富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2003-09-12

九月十二日(金)昼まで住宅のプールにて泳ぐ。昼に葡萄酒飲み明太子のパスタ。午睡。夕方まで再びプール、新聞雑誌の類読む。黄昏にShau Kei湾にてH夫妻、T夫妻と待ち合せZ嬢の発案にて石澳の岬、龍背(Dragon's Back)の尾根歩きで十六夜の月を愛でやふといふ嗜好。日暮れて石澳の懲教所より石澳校野公園に入りCollinson山をぐるりとまいて龍背に上がる。東にひろがる海は暗黒、月はなし。空には火星など明るく輝き、月が居らぬとはいったいどうしたことか?、と。昨晩のあの中秋の月は何処。もしや今宵は新月か(笑)、二週間寝ていたのかも知れず、などと軽口叩いておれば東の水平線上空にどんよりと気味悪きほど紅い月が暗雲のなかに姿呈す。月は上るにつれ次第に黄金色へと鮮やかさましZ嬢「神々しい」と。龍背は東からのぼる月を愛でるに最高の場所にて此処に来る客も少なからずと案じていたがとうとう龍背は我々六名のみ。東の海は月に輝き石澳の村の蝋燭だの提灯の明かりも美し(写真)。昨晩に引き続きハイネケンの麦酒。余はさらにJack Daniel's一飲。半時間ほど月を愛で土地湾のほうへと下りバスで石澳の村。臨時バス出るほどで海岸は賑やかなれど料理屋は混んでもおらず石澳中泰式海鮮酒家にて今宵の月を褒めつつ食事。三更となり市街へと向かうバス、タクシーは長蛇の列。石澳のゴルフ場のほうへと須臾歩き石澳へ客拾ひに参ったタクシー拾って帰宅。
▼休刊まで半年となつた『噂の真相』に「イラク戦争で政府に意見書出した外務省キャリア大使が遂に解雇処分」といふ記事あり。レバノン天木直人大使が政府への『意見具申』に二度に渡り米国のイラク攻撃及びその米国支持する日本政府の政策を批判。具体的には「国連決議が成立しないままに米国が単独攻撃に踏み切る事態だけは何としてでも阻止すべきだと考える。それは国連を死に追いやり戦後の世界の安全保障体制を根幹から否定することになるからである。」「『米国が単独攻撃に踏み切っても我が国がそれを支持するのは既定路線である」などとする報道が国内でさかんに流されている。本使は外務省の公式な立場であるとは思わないが、よしんばそうであってもその前に米国の単独攻撃だけは何としてでも食い止める気迫ある外交努力が必要ではないか。」と。二通目は<対イラク攻撃が始まってしまった今、日本が全力で取り組むべきは、米国の対イラク攻撃は正しかったと支持表明を繰り返すことでも戦後復興の貢献策を急いで発表することでもなく、一日も早く戦争を終わらせるべく国連による戦争停止の合意を実現することである><日本が早期停戦の国際協調体制づくりにイニシアチブを取る>ことを提案。<外交とは畢竟二国間の信頼と友好関係の積み重ねである。力関係で或は損得勘定で国益を追求する現実主義的冷静さはもとより大事なことではあるが、日本が世界で尊敬され評価される国になれるとすれば最後の決め手は「日本の為なら何とかしてやろう」と思わせる友好と信頼の関係を一国でも多くの国と作り上げていく地道な努力の積み重ねであると確信する。最後にやや口幅ったいが、唯一の被爆国である日本は、そして戦争を放棄した世界でも稀有な平和憲法を誇りとする日本こそ、世界に先駆けて平和の実現に貢献すべきなのである。>……と内容は至極真っ当。だがこれが元来親米の外務省、そして追米以外何ら政策もなき小泉政権を非難するものとして、無視するくらいならまだしも、退職処分は実質的な解雇。この程度の主張で排除されるのが今の日本。とくに政治と教育はこの悪しき風潮甚だし。『噂の真相』の取材に対して天木氏は「今回の米国のイラク攻撃は明らかな国際法違