富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2003-09-16

九月十六日(火)来港中のS氏夫妻は東京の人。米国に居住権ありフロリダに遊び紐育経由にて来港。昨晩余は所用ありZ嬢S氏夫妻と会食し紐育土産にとVeriero'sの焼菓子頂く。雨模様続き朝大雨に遭ふ。雨傘「傷害」につき丸善本店洋品部より早速返事あり。余が竿と云つた軸は樫材にて「中棒」と云ひ先端の石突は水牛の角。これならば確かに長年の使用にも耐える筈と納得。わずか千五百円にて取替修理可、と。その上で担当者曰く「しかしながら気なりますのが生地ほう」と。中棒折れたはずみで生地に穴などなきこと余も入念に確かめたが「大切にお使い頂いていますのでよくもつもの」でも「もっとも15年もお使い頂きますと生地の撥水能力も落ちてしまいます」ので「この際お張替えされることをお勧めいたします」と。合点。ちなみに生地張替えは七千円。晩にS氏とZ嬢と会食の約あり(S氏夫人は仕事あり)銅羅湾のParklane Hotel。誰も居らず一時間早く間違えし事に気づき独りホテルの酒場George & Co.にて愛蘭のstout・Murphy's一飲。酒場にて読んだ『週刊読書人』に切通理作氏の隨筆あり知人より借金の保証人請はれ一旦は了解したものの「マチ金」よりの借金に「挑む」はつまり親戚知人友人らに借金も請へぬ事情ある由、マチ金の借金も返済できず更なる苦境に陥るも当然と切通氏その借金の額の三分の一に当たる現金用意しその知人に貸し与え、他に二人くらい借金に応ずる知人も居らふと諭せば知人涙して喜びたり、と。美談。『新宿二丁目のほがらかな人々』といふ本ちょっと読んでみようかと思えば「ほぼ日刊イトイ新聞」の人気コーナーらしく糸井重里君と知り「あヽ、いやだ」と思ふ。本といへば柏原蔵書氏の『歌舞伎町アンダ?グラウンド』注文したがやはり売り切れ。柏原氏あのような虐ひ殺され方しては本は皮肉にもベストセラーか。S氏Z嬢と杭州飯店に赴く。そろそろ大閘蟹も季節。蘭芳道に入り居酒屋一番、割烹宇津木と店のなか覘き乍ら杭州飯店に向ふと利園山道に出てしまひ「あヽ通り過ぎてしまつた」と引き返せば「ブリース・リー乗り込む敵のアジト」(笑)南北樓の隣にあるべき杭州飯店址工事現場となりぬ。蘭芳道の頭上には看板確かに残る。好意的にとらば改装中だが改装なら客に謝辞の看板でもあるべき。老舖で美味ながらSMAP稲垣吾郎君似の双子の若旦那経営努力も乏しく店数年前に分裂し大方の客銅羅湾道の華亭會所に奪られたといふ風評もあり。閉業もさもありなむ。店の看板をば記念にと撮影(写真)。百樂潮州飯店に参る。ほぼ満席の繁盛ぶり。涼瓜黄豆排骨、鹵水鵝片(写真)など食す。杞子螺頭燉鶏湯は秀逸、夏風邪拗らせ悪しき具合も多少回復す。隣の小房の宴席に豪華なる冷盤菜搬ばれるを見れば人参に精緻なる細工施したる寿老人。それ食し終わり運び出されるをしげしげと眺めておれば店員ご愛敬にて余の卓に運ばれ暫し魅入る(写真)。店員の働く様実に機敏にて黒服の慇懃な上にも緊張感ある服務態度見るにつけ繁盛する老舖とて、否、それ故のこの態度が客を招く、と敬服の至り。
▼大閘蟹といへば蘋果日報に大閘蟹の「日式食法」なる記事あり明日河なる日本料理屋、この明日河を何と云ふか余は知らず、たぶん「あすか」か、店名の読み方分からぬ料理屋少なからず、それは皆「日式」かと思へば「わみん」と余は最初読んだ<和民>などもあり、いずれにせよ日本料理屋の名は摩訶不思議、意味はわかるが地名用いるも安易にて、まだ祇園だの木屋町だの神楽坂なら良いが「大手町」だの「立川」だの「五反田」なる「何処が美味そうなのか」全く解らぬ店名もあり、でこの明日河、その香港人の料理人大閘蟹の「日本風の食べ方」紹介するがそもそも大閘蟹など日本に存在せぬ食材にて中国とて大閘蟹だからこそ飾らず茹でて食すが本道、それを大閘蟹寿司(写真)だの奇妙奇天烈なる料理の数々。それにしてもこの明日河の板前君、まずは修行だがどの店も板前氏より「野菜洗って二年」「料理は盗め」「いやなら辞めろ」の厳しき世界に嫌気さし松菱、Hyatt Regencyホテル日航香港と転々。結局「えーい、そんなら自分でやってやる」と。そごうの日系書店で料理本見ては美味そうな料理を研究が最も好き、と。それでこの明日河なる中環の香港国際金融中心に店構える料理屋の板前になったのだから天晴れだが日本料理にあらぬ「日式」最近は「創作日本料理」なる看板掲げ、確かに創作であると思へば嘘でもなし(笑)。
▼SCMP紙が香港に開園予定の鼠園への交通機関として建設中のMTR鼠線の車両内装の図案を入手、と報道(写真)。には一切興味なし。寧ろディズニーの米国文化押し売りの帝国主義に反感すらあり。鼠園など今後も訪れることもなきところ、この列車の図案見て不快感ますます高まりたり。この醜悪ある色づかいとセンス。それに比べ草間弥生女史の作品がいかに美しいことかと突然想ふ。
▼『信報』にて著名なる老ジャーナリスト陸鏗氏の文章あり、先日台湾「正名」運動にて10万人だかが「国名を台湾に」と主張、その首謀者たる元総統李登輝氏を罵倒。国名を台湾にするだけでなく李登輝は自らの名前も岩里政男にせよ、と。中華民国保守本流外省人にて原籍は大陸たる陸鏗氏にしれみれば台湾独立など言語道断なのは理解に能わざること。だが陸鏗氏はそのような国家分裂を企てるのは中国人に非ず、で李登輝氏の日本精神に結びつけるは無理あり。李登輝氏に日本精神あるは事実、だが台湾の独立まで指向するidentityは日本統治といふ歴史的背景除けば台湾精神以外の何ものでもなし。中国人であれば独立など指向せず、といふのが陸鏗氏らの「当然の」理解であろうが、それに誤謬あり。