富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月廿六日(金)昨晩は遅くに月刊『新潮』にて折口信夫没後半世紀の特集読む。快晴。朝、エドワード=サイード氏(日、英)の訃報に接す。十数年前に香港中文大学にて文化人類学学びし頃サ氏の『オリエンタリズム』当時同大にて教鞭とられたるT博士(現在豪州国立大学)に勧められ読んだが最初。パレスチナ出身のサ氏の果敢なる発言、特に9-11以降の米国による覇権主義に抗せし言論“Al Ahram”紙などに数多し(Al Ahram紙の遺稿)。この訃報、讀賣は「エドワード・サイード氏(コロンビア大教授、比較文学)25日、白血病で死去。67歳。英国統治下のパレスチナの一部だったエルサレムで生まれる。中東問題の第一人者として、イスラエルによるパレスチナ人抑圧を非難し、パレスチナ人の自治権を主張した。著書に「オリエンタリズム」(1978年)」と淡々と。朝日は心情的に「エドワード・サイードさん死去 パレスチナの代弁者」と銘打ち「米コロンビア大学教授(比較文学)で、イスラムパレスチナ問題でも発言を続けてきたエドワード・サイード氏が25日午前6時30分(日本時間同日午後7時30分)、ニューヨーク市内の病院で死去した。67歳だった。死因は明らかでないが、同氏は長く白血病を患い、この数年は大学に姿を見せることもまれだった。英占領下のエルサレム生まれのパレスチナ人だが、代々キリスト教徒だった。カイロの大学に学んだ後、ハーバード大学で文学博士号をとった。その後、63年からコロンビア大学で研究し、教えた。今は米国籍。代表作に、イスラム世界と中東に対する西欧の偏見を論じた「オリエンタリズム」、米メディアのイスラム報道の偏向を突いた「イスラム報道」などがある。 01年9月の同時多発テロ後は病身を押して、アフガニスタンイラクへの武力行使に反対する論陣を張っていた。音楽への造詣も深く、セミプロ級のピアニストを自任し、大学内で演奏会を開くなどしていた。02年の2〜3月には、友人でもあるノーベル賞作家大江健三郎氏との「往復書簡」を本紙文化面で連載した」と。「当然のことのように」産経には訃報もなし。病弱の氏とはいへこの氏を最も必要とする時期に逝去とは言葉もなし。各紙の訃報、哥倫比亜大学、紐育時報、The Guardian、Al Jazeera、読めぬがLe Mondeなど。旅の荷造りもせねばならぬが多忙な時に記事多く日刊ベリタに「ビクトリアハーバー埋立中止求め政府外郭団体が政府を提訴」「ヒラリー=クリントン女史の自伝中国版で内容改竄」「生きた家禽類の市場での販売中止求め米国「マーチン=シーン大統領」董建華に親書送る」を送稿。晩に慌てて荷造り。Z嬢戻り暫くして航空会社よりお迎えの車(Inter Continental HotelのBenz)提供あり空港。エミレーツ航空のラウンジは何処かと思えば中国国際航空の間借りも一日一便では当然か、深夜にて中国便なく閑かは幸い。EK385便にてドバイに向け旅立つ。
▼昨冬の聖誕祭にあわせ公開され今年旧正月まで好評博した映画『無間道』(監督劉偉強)不振の香港映画起死回生と劉徳華(アンディ=ラウ)、梁朝偉(トニー=レオン)、黄秋生ら大物共演「やれば出来る」こと感じさせた作品、今日の蘋果日報に日本で10月11日より松竹系で公開、これに合わせ劉徳華(アンディ=ラウ)、梁朝偉が昨日東京にて宣伝活動、と。香港にては『無間道?』公開目近、『無間道』のパロディ版『大丈夫』公開中。いくら何がなんでも一年近き公開遅延とは。すでに輸入盤DVDなど発売されおり熱心な観衆には応えられず。邦題の粗忽さは相変わらずで『インターナルアフェア』ぢゃ全く何か理解できず“Infernal Affairs”のことながらこの英語とて日本で意味不明、89年の米映画リチャード=ギア主演の同名の映画の邦題『背徳の囁き』は秀逸。
