富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2003-11-03

十一月三日(月)晴。在外選挙の投票用紙届いたものの次回選挙にも必要な在外選挙人証が同封されておらず。郷里の選挙管理委員会に電話し「はい、選管です」という一言すら訛りある職員に「在外選挙のことでお尋ねがあるのですが、先週、在外選挙の投票用紙を……」と言いかけたら「で、お名前は?」と尋ねられ余が名告ると「あ、○○さんね」と、さすが田舎(笑)すぐわかったようで、微妙な濁音や平坦なイントネーション除いて綴れば「在外の選挙人証は外務省の、総領事館経由で送ったんですけどね、投票用紙も一緒におくってしまうと、選挙が近いから投票が間に合わないといけないですから、それで投票用紙だけ先に早く届くように郵便で送らせてもらって、選挙人証は総領事館に送りましたから」と。気配りいただき感謝。だが送付にあたり一筆添えていただければ余計な心配もなかったものを、と思いつつ厳重な手続き(いかに不便かの記事はこちら)の決まっている投票ゆえ選管の一職員がメモなど入れるだけでも問題ありか、とも察す。それにしても何と厳重な投票用紙の送付方法(写真)。そこまで重要な一票なのか、と思いつつ自民党に一票投ず(嘘)。翌日の朝日には週刊誌で女性問題を報じられた山崎拓君(福岡2区)は、妻や娘の応援を前面に押し出し女性対策を意識した作戦を取り、その甲斐あってか主婦層の6割から支持を得るまでになった、と(朝日)。あれだけ書かれても夫と父の選挙応援できる妻と娘も天晴れだが所詮「遊び」は男の甲斐性か、主婦層の支持得るとはさすが日本(笑)。大気汚染ひどし。旺角では汚染指数180を越え。拉ont size=-1>i200になると危険)大気が黄色く渾る市街の中心にある小学校など校外運動すら中止とか。乱歩『黄金仮面』光文社文庫少し読む。帯に青柳いずみこの一文あり「乱歩は早く生まれすぎたのか」と大書きされ「乱歩は早く生まれすぎたのか。気持ち悪いもの好きの乱歩が自分を異邦人と感じるような風土がこの国にあり、ある種の人々を窒息させているのは確かなようだ。そのことを乱歩が明確な形で書いてくれていて、それを引用できるのがとても嬉しい」と。乱歩は早く生まれすぎてなどおらず。明治に生れ大正の時代に遊び1920年代という時代に満を持して現れ、あの時代だからこそ一世を風靡したのが乱歩。近代まであらゆる気持ち悪い者、異人が徘徊し、それを許容する社会があったのであり、それが近代国家化の中で異端に追いやられる中で人々の目差しが異形をハレの対象からグロと見るようになってゆく時代だったからこそ乱歩活きる。その乱歩が軍国主義の時代となると少年物に謂わば引き籠る。戦後など乱歩にとっては何の魅力もなし。月刊『東京人』で古今亭の特集あり、特集だけ読む。志ん生、馬生、志ん朝のうち余は志ん生は生で見ておらず志ん朝は未だ「若手」で誰よりも馬生愛しき。粋であること。品がありながら無粋に見せる余裕。書だ絵だと趣味広く無頼の酒好き。余が今も菊正宗を常飲するは馬生慕ってのこと。『東京人』の落語特集の充実は定番、前回は志ん朝師匠急逝の直後「東京の落語」特集の号届きこぶ平と対談する志ん朝のすっかり病んだ態に驚き餘命幾許もなき対談を何度も読み返し最後となった住吉踊りの懸命に踊る姿に思わず落涙。今回も期待に応える内容。まず談志と志ん生の長女(つまり馬生と志ん朝の姉)美濃部美津子女史の対談。談志がNHKの「二十の扉」に志ん生がゲストで出た時に、普通なら「それは植物ですか?」とか「食べられますか?」などと質問しつつ答え推量するのが番組なのに志ん生師匠いきなり「それは卵の殻ですか」とか「龍の髭ですか」などと答えていた、と。それが笑いとるためだったのか?と言う談志に美津子女史が「本当にルールわかっていないのよ」と。談志は、志ん生については「(老いて)落語ができなければ炬燵にあたってるだけでカネ払って見に来る客がいる」とさすが見事な志ん生評。言い当てるとはこのこと。そして自分が談志の落語を続けていられたのも志ん朝が伝統的な落語をきちんとやってくれていたから、志ん朝志ん生襲名の時には口上の約束までしていた、と語る。落語協会分裂の時の志ん朝脱退を馬生が懸命に防いだ話など興味深い。但し談志の、だから談志らしいといえばその通りだが、最後は結局「志ん生の凄さは俺が実証」「志ん生の集大成を自分の落語にもってきて現実に売れている」と自画自賛。この対談の他にも中尾彬(馬生の娘・池波志乃の夫)が自分が企画し実現せずの談志志ん朝二人会(ちなみに前座!が小朝)はギャラまで決まっており談志が50円だけ高かった、とかの逸話だの、舞台で競演した水谷良重の(すでに八重子襲名しているが八重子になってからの舞台見ておらぬ余にとってはまだ八重子は先代、良重はどうしても良重になってしまふ)杉良太郎の結婚披露宴であった志ん朝の余りの暴飲ぶりに小声で「あんた、死ぬよ」と忠告したら本当に死んでしまった、という回顧談だの。のり平劇団の畏友・寺田農の追悼談も。弟子筋の馬生、志ん朝の師匠談も抱腹絶倒。だが噺家を代表して古今亭を語る小朝の話が面白くないのが事実。この小朝の話は真面目な落語評、噺家評になってしまいオチがない。小朝らしいといえばその通りだが。
