが一応は油塘の地下鉄站よりシャトルバスあり、今回は香港でも新界の最も西北にて深センに近い天水圍、不便甚だしきところ、ふと思えばKCRの西鉄が本来は十月に完成予定で、だとすればKRC西鉄の天水圍站より大量輸送も可のところ西鉄の始業延期続く。数日前の天気予報では摂氏15度といふ話が25度ほどの晴天。10kmを肥満、過労と練習不足で56分ほどで走る。天水圍の公園から運動場、天耀邨の団地抜けてKCR西鉄の天水圍站を潜り聚星樓の古塔(写真)。宋代の古塔で香港が英国統治になる遙か昔からこのあたりが登β氏の土地で、この塔も当時の繁栄の象徴ながら今では高架線の鉄道駅の真ん前になり果てつ。この古塔の手前の空き地にとつぜん「千葉跳蛋市場」といふ名の「千葉のフリーマーケット」なる催し物屋開業(写真)。なぜ千葉か(笑)。この建物の前の敷地に現在、屋台やフリーマーケットが並ぶブース建設中。いったいどうなることか乞ふご期待。西鉄開業に合せこの聚星樓の古塔にも観光客訪れるといふ算段だろうか。此処から屏山文物徑に入り上章圍の城壁村(写真は村の入口の囲い戸)、楊侯古廟、登β宗祠、観廷書室から洪聖宮と歩き屏山の集落。本日は香港全域の区議会選挙。この屏山は田舎らしく一議席巡り恐らく屏山区でも坑尾村と屏廈路の向いの塘坊村にてお互いから候補者出てかなり過激な選挙戦か、坑尾村の一角の某候補の選挙事務所前では若衆などかなり動員されかなり殺気だった得票分析中。KCRの軽鉄にて元朗。大榮華酒樓に参るが丁度昼時で早茶からの點心続き店内ごった返す。元朗の街中でも区議会選挙の選挙応援かなり烈しく大榮華の前も御用政党民建聯の幟が立つのも偶然か、屏山の料理屋もそうであったがどうも政党、地元団体の選挙絡みの「お振る舞い」の会食での賑わいと思えてならず。元朗の市街は遙かなる郊外であったのが天水圍など郊外に団地できたことでかなりの人出、銅鑼灣の如し。潮州菜の池記、お粥の國記も満杯、鹵水の満記になる店で鹵鴨飯食す。古り玩具店トミカのミニカーかなり並びホンダのスーパーカブを購う。子どもの頃に父だの家業の店で働く若衆にこのスーパーカブの後ろに乗せられ、当時はヘルメットも原付の二人乗り禁止もなく、街を爽快に流した記憶。午後かなりギラギラとした陽射し浴びつつバスで昼の麦酒に酔い爆睡してる間に小一時間で一路、天后。帰宅途中に我が居住区の区議会選挙にて投票。我が選挙区も元朗の屏山の如し。巨大な団地は地下鉄に近き「下」と山に近き「上」あり、この上下よりそれぞれ候補者あり、つまり上の候補者当選すれば上新田の道路だのバス停だの改善され下新田なら下新田の居住環境の整備と実に貧困なる村選挙。余は上新田の居住ならが我が地区の候補者(現職)はどうも名誉職でロータリー倶楽部か松下政経塾で学んだ程度で世の中を達観したが如きの御仁、どうも一票を投与する気になれず、それに対して下新田の候補(新人)は無党派ながら民主派で七一デモでも積極的な動き見せ、この新人に一票を投ず。ちなみに香港の選挙、投票時間は朝の七時半から夜は十時半まで。夜の報道で投票率平均34%というのを見てからもまだ投票に行けるほどの時間帯の便。帰宅してさすがに疲労もあり睡魔に襲われ午睡。網上のreal.comつければラフマニノフのピアノ協奏曲三番の最終楽章の本当に最後の16小節ほど流れ力強くテンポ速い演奏に誰かと思えばホロヴィッツ。晩に卵焼き、きんぴら牛蒡、鮭の漬け物など肴に一飲、蕎麦を茹で食す。百年ぶりに『武蔵』見る。筋が散漫。役者も真田幸村役の中村雅俊見て台詞の棒読みぶりに驚き曾ての花神での高杉晋作役、おのう(秋吉久美子)相手のお座敷での粋な芝居ぶり彷彿。花神こそ高杉晋作ばかりか、梅之助演じた大阪の適塾に通う村田蔵六大村益次郎)、伊藤博文(尾藤イサオ)、吉田松蔭(篠田三郎)に山縣有朋西田敏行、そして圧巻は米倉斉加年桂小五郎と幕末の薩長土佐が舞台では散漫にもなるキライあれどそうはならず。
