富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十一月初七日(金)晴のち曇。本日 Trailwalker 開催日。一昨年まで二年連続で出場し昨年は選抜チームを始点から車で支援。獅子山にて一人挫折し大帽山下りチームも続行断念し今年15時間目指し彼ら再度出場。今年は藪用今日明日と多く支援もできず。夕方Z嬢と東涌線の香港站にて待ち合せMTROlympic站。担々麺が美味いと評判の(昨晩も担々麺であったが)金満庭。所謂行列のできる店、場所が場所ゆえわざわざ訪れる機会もなく恰度通りがてらの途中下車。17:45恰度晩の開店に間に合えばすでに卓は三四割埋り三十分もせぬ間に満席。担々麺は蘭州式手拉といい確かに麺は手打ち実演するが味は落花生の円やかさにて上海風、麻辣効かせ辣油に雑ぜて食す本格的な担々麺を期待するべからず。北京水餃も北方の薬味の香らず、上海風ならと期待した小籠包もどこか余所余所しい味。総じて太古城の翡翠麺家(今では銅鑼灣の時代広場にまで進出し行列あり)と同じ萬人受ケのファミレス的。わざわざ行列に並ぶほど何処が「美味い」のか理解できず。先日CitysuperのK氏と語ったのは拉麺であるとかお好み焼きとか気取らぬものは行列に並んでまで食すほどのものでなし、気軽にさっと食べて美味いことが大切。午後六時からこれほど聚まる客は単に行列が出来ると雑誌などに囃されそれに盲に従ふだけかの味覚音痴か。ちなみに茶代で一人HK$9、頼みもせぬのに出た煎豆がHK$12、これで二人ならすでにHK$30、行列ができるほどの繁盛なら客に愛顧感謝すべきところ茶代豆代まで強請るとは馬鹿馬鹿しいにも程があり。葵芳の葵青劇院。葵青といふ語彙の奇妙さ、これ葵涌と隣の青衣の両地区のための劇場という、国分寺と立川の間で国立の如き下品な名づけ。スイスの黙劇団Mummenschanzの舞台見る。団員も老いて動きはだいぶ静かになったとこの劇団お気に入りで廿年近く前に東京で見たZ嬢。但しどうすれば被り物の中でこの動きができるのか、と神妙。意味不明の無機質な物体が動き時どき顔を浮かばせ感情を物体に表し愛らしいようで死や縊首自殺の風景などすっと見せる上手さ。全く無機質であるはずの物体が動く場合と、肢体ありそこそこ人に近い有機的な物質動く場合の二つあるのだが、寧ろ肢体あり感情あふれるほうがグロテスクに見え無機的な物体愛おしく見れるのも面白いかぎり。帰宅して正高信男『ケータイを持ったサル』中公新書読む。書名が巧妙、これは読了して察したのは養老先生の『バカの壁』の後塵拝す命名かと。『バカの壁』が何故あれほどに売れたのか判らぬが余は正直言って養老先生のご高説読みきれず自分がバカかと落込んだ次第、余に限らずあの書名で買った同輩多かろう。この『ケータイを持ったサル』も同じこと。実はその売れ筋狙いの書名の下に小さく「『人間らしさ』の崩壊」とあるのだがここがミソ。もっと面白可笑しくケータイを持ったサルどもを分析評価していただけると期待して読むと実は内容は「ケータイを持ったサル」の記述は第4章の、それも非常に心理学的な「関係できない症候群」だけで、その前後はマザコン、子離れせぬ母と居場所のない夫、思考力の老化など非常によくありがちな社会心理学的な記述が続き、最後の章が実は白眉で「そして子どもをつくらなくなった」となり、なんと驚くなかれ「ケータイを持ったサル」という書名の本の最後が「少子化傾向を止める手だて」で終わる(笑)。「政府が少子化の傾向に真実、歯止めをかけようと考えるなら、「お産は三〇歳から」という認識を社会に定着させなければならないだろう。同時に、それまでに教育のなかで若者が子どもと接する機会を積極的に設けることも不可欠である。今のように、幼い子どもと出会うことがほとんどないままに育ってくる者に、突然に子を持てと言っても、藪から棒に等しい。中学校・高校のカリキュラムをはじめ、社会活動としての保育活動への参加を激励することが大切である」って……正論かも知れぬが、つまらないし、これなら書名は『人間らしさの崩壊、少子化をどう克服するか」のはず。つまり「それぢゃ売れない」ってこと。最近の新書は要注意。書名で迂闊に選べず。中島らも先生の『牢屋でやせるダイエット』少し読む。