▼インターネットでかなり流布され見た方も多かろう、ユニセフへの協賛呼びかけるテレビ広告にて(公共広告機構の制作?)、子どもが一心不乱に黒色のクレヨンにて画用紙塗りつぶし教室でも家でも続ける様に周囲の大人たち子どもの精神錯乱かと狼狽、教室にこの子の姿消えて入院せしことを暗示、病院にてこの黒色の絵?に一つ塗り残した白い箇所と輪郭もあり、これにヒント得た大人たち広間にて絵をいろいろと並べ始めると数十枚のこの画片が描くは一頭の大きなクジラ、といふ映像。「あなたはどうやって子どもたちをサポートできますか? あなたの想像力です」てな文言現れ「ユニセフに協力を!」と。良質の作品、といふ。何故に数ヶ月前に流布されしこの映像について突然述べたかといへば本日の蘋果日報の蔡瀾氏の隨筆、実は27の場面を綿密に文章にて表現。最後に一言「このわずか数十秒の広告は震撼し感涙に咽ぶ」とあり。敢えて余の疑問を呈すれば、確かにこのような「異常な」(悪しき意味でなく非凡であるといふこと)子どもが居らぬとはいへぬが、この筋、餘りにも大人勝手に想像した子どもの豊かなる想像力。この大人の子どもへの、一見「美しき」まなざしフーコー的にはこのまなざしに含まれる“愛”と児童買春(ユニセフこれの廃絶を願ふ)する大人の愛欲に線引きをすることかなり難しきこと。
▼多摩のDと戦後民主主義はいつ終わったのかといふ話題。D君曰く、時代区分をするとしたら、1976年のスト権スト敗北から79年の統一地方選での革新自治体の終焉、80年のブル選挙での自民党圧勝くらいが過渡期の時代。82年の中曽根政権誕生をもって新時代が始まったということになるのでしょうか、と。中曽根政権のスローガンは「戦後政治の総決算」、それがついに実現か。……というか大勲位、20年もたつのにまだ国会議員やってるとは。いっそ中曽根大勲位首相再登板でもいいかも。憲法改正は中曽根大勲位の手で。憲法改正を選挙公約に昭和22年衆議院当選。花道。憲法改正して「終身名誉総理」職を新設とか。ネオコンの下手な小僧どもがのさばるのならいっそ大勲位に目を光らせてもらっていたほうがマシ。「あー、安倍クン。岸先生のお宅でキミがおしっこ漏らして泣いてたのをよく見たよ。ワッハッハ。ところで、西田ひかるのファンだって?天下国家を論じるべき政治家たるものが、そんな個人的なことを語るのは感心せんね。もう一度雑巾がけからやり直してはどうかな」くらい大勲位なら発言ありかも。
▼最近断腸亭日剰読み返す築地のH君より。荷風先生の日記、昭和15年くらいから偏奇館炎上まではまさに鬼気迫る筆力。「つくる会」的には、この「断腸亭日剰」は日本文化史のなかにどのように位置付けられるか、大いに興味あり、と。米国は速やかに起ってこの暴虐なる民族を罰せしめよだの、かかる陋劣な日本文化が東亜に広く流出することを怖れるだの、荷風先生もう「自虐史観」の極みといえばこれに勝るものナシ。といって荷風先生をさしてまさか戦後民主主義だの社会主義共産主義にかぶれたるなどと攻撃することもできず、江戸文化に造詣深し先生を欧化思想に染まったとも言われず。いずれの範疇にも収らず、ただただ荷風先生あるのみ。