富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十一月十六日(日)曇。早朝から夕方まで藪用あり。黄昏に尖沙咀に遊ぶ。帰宅しておでん。ギネスの缶と韓国OB麦酒の缶あり何れも瓶ならかなり好むが缶入りは余には格段に味落ちると思え、ふと半々で混ぜてみれば普通に喉越しよし……と書いてふと思うが麦酒を語る場合の「喉越し」とか「味にキレがある」とかの常套句、言葉こそよく使うが具体的に何を意味するのか漠然、かりに自分はそれわかっていても各人夫々かなり具体的な感じ方に異なるものあるのではなかろうか。NHK特集にて「文明の道」の7集?「エルサレム 和平・若き皇帝の決断」といふ番組見る。シチリア王、のちの神聖ローマ帝国王となったフリードリッヒ2世のイスラムとの和平、エルサレムのわずか10年余ながら十字軍の時代の13世紀初頭にイスラムキリスト教エルサレムにて互いを尊重し共存する、まさに叡知に基づく時代。結局それを壊したのは異教徒との融合を批判したバチカンでフリードリッヒ2世はバチカンの送った十字軍に敵とされる悲劇だが、ローマ法王庁は西暦2000年に十字軍の行為に「ゆきすぎ」を認め謝罪したもののフリードリッヒ2世の破門はいまだに覆されておらぬそうな。宗教は人を救ふ、か。『噂の真相』並に『世界』読む。
▼その作家の本手にしたおりてっきりすでに故人と疑わずふとしたことでご本人健在と知り驚くことも稀にあり。串田孫一など母が女学生の折に愛読せし『アルプ』だか納戸で埃かぶる冊子よりその詩を読み故人と信じていたのが新聞だかに隨筆見て驚いたもの。堀田善衛氏もそのお一人。ご健在と知った後のことだが古本屋で見つけた『上海』なる小説読み鎌倉にお手紙を差し上げたらご丁寧に返信頂く。今回何に驚いたかといへば巴金。四半世紀も前だろうか岩波文庫で『家』を読み1920年代だかの封建的な“家”が若い世代によって変革されようとする、その近代的なる物語に「世の中そう簡単には済まされないよなぁ」と思いつつ、五四運動に触発されたあの世代にとって未来とはそれほど耀かしいものだったのかと想像しつつ勝手に余の記憶では魯迅郭沫若、老舎、茅盾といった中国の文藝の列に巴金氏をすでに逝去と書き加え……だが巴金氏も文革にては下放されかなり悲惨な目に遭ったといふような話も知っているのだから記憶と矛盾するはずが、昨日、巴金氏の生誕百周年でご健在という記事を見て驚くばかり。