富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十一月初五日(水)FCCにてアジアアフリカでの地雷撤去活動を積極的に行い柬埔寨ではクメールルージュに誘拐されモザンビークで片手足損ったにもかかわらずマラソン完走など強靱な活動続けるChris Moon氏の講演聴く。どのような苛酷な情況でも生きようと思う積極性の大切さ、と。隣のFringe Clubにて香港で三十年以上写真攝るBob Davis氏の写真展もあり参観。黄昏に献血。三ヶ月毎の献血の予定は一ヶ月も前にすでに当たったものの巴里に居り戻っては入院してだので延び延び。血が溜れば血行悪しく肩凝りひどく久々の献血にてさっぱり。少し時間ありビクトリア公園歩く。すっかり整備され、つまりはこの公園のもっと政治性と陰湿さの一掃。政治性とはこの公園舞台にした六四追悼に象徴される大規模な政治集会開催困難とする為の意図的な芝生広場の区画化であり、公園内の散歩道だの林を整備することでかつての「見通しの悪さ」なくなり健全化。広場では国際スナック菓子フェスティバルなる醜悪な展覧会催され閑散とした会場に様々な揚げ菓子の類の臭い漂ふ。O君、I君とZ嬢で銅羅湾道の杭州料理・華亭會所。上海蟹の季節だが茹蟹頬張ってもねぇ……と蟹粉豆腐、鹵鴨、千層峰(猪耳)、馬蘭頭に龍井蝦仁。廿三年の瓶出しの老酒。I君持参のChateau Gros Moulinの98年。二更に台北より来港のY氏投宿のParklane Hotelで氏と再開しホテル樓上の酒場。同じく来港中のY2氏も合流。歓談三更に至る。
王家衛監督の『2046』、99年に撮影開始し翌年中断、出演の木村拓哉君も王家衛のこの作風に監督との軋轢ありとも伝えられしところ最近ようやく上海にて撮影再開。香港の芸能紙によれば上海での記者会見にて木村君への「奧さんやお子さんは上海での撮影に同行しないのか?」といふ質問に木村君「家族は日本にいる、これは撮影、なんで家族が同行しないといけないんだ」と言葉荒げ記者に向かって「あんたが取材に来る時にボーイフレンドを同行するか?」と。気持ちもわかれば記者への追求も厳しさが面白いものの、最大の矛盾は、木村君は注目される芸人で記者は一介の名もなき記者であること。記者が恋人を取材に同行してもなんらニュース価値はなく木村君の妻子であるからこそ。その立場の違いを考慮せずこの責め言葉。
▼先日古今亭のこと綴れば古典劇評論の村上君より電信一通あり。志ん朝師匠逝去の晩ラジオにて追悼の堀ノ内を聞き其の精気溌剌たる口演に粗忽者の夫に對する女房の造形故人圓生ならば夫を對象化し批評するが如き鋭さを持つに対し(志ん朝の)あくまで柔らかく包み込む姿は祖師参詣に赴く朝の洗面の手拭と間違へ猫を触ってどうするのと女房問ひ掛くる件など隨所に其れを感じ志ん朝の藝の本質は志ん朝自身自らを冷靜に對象化しながら自らを取り卷く他者を冷たく突放すことのできぬ情味、と村上君は、「癒し」なる浅薄流行の語は嫌ふと言いつつ現代人の志ん朝に求めしものはこの「癒し」めきたる暖かさ更に言はゞ諦観の果てにある人間愛に相違あらずと。志ん朝を「一合舛に張り切り漲る灘物の銘酒に口を付けたるが如き愉悦」と村上君、まさに言い得てたり。それが志ん朝なら馬生は菊正宗の無造作に注いだようで本人は神経質なコップ酒、志ん生なら湯飲みに注ぎすぎて「おいおい、こぼれちゃってるよ、もう」ってな具合かねぇ。
▼築地のH君が最高裁の藤田裁判官のプロフィールにある愛読書「敗北を抱きしめて」「マクナマラ回顧録」だから、そこからせめてファシストや反動とは違うはず、と。だがマクナマラ回顧録というのは微妙、とH君。精一杯誠実に国務長官としての職を果たそうとした人が知的エリートゆえに己の知力を過信した結果躓き退任した後も一生をかけて己の過ちを検証しようとした、とすれば、藤田先生はマクナマラの回顧から何を学んだのか。在任中は職務に徹す、といふことか。ご自身がこの日本の末期的な政治状況下で司法にどれだけの正義感が求められているか、つまり最高裁の裁判官の人生がマクナマラの生き方と交錯しているといふことにどれほどお気づきか、が気になるところ。