富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月初四日(土)曇。午前はホテルにて雑事済ませ午後Longchamp競馬場にて明日の凱旋門賞の前哨の競馬ありメトロでPorte d'Auteuil、競馬場への送迎バスにてLongchamp競馬場。世界でも有数の競馬場ながら香港の競馬場に慣れた目には地味で閑かな競馬場と映る。あちこちに三鞭酒の立ち飲みあり着飾った乗客らの華やかさ。今日のメインレースである3eのPrix du Casino Barriere de Trouvilleに昨季まで香港で活躍の騎手Eric Legrix(李格力)君登場、馬主C氏の二頭にも騎乗しパドックにてお会いしたこともあり、今日はパドックから馬場に向かう途中でEric君と声かえれば李君いつものながらの愛想の好さで余がLongchampにいることに驚き“Hey, how are you?”と余に問い、貴君今から勝負といふのに相変わらず……と思ったが30倍で5着。こちらは複勝にもならず、だが李君は5着入賞で賞金はEuro3,575ということは本人の手取りはEuro358、まあ日当というところか。客の閑散としたところはマカオの競馬場の如し。夕方競馬場あとにしてセイヌ川沿いを歩き対岸のSuresnes地区、軽便鉄道にてLa Defense(新凱旋門)に向かいメトロにて市街に戻る。晩に月本氏夫妻とSt-Germain des Presで待ち合せSt-Germain des Pres教会の裏道歩いていけば向こうから歩いてくる方に見覚えあり、あら、と思えば三、四年前の冬だったか比律賓の、ダイアナ妃も生前に世を偲びいらっしゃっていたといふリゾートAmanpuloにて同じ時期に泊まりお会いしたカメラマンのS氏、氏はパリ在住でパリコレなどで仕事する写真家にてパリ在住ならお会いする偶然の可能性も高いが氏の話ではその後紐育に活動場所移し今は仕事で巴里に戻っていらっしゃる、と。何といふ偶然か、暫し立ち話、また何れ何処かの街かリゾートにての再会を、とお別れ。Buci街のL'arbuciなる料理屋にて晩餐。昨年だかにおしゃれに改装したがこの店の目玉はEuro29.5での牡蠣食べ放題にて流石に四人でこれだけでは味気なくもあり二人分この牡蠣、残り二人分はEuro3安い牡蠣9つと肉料理とし結局は四人で牡蠣百個近く食す(写真はZ嬢の三皿目)。美味。葡萄酒はChablisを三本。その後セイヌ街のLa Paletteに移り赤葡萄酒。Bastilleのオペラ座にて歌劇鑑賞終わったいなご社長もいらっしゃり歓談。月本氏がこの日剰にも何度も登場のT君、T君と今まで呼んでいたが彼は古典芸能評論の村上湛君にて、月本氏と歌舞伎の話で歌右衛門のこととなり村上君の名前出て月本氏はデザイナーOさんといふ方の関係で村上君と会っていたことわかり写真家のS氏のことといいこのことといい世の中狭いものと感嘆。深夜の市街は今日は左翼にて男色家であること公言するパリ市長の肝煎りにて昨年よりこの日の夜はパリをあげての大騒ぎの一夜にて夜中終日運行のメトロは只で乗り放題だとか、かなりの人出で賑わう。
▼昨晩、月本さんに教えられて眺めた、St-Germain des PresのLouis Vuittonの店頭に飾られた特製の麻雀牌と牌入れは当然Vuittonのmonogramという逸品。牌のデザインもかなり精巧。(写真)
▼巴里にいてつくづく観光客の多さに驚き、過去の遺産と巴里の活気にてこれだけ観光客集める事実に驚くばかりだったが、昨日のHerald Tribune紙に日本が海外よりの観光客誘致に熱心、と記事あり三年後に現在の渡航者の倍増を計画、と。ただしHT紙の指摘は日本が世界第二の経済大国ながら年間観光客数520万人は世界で35番目!、ちなみに世界一の仏蘭西は年間7,000万人(人口の1.5倍?)でタイが1,080万人と、これが日本の目標に値する事実。それに比べ日本からの海外への渡航者は多く、日本人が三人海外に出かけるのに対して1人日本を訪れ、米国だけを見れば1:7と圧倒的に日本からの渡米者多し。日本になぜ渡航者が少ないのか。観光客物価でいえばタクシーこと高いがホテルなど日本のデフレもあり巴里のほうが断然高く、言葉が通じないという問題よりも、何よりも渡航者に求める査証、と同紙は指摘。とくに韓国、中国からが日本の最も上客であるはずなのに、来にくいのが事実。巴里の空港など旅券見るだけで何もチェックせず。確かに身元の怪しい者も居ろうし犯罪もあろう。だがその少数の問題がリスクであっても「入り易い国」であることが仏蘭西が世界一の観光大国である要因。日本が観光客誘致願うのなら東京など巴里なみに非仏系市民が多くならねばならず、福岡での中国人留学生が犯人という殺人事件一つで「だから中国人は」だの「留学生といっても実は」と下種な恐れを抱いていてはどうしようもなし。