▼最近、奇っ怪なる人多し。先日の聖ペテルブルグ交響楽団の演奏会中に毛糸編みする夫人に続き昨日遭遇せしはかなり混雑する地下鉄の車内にて立ったまま無心に刺繍する女。かなり仕草も大胆にて大きく振り上げた手に針が四方八方に伸びて恐ろしく周囲の客は刺繍女から距離置くほど。テロより怖き市民。奇っ怪といえば余の同じマンションの棟に潔癖オバサンおり。マンションの出入りなどいっさい扉だの暗証番号のキーに触れず。誰かが現れ押すのを待ち、その扉の開いた隙きに素早く出入り。いつも鼻にはティッシュ当て外気の塵埃も遮断と徹底。今日、投票の返りに見ればやはり移動は多数の者と同乗するミニバスなど避けてタクシーだがタクシーも扉の開閉は運転手に任せ扉など一切触れず。だがこの清潔オバサンにとって唯一の不便はエレベータにて誰も来なければG階はまだしも自分の居住階は鈕押さねばエレベータ止らず帰宅時も自分の階を押す必要あり。この時ばかりはさすがに鈕に触れぬわけにはいかず仕方なく手を出すのだが不潔なる鈕に触れたくないオバサン、ご丁寧にティッシュで鈕を押すのだが、これが呆れるのはそのティッシュ、外気から鼻を押えていたティッシュで鈕押すとまた鼻にしっかりと当てる(笑)、鈕についた黴菌吸うが如し。鈕にも清潔オバサンの鼻汁など付着する不衛生もあり、こういった清潔ぶった輩にかぎり実は不衛生さに気づかず。恐ろしや。
▼ちょっとしたことだがロールスロイス社の社長がBMW傘下となっての初の産品「ファントム」の発売にあたり東京モーターショーでのファントム紹介で「ドアは観音開きを採用しました」と言っているのだが(朝日他)、おそらく“double door”といった表現しているのだろうが、それを観音開きと日本語訳すると、東照宮的な派手さが「観音」の音にありロールスロイス仕様の霊柩車、それも名古屋の、を想像してしまふのは余だけだろうか。
▼朝日の書評に加藤周一先生の『小さな花』(かもがわ出版)の紹介あり(評者増田れい子)。世界で一番美しい花は60年代後半の越南戦争反対のワシントンでの集会でヒッピーの女性が自動小銃武装した兵士に隊列に差し出した一輪の薔薇、と加藤先生が述べていることを紹介。それはいいのだが評者曰く「大正半ばに生まれ青春を十五年戦争のなかで送り生き残った氏は権力の外にひらく「小さな花」として生きた。そしてそれがいかに美しく豊饒なものであり得たかをこの本で証明」と。賞め過ぎ。加藤先生の十五年戦争軍国主義から隔絶された東大のキャンパスと医学部、そして空襲が激しくなってからは軽井沢。パルチザンでも亡命政権だの地下政府運動にかかわったわけでもなし。「生き残った」といふのは空襲であれ戦地であれ革命運動であれ命さながら、の場合の言葉でないだろうか。しかも権力の外はそれはいいのだが、加藤先生ほどの御仁が「小さな花」であってはならず、サルトルほどの巨大は花にならずとも、せめて権力者の額に突き刺した一輪挿しか、せめて薔薇の棘がきりきりと権力者を刺すくらいでないといけない。文芸家として美しく豊饒であろうが、だが「小さな花」は「羊の歌」ほどにやはり、いけない。