▼地下鉄の構内も、藪用で訪れた公立中学の校内の壁も「楊利偉、楊利偉、楊利偉」と現在来港中の中国初の宇宙飛行士に大騒ぎ。東北人特有ののっぺりした顔立ちで無理に笑ったような笑顔のポスターばかり。夢にまで出てきそう。経済紙『信報』の社説がこれ取上げ、盛り上がってはいるがこの楊利偉の来港にはリスクもあったわけで、香港人特有の自由散漫さで民族感情は内地に及ばず中央政府のこの香港優先の宇宙飛行展も下手したら冷淡な反応になる可能性もあったが実際にはそれどころか熱烈歓迎だったので結果はリスクなしだが、と述べ(社説はそう言うが実際には96年の尖閣列島あたりから香港の民族感情の高まりは内地を陵ぐのでは?)、それにしても土曜日の楊利偉歓迎セレモニーで芸人がステージに上がり楊利偉と一緒に愛国歌曲熱唱は子どもっぽく幼稚ではないか、と厳評。この有人飛行については米ソに遅れること四十年だが、中国は70年代に有人飛行に成功する可能性もあったことを紹介。中国は70年に人工衛星東方紅」打ち上げ成功しており、57年にソ連が初の衛星打上げ成功し61年に初の有人飛行、米国は58年の衛星で62年の有人飛行という米ソの経過を見れば早ければ人工衛星の4年後に有人飛行の可能性もあったはず。実際に中国は有人飛行に向けてかなり技術投資していたがそれを中断させたのは林彪事件に見られる中央政府の政治問題。その後は文革が始り宇宙開発どころでなくなったのは周知の通り。つまり如何に宇宙開発が政治的事象であるかは米ソの冷戦での宇宙競争にしても中国の事情みても明白、と。ソ連は宇宙開発に巨額の資金投入したことが国家経済破綻の要因でもあり、米国はアポロ計画に当時US$240億かけたがこの開発でのその後の技術の民生利用著しくその経済技術効果は数十倍の効果生んだもの。中国そして香港にとって今後の問題はこの宇宙開発技術をどこまで経済発展に利用できるかが焦点、と信報社説。
▼楊利偉といえば同じ信報で劉健威氏まで楊利偉取上げるが流石に劉氏だけあり目の付け所全く異なりマスコミに出ずっぱりの楊利偉を見ていて劉氏が注目したのは楊利偉の小指の爪(笑)。小指の爪を伸ばしているのだそうな。これは(その文化により小指の爪の尺度も異なろうが)田舎のオヤジの象徴で、高度な科学技術の象徴である宇宙飛行とは將に対極的。この小指の長い爪が中国の高度な科学技術のイメージにまるでトラウマの如く「ひっかかって」離れない、と劉氏。
朝日新聞の創刊125周年記念行事の一環に「オーサービジット」なる企画あり。一見していったい何のことかわからず。英国で普及した小説家(author)が小学校など訪れ(visit)読者に直接語る行事だそうで、井上ひさしらが顔揃えるが、何なのだろう、この「オーサービジット」なる言い方。タイトルをただ英語をカタカナにして、言葉への愛着もセンスもなければせっかくの企画も台無し。小学生に「書き手が来るぞ!」でいいのでは?
▼開催に問題多きHarbour Fest、その終幕飾る今回の目玉 The Rolling Stones の公演。その新聞広告(写真)見て目を疑うは Nevermind the politics. It's the Rolling Stones. なる広告文句。政治なんか気にするな!とは二つの意味で大きな疑問あり。まず何たる皮肉か、今回のHarbour Festの開催ぢたい政府のSARS基金をHK$1億も用いての外タレコンサート開催に米国商工会議所会頭らの問題多く政府の無能ぶりが問題となっており、かなり政治的。その背景で「政治なんか気にするな!」はあんまり。そしてもう一つの問題はローリングストーンズが出てきた時代こそまさに政治の時代。ロックが政治的背景をもっていた時代。それを源泉にする時代のバンド(このバンドぢたいがそこまで政治性あるかどうかは別にして)のコンサートにおいてこれはあるまひ。
▼築地のH君曰く、世の中悪くなるのはけして石原の如き人物の所為ではなく、善良そうに見える個人一人一人が本人は誠実のつもりで与えられた役割を忠実に果した結果ではないか、と。例えば先日綴った東電OL事件……この名称も困ったもの、確かに当時東電のOLであった女性の殺害事件だが殺された原因はこの被害者の「夜の顔」であり東電、東電と面白可笑しく呼ぶのだが、この事件で東京高裁で容疑者の再勾留請求を決定したの判事の中に後に少女買春で捕まった判事もおり、そんな輩が容疑者の人権無視した判決していると思うとそら恐ろしいかぎりだが、今回の最高裁の裁判長・藤田君などそういう意味では善良ははずの人物。それがあの判決とは如何に。まるで抽象的な存在であるはずの国家権力が顔もった人格として立ち現れてきた如し、とH君。一人一人はけして悪意もなく、寧ろ自分は誠実に自分の善意に基づき何らかの思慮があるはず。だが結果的には個人が誠実であることで、本人はそれでもそれを利用できる権力装置は上手くそういった世の中の誠実を利用して悪しきほうへ、悪しきほうへ、と進んでゆくもの。戦争に至る歴史など見ればまさにこの通り。1945年まで日本の国民は殆どが積極的に支那を侵略し米英と戦いたいと思っていたわけでもあるまひ。寧ろ漠然と平和を望んでいたはず。だが結果的に日々の生活から戦争に荷担しているようなもの。積極的な抵抗ない限り、良心の呵責があろうがなかろうが服従か荷担に他ならず。