富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月十五日(月)ひどい雨。世の人雨は出かけるのうんざりだろうが余は晴れも好めば雨も亦た楽しく雨用の帽子だの外套だの、そして何より傘もこれくらひ雨豪勢に降らねば使い途もなしと雨、雨降れ降れと外出。それが、である。晩にある会合あり食を逸し二更にジャスコまだ開いており不味いの承知で握り寿司も閉店間際にかなり割り引かれるゆえ寿司折をば仕入れ肩掛けに手荷物、それに雨外套と傘でジャスコの袋まで提げてミニバス降りる拍子に傘が扉横の隙間だかに挟まり路上へと降りる際に重い負荷かかり丸善の1869年復刻の傘、15年以上も前に日本橋の本店にて購いこれまで故障も傷もなく愛用せし傘、の竿が無惨にも折れる(写真)。絶望的境地。早速、丸善本店洋品部洋傘掛に何とかならぬものかと藁をも掴む心境にて画像つけて電郵送る。ただただ吉報待つのみ。15年も愛用の傘の無惨さに酒でも飲まねば気も紛れずBallantineの21年一飲。
▼昨日大成駒の八重垣姫より久が原のT君らと出会った頃のこと回顧すれば隙かさずT君より電郵あり。「御参考までに」と出会ったのは昭和六十三年九月四日だそうで、この日、歌舞伎座歌右衛門丈の籠釣瓶にN兄と赴きT君紹介される。狂言作家のS氏も加わり新宿の随園別舘にて食事、のちT君贔屓のRなる酒場に一飲、T君と意気投合し更にKに梯子。更に余の恵比寿の下宿にまでT君誘い款語尽きず。当時、余は仙台より上京して数ヶ月のはず、T君の日記では翌週十一日にはN兄仙台にて舞踏公演、大野一雄先生特別出演あり余とT君にて仙台に。公演終り確か東北大本部前の居酒屋ラブミー牧場での打上げ、大野先生がお帰りの際に宮城学院女子大学で芸術の教鞭とられていたやはり大野先生と近いお年のM先生「あ、大野先生にお別れするのを忘れた」と立ち上がり酒場を出て歩いてゆく大野先生(リュック背負い傘一本)追いかけ暗き路上にて抱擁され別れ惜しむ姿を眺めたる記憶。ちなみに続く十九日には先帝陛下御吐血、忽ち重患に陥らせ給ふ、とあり。