富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月廿五日(木)快晴。晩に尖沙咀。香港を代表する観光パブ“kangaroo Pub”SARSの疫禍に疫禍ほとぼり褪める迄休業と看板に掲げ店閉じていたが今日通ってみると閉じたままで結局店閉じたと知る。西洋人の殊に店名の通り豪州人の観光客に知られた店で九龍公演眺めつつ飲むFoster麦酒の美味く無くなってみれば一抹の寂しさ。香港文化中心にて京劇ではお馴染みの「覇王別姫」Z嬢と観劇。覇王別姫といへば西楚覇王項羽と漢の劉邦、四面楚歌の故事にちなむ劉邦の軍による四面楚歌の戦場での項羽と虞姫の悲劇。歌舞伎でいえば沓手鳥孤城落月(ほととぎすこじょうのらくげつ)の糒庫(ほしいぐら)か御存知義経千本桜の大物浦(だいもつのうら)は碇知盛(いかりとももり)か。すでに何度か観た舞台ながら今回の北京芸術創作中心の製作によるこの舞台、面白味は今回の舞台がHK Culture CentreでもStudio Theatreといふのは実験的小劇場にて旧態依然とした京劇に非ず。筋と舞台での立ち回り、音曲は敢えて弄らずに、されど僅か数名の俳優が簡単な舞台装置と現代劇を意識した照明効果のみで、観客との至近距離で演じるところ。当然、大掛りな戦記物が寧ろ項羽と虞姫の愛おしみと臨死の葛藤という視点でこれでもかといふまで観客の目の前で繰り広げられる面白さ。役者は覇王が陳霖蒼、虞姫が史紅梅。京劇界では一流の立ち役である陳霖蒼の風格は当然として史紅梅なる女優の虞姫熱演はお見事。京劇をば旧態依然とした年寄りの娯楽とせず新しき可能性を見出そうとする努力は歌舞伎でいへば沢瀉屋的ではあるが、猿之助丈の絢爛豪華さを思えば、この北京芸術創作中心の小劇場での新しき演出は沢村田之助丈の小芝居の見直しのようでもあり(人間国宝でもある紀伊国屋、歌舞伎役者よか大相撲解説者の如し)、観客との一体感でいへば勘九郎君と橋之助君の東急文化村シアターコクーン歌舞伎に近いもの。これまで観た京劇の中でも今晩の覇王別姫は特筆すべき舞台。
シンガポールにて死刑執行増え今年70〜80人がすでに命落とす。BBCの番組のインタビューでGoh Chok Tong首相語ったものだが正確な数字挙げられぬ首相「他に考慮すべき重要案件多し」と。つまり極悪非道の死刑囚の数など考慮の範疇にも値せぬ、といふことか。ちなみに例年は20人台。麻薬取締りによる死刑囚最も多く、15gのヘロイン、大麻でも500g所持すれば極刑覚悟。500gの大麻所持で極刑とはオランダなど何人が命落とすことか。人口400万人にて80名は日本でいえば年間2,400名の死刑執行。尋常に非ず。かのやふな一党独裁専制国家におらぬことを幸いと思ふばかり。
▼築地のH君によると吉田司氏昨晩の朝日夕刊に、石原の人気は現実世界を脅かさないトリックスターであればこそ、であり、<戦後民主主義という強固な枠組み>があったからこそ人びとは石原的なその無力な道化性を笑い楽しむ。が世の中の方が「30年代的状況」に近似してきたおかげで石原の「ファンタジー性は」急速に瓦解、「危険で安全な価値紊乱」者から「単に時代のお先棒をかつぐだけの便乗発言に転落」した、といふもの。つまり石原は何の変哲もないわけで「問題の核心は慎太郎自身より「時代」の側にある」と。御意。確かに30年代的状況は単に戦争前夜というのみならず経済の破綻と国民生活の疲弊を「スカッとさせる」テロが横行し大衆の支持を集めし時代。近い将来、筋通す政治家(三世らに非ずN氏とかK氏とか)は「世直し」テロの標的にされかねず。危険なのはそれを世論納得しかねぬこと。「あれぢゃ仕方ないかもねぇ」などと。外務省田中氏への爆弾を都知事が容認発言し少年犯罪の加害者の親を「市中引き合わし」と大臣が宣っても問責されぬ時代。H君、余が民主主義「親政」すら口にせしことも「ほらね。北一輝だ。やっぱり30年代的状況」と。結局、このような時代となると、もはや徹底した個人主義しかないのかも知れず、そうなるとやはり気になるは荷風先生。
▼遅々断腸亭日剰読み続ける余に比べ6年ぶりに読み返すH君「援助交際」見つけ(昭和15年1月6日)「廣告の文中に御援助賜りたしという語を交へあるは賣春にあらされば妾の口を求むるものにして、この語はいつの頃より誰がつくり出せしものか知らねど、一種の合言葉となり」云々。H君曰く、この30年代にせよ戦時中にせよ大衆は浅草のレビュウやら銀座のカフェーやらに夢中で政治社会の動向などに毫も関心なし。レビューやカフェーが政府に禁圧されればそれならそれで不平をいうでもなく、焼夷弾雨霰と降り注ぎ銀座浅草の街路黒焦げの焼死体ゴロゴロと累をなすはその被害者ついこないだまではレビューやカフェーのことしか脳中になかった良民たち。生き残った者は今度は食べ物のことのみ考えて過ごすうちに台風一過の如く戦争過ぎゆき、晴れて「戦後民主主義」の時代。考えてみれば日本の歴史上において戦後民主主義の時代だけが人民大衆が公民たる主体として登場した時期。米軍より下賜されたる民主主義なれど60年安保米軍に刃向けたことにて「独り立ち」を得、70年代中葉まではこの時代続く。昔の日本人は偉かった。なにせ1971年の都知事選挙石原慎太郎都知事に選ばず。金儲けとスケベエいずれの世のも健在なれど「人間はそれだけではないという価値が社会に共有されていた時代」、それが「公」、とH君。戦後民主主義とは日本史上唯一の「公」が存在した時代かもしれず。もはや過去のことなり。
荷風先生の別の言葉に「日本現代の禍根は政黨の腐敗と軍人の過激思想と國民の自覺なき事の三事なり。政黨の腐敗も軍人の暴行も之を要するに一般國民の自覺に乏しきに起因するなり、個人の覺醒なきが爲に起ることなり」とあり。そう、国民の自覚の乏しさ、個人の覚醒なきこと。まさに今日の時代は昭和十年代と相似。