富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十一月十七日(月)小雨。九龍に藪用あり茘景(Lai King)にてMTRをば東涌線よりTsuen Wan線に乗り換えるがふと思えば何度も茘景站にて乗換えしつつ一度もこの茘景で途中下車したこともなく站出てみれば西は世界一の規模誇る香港港の貨櫃(コンテナ)ターミナルが広がり殺伐とした風景、東に乗降客の流れに従えば岩崖に張り付くように建てられた旧型の公共住宅地。帰宅時間ゆえ住人で賑わふがそれ以外の何もなし。これほど周囲から隔絶され企業など一切なければ確かに此処に住まうか知人でもおらぬかぎり訪れる機会もなきは当然か。バスで美孚に下りる。美孚も三十年前に建設された近郊の大型マンション地帯。此処もまた隣の長沙湾、茘枝角の旧市街からは隔絶されMTRとバスのみが美孚を市街と結ぶ。九龍バスの総站が此処ゆえ人の往来こそあり商店街などあるにはあるがBroadwayなどと名付けられた通りもマンションの階下の乾物屋だの青果店、魚屋の並ぶ湿った横町の如し。
週刊文春が「在日外国人の少年犯罪」の「圧倒的第一位はブラジル人」と。このブラジル人は当然、日系ブラジル人都知事はこれに困らぬか。悪の根元は朝鮮人支那人でなければならず、まさか我が同胞の子弟とは……。だが心配に及ばぬは日本での少年犯罪の大多数は当然ながら我らが同胞の日本人少年たちであり、同じ血を引く日系ブラジル人がそれに続いても当然といえば当然。いずれにせよ犯罪を民族で括ることの愚慮。人口が多ければ犯罪件数も多く経済的い苦しければ同様に犯罪件数も多いだけのこと。
▼今日の信報に李登輝嫌いで名を馳せる台湾の、といふより「中華民国の」老練ジャーナリストである陸鏗氏、李登輝先生が来年の総統選挙に向け陳水扁総統(民進党)の応援に大々的に乗り出し「陳水扁が負けたら自分は海外に亡命しないといけない」とまで宣ったこと取上げ、李登輝君の政治姿勢のどこに信頼がおけるかと罵るは李登輝君の半生をみれば日本の皇民化政策で(これを1947年と書いているが当然誤記)岩里政男と名告っていた李登輝終戦後は共産党員となり、それが国民党員となり農相、台北市長、台湾省主席と……この経歴を見れば李登輝の変節ぶり明らか、と。確かに外省人で国民党一途の陸鏗君からすれば皇民→共産党→国民党→民進党支持といふ李登輝君の政治姿勢は変節以外の何モノでもなし。だが日本統治下に生れ日本の旧制の教育受け戦後に共産主義信奉するは当時の知的青年にとっては当然といえば当然のこと、それが国民党の白色テロ時代を迎え台湾で知識人が生き抜くのに表面的に国民党に近づくのも当時の台湾にては珍しいことに非ず(そうでなければ犯罪者扱いか国外逃亡しか手段なし)、その時代が終焉を迎えた時代にかつての赤学生が中道左派政権を支持する、という遍歴に“変節”といふほどの思想的転向があろうか。ごく自然ではなかろうか。確かに陸鏗から見れば憎んでも憎みきれぬ李登輝であろうが陸鏗が老いてもジャーナリストを名告るのならこの台湾の青年李登輝君の思想遍歴はもっと客観的にとらえるべき。ここが陸鏗の「中華民国的限界」なのだろうが。