余が引用せし昭和16年元旦の項は、H君引用部分よりもうちょっと前が格好いい、と。確かに。曰く「時雨ふる夕、古下駄のゆるみし鼻緒切れはせぬかと氣遣ひながら崖道づたひ谷町の横町に行き葱醤油など買うて帰る折など、何とも言へぬ思のすることあり。哀愁の美感に酔ふことあり」。いいねぇこの世界。しかしH君指摘するに荷風先生がこんな格好よさを貫けたのも、親から譲り受けし恒産あればこそ。高見順の「戦争日記」など読めば本心はどうだか、ともかく生活のために文学報国会だの翼賛作家連盟だのに近づかざるをえなかったことがいいわけがましく読み取れるそうな。いまの世に生きる以上、ともかくせめて後世に恥じることないよう出処進退には心しておかねば……、とH君。
▼月刊新潮に初載されし釈迢空折口信夫先生)の「昭和廿年八月十五日正午 正坐して」といふ短歌集あり。
おほきみののりたまふべきみことかは然るみことを吾きかむとす
いわう(硫黄)島なる春洋の写真もともにあらしめて
たたかひにはてしわがこもきけよかし かなしき御詔くだしたぶ也
大君のたみにむかひてくいたまふみことをきヽて涕かみたり
たたかひにうせしものよそが家の孤独のものよかなしとおふす
かちがたき炎闘のなかにはてにける心をぞおもふ
たヽかひをおふかしこさはまおすヽべなし民くさの深きなげきもきこしめさせむ
老いの身のいのちのこりてこの国のたたかひまくる日をまさに見つ
いちじるき深きおもひは相しれどかたることなしはぢにしずめば
たヽかひはすぎにけらしもたヽかひのもなかにありてすぎしこらはも
かなしみにたへよとおうせたまへどもたヾこれのみはなみだどヾめず
いさヽかもおくることなくありとおもふわが学問はいくさにえうなし
数おほく空とよもし迎へ見おくりやる片もなし
やまはらのすヽきおしなべゆく風のおとさびしきをあまなひてきく
ほすヽきの山わたりゆく航空機送り見むかへみな仇のふね
ながおやはかくくちおしき日をたへてありきとおもへ国はほろびぬ
よきことばありのことごとほめつくしふかく信じてほぎし君が代
大八州国のほかなる島もがな人とすむべくはあまりはずかし
くちひろくものは言ひしかまのあたりかくくだちゆく国と変りつ
国学のすゑに出で来てたヽむなしくにの大事にあづからず居り
日の本のよき国がらは軍人も為政者も説くわれのみならめや
このひとを幾度か見しこの左官の人をなみする弁舌のよさ
一代の碩学たちもちからなしゐヽたるかもよ左官のまへに
飲じきのはらをやぶらぬ工夫してただゐるひまにくには破れぬ
ある時はたヽかひ果てヽかへり来るよろこびをすらおそれたりしか
かへり来ることなしと心さだまりてうれしきかもよつひにはなかず
愚者口を酸くして本土決戦を唱へ、
敵をして皇土に臨むことなくして勝つ術あるを悟らしむ。
この輩の悪しむべきは、寧間諜者に超ゆるところあるべし。
さかしげに口をたヽきしいくさびとをわれにたまはね切りてほふらむ
戦國のかなしきくにのさまいくつ思ひみれどもかくやすべなき
いくさびとまつりごと人みな生きてはぢざるを見れば斯くてやぶれし
 (原文及び新潮掲載を短歌の句毎に整理す)
我が子を没くし悲しみ、民衆の悲惨、軍人や為政者の偽善傲慢、学問の無力、戦さの無慈悲など荒削りの歌に見られる。やはり最後の「戦人政人皆生きて羞じざるを見れば斯くて破れし」と軍人だの政治家など国を率いて戦をしても本人たちは恥もせず生き延びるのを見れば戦争に負けるのも当然、という指摘。結局、今日の状況とて日本をば戦ひに向けむとする首相だの防衛庁長官だの、つまり恥もしらぬ三世ら、戦いに死ぬことなく生き延びるといふこと。