たかだか大麻で捜査員11名が自宅に乗り込み、それもらも先生の証拠隠滅怖れ、らも先生曰く証拠隠滅どころか昨晩吸い残しの大麻が捜査官と対峙する食卓にあり、と(笑)、でガサ入れどころからも夫妻睡眠中に自宅への強硬突入(笑)。世界中でたかだか麻薬でしかも個人の常用者相手にこの物々しさはさすが日本、天晴れ。その上、その大麻見つけた捜査官が突然「中島、これは何だっ!」って暴力団で拳銃見つけたわけじゃあるまいし、らも先生に「まだ犯罪者と確定したわけじゃない。だからそれまでは敬語を使え」と言われ「はい、わかりました」と答えてしまふ捜査官。平和な、平和だからこそ大麻程度での大騒ぎの平和ボケ国家。
▼香港政府The Equal Opportunities Commission(平等機会委員会)主席・王見秋君辞職。王君は元高裁並に上訴裁裁判官にて退任後本年八月に平等機会委員会の主席に任命される。このEOC、前任者の胡紅玉女史の積極的なリベラルな立場での職務遂行が董建華にとっては目障りにて契約更新されず。王見秋が後任に選ばれたが10月下旬に王が董建華の酌量により裁判官退任年金に加えこのEOC主席の報酬を得ていることがマスコミに取上げられ、次に王の裁量でEOCの実質的な執行官である行動科総監・余仲賢氏が解雇されたことについて不明瞭と指摘される。ここまではまだ何とか、であったがかつて王見秋の娘が香港の富豪・劉鑾雄と恋仲にあり別離の際に高級マンション宛がわれ其処に王見秋も現在居住、その上、劉が王父娘に海外旅行の航空券贈与歴などが暴露され、この航空券贈与が司法司に報告されておらず贈賄に該当する可能性問われ、王にEOC主席辞職求める世論高まり、本来は本日七日に立法会での参考尋問予定されていたが、王は董建華の庇護あり横柄であったものの、最終的に董政府はこの問題での董建華非難高まることを惧れ王を撤てる決定、一昨晩に董建華の使者たる民政事務局局長何志平が王見秋と会見したことが昨日の蘋果日報に暴露され王は昨日EOCの緊急会議招集し自らの辞任を発表し緊急記者会見。王は辞任に当たっても自らの非を認めるどころかマスコミの暴力的な偏向報道による被害を訴え辞職が不本意であることを協調。何よりの問題は司法官として知恵浅き王見秋よりも政府でも鬼っ子的存在のEOC主席胡女史更迭し王を採用した董建華政府にこそ問題あり。今回もまた董建華、自らへの火の粉振り払うべく部下解雇。ちなみにEOCでの胡女史に続いて政府内で「やめさせたい」官僚は香港申訴專員のAlice Tai女史であろうか。
水戸地裁の裁判官の殺人犯した暴走族少年に対する「産業廃棄物以下」発言につき「非行少年の立ち直りを目指す審判での発言として疑問視する声がある一方、発言を取り上げた報道機関には「この裁判官は市民の気持ちを代弁している」「何が問題なのか」と発言を支持する多数の意見が寄せられた」と(こちら)。確かに「相次ぐ少年の凶悪事件への厳しいまなざしが背景」にあるのは事実。だが裁判とはたんに市民の気持ちを代弁する装置に非ず。司法は司法。ゆえに超人的なまでの非人格的な人格が求められるのであり徹底した厳格な判断により法の執行が可。今回の裁判官の発言に「市民の気持ちを代弁」などと感じる者は司法の何たるかを全く理解できておらず。圧政で泣き寝入りするばかりの庶民の心情をば南町奉行の大岡様はお分かりになっていらっしゃる、よっ名奉行って、そのノリか。裁判でこのような暴言発す裁判官も裁判官ならそれを贔屓する市民も市民。民主主義など理解もしておらぬ者にかぎって裁判官の暴言に「市民の気持ちを代弁」などとそれが民主社会であるかのような誤解、憲法の精神すら活かせぬ者にかぎり改憲を主張、H君挙げたのはプライバシー、人権、環境など真摯に考えたこともない連中にかぎって「憲法にはプライバシー権が欠けている」などと吹聴。第十三条【個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重】 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする……この条文の運用を最高裁は戦後徹底できたのかどうか疑問、とH君。確かにこの条文に遵えば戦後の日本国政府違憲!になりかねず。あ、だから改正したいわけか(納得)。