富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十一月廿二日(土)曇。疲労たまるが休日でも朝早く覚醒るは老いの証し。諸事済ませラフマニノフのピアノ協奏曲二番聴きつつ競馬予想。オーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団でピアノがルービンシュタインの1971年の演奏なのだから競馬予想も曲の旋律に合せ展開が見えるが如く(笑)ついつい全て上手くゆくやふな錯覚に陥る。だがそれにしても何と素晴らしい演奏。昼に灣仔のジムにより昼すぎ九龍湾。馬主C氏の会社訪れ十一月四日のDashing Championの口取りの記念写真頂く。余が口取りさせて頂いただけでももう五回目。C氏の次男B君事務所におり立ち話。先週の惜敗、当然のことだが今季で三勝でratingも上がれば厳しくなるが他の対抗馬とて同じこと、次回はやはりマイルで勝負といふ話。折角九龍湾まで来たのだからとSARSで世界中にその名を馳せたアモイマンションに近い橋桟水餃店訪れるが六七人が外で待つほど。曾て日本の屋台グルメだかの雑誌に担々麺が絶妙と紹介され日本からの客すら来るほどであったが最近の担々麺ブームでこの店も客多し。だが問題は十名ほどの客で満席となるこじんまりした店で厨房も小さく客の注文をこなしきれず給仕もせめて客の順番を確認するなり待つ客の注文を聞いておくなりすればいいのだが何もできず漸く卓についた客も注文はできず注文しても料理届かずうんざりとした表情で、そこまでして並んで待って担々麺一椀食すほどの意気込み余にはなし。アモイマンションの向い、かなり老朽化著しい牛頭角団地の前から美孚行きのバスに乗る。九龍湾から黄大仙、旧啓徳空港、九龍城、旺角……とかなり「九龍らしい」コースだが土曜日の午後で旺角の渋滞著しく漸く抜けたと思えばバスは長沙湾からぐるりと李鄭屋古墳のほう周り結局九龍湾より一時間余かけて終点の美孚。夕方、I君がZ嬢とすでにラグビーのワールドカップ観戦している記者倶楽部に参る。これまでスポーツ観戦なるもの大嫌いであったし今もって国家対抗の団体競技に燃えることないのだがスポーツ見ながら麦酒など飲むことほど何も考えぬ所謂「癒し」他になく(競馬ではそうはいかず)とくに今日の豪州対英国は接戦の実にいい試合。延長の最後で英国がDG決めて画期的な北半球勢初の優勝を勝ち取ったのだがI君に言わせればキック合戦でラグビー本来の攻めて攻めてのトライなきことは不本意と。確かに。蘭桂坊はZ嬢の話ではこのラグビーの中継観戦で酒場に集まった客が多く坂下で通行規制中だそうな。記者倶楽部のバーも英国七、豪州三で歩けぬほどの客の入り、英国ばかりか豪州とて米国に加担しており「恨まれても仕方なき」英豪の人集ふ場所は危険といえば危険か……日本とて加担側なのだが。試合終ってバーも少し静まりダインに移り夕餉。タイ風鴨肉のカレー。競馬はといへばまたもI君が十戦のうち余が自信もなく敢えて避けた唯一の第四場で35倍だかの首騎士なる馬より流して連複当て相変わらずの大穴での勝負強さ見せつけられたがわりあい固い展開続き余も単複購った八戦のうち第五、七〜十場の5つが一着、二つは複勝で入賞せぬのは第一場の一つのみ。大した配当でないがTierce一つとTrio二つ当て、あとは配当にはならぬが3Tも九頭中五頭まで当り、残り五枚の馬券も連複で一つは入っており完全に外したのは結局第一場の単複の一枚のみという好成績。本日地場の二級賽(G2)二戦あり香港スプリントの予選は昨季の緒戦から短距離で六戦六冠と負け知らずの精英大師(Cotzee騎手)が同じく昨季緒戦から六戦五勝一李と絶好調の幸福財星(William騎手)との一騎打ち、精英大師が七勝目。香港マイルの予選は何といっても昨季緒戦から九戦五勝三李一負の幸運馬主、同距離一分卅四秒一の時計では他のどの馬をも寄せつけず。
▼昨日驚く心境を仙臺辧にて「がおる」といふと書いたら村上湛君よりこれは江戸俗語「我折れ」の轉ならずや?と本朝廿四孝で八重垣姫「どうぞ今から自らを、可愛ゆがつてたもるやう……」に応え腰元濡衣「取り持ちせよと仰有るのか。我折れ」とあり、と。我折れ=參つた。こら堪らん。といふ俗語。なるほど。
週刊文春で「私のごひいきベスト3」で渡辺保氏が「現役の劇評家が今日の「ごひいき」を書いては差障りがある」と「昔の」三人の名女形として挙げる。まず三代目の梅玉。敢えて保少年が戦争直後に見た七十歳の梅玉は今日のような美しい女形ではなく「皺だらけの悪声の上に低音」なのだが東京劇場で見た戸奈瀬や玉手御前のグロテスクな美しさ、それが人を夢中にさせ、スケールの大きなまさに芸の格が梅玉にあった、と。次が梅蘭芳。今さら説明も要らぬが高校生の保少年は昭和31年の中国京劇団の来日公演「貴妃酔酒」を歌舞伎座で見ているといふ幸運。当時すでにテレビで舞台中継あり保少年は見逃した覇王別姫を隣の家のテレビで見せてもらふのだが、この共産中国による京劇の訪日はまさに奇跡。一年遅れたら実現せぬ、つまり梅蘭芳が日本で見られることなどできず。中国は翌年に反右派闘争、続いて大躍進制作だの人民公社化だの急速な共産化進め京劇もブルジョア芸術として非難され苦難の時代始まる。その僅か一年前の来日。確か梅蘭芳が六代目だったかの自宅訪れた写真見た記憶あり。で、最後の一人に渡辺先生が挙げたのが、渡辺保なのだから当然大成駒・歌右衛門を挙げると思うのだが今回のベスト3は歌右衛門梅幸より「一時代前の名優たちで少年の私が夢中になった」女形を選んだそうで、そこで挙げたのは新派創始期の女形喜多村緑郎。さすが渡辺先生、か。緑郎、渡辺先生が見た当時ですでに八十歳に近し。若い頃の写真など余も演劇画報などで見ただけだが、そのまま柳橋の芸者にでもさせたいほどの色気。で芝居の立振舞い、せりふ廻しがリアルで抜群の演技力とは、想像するだけでも楽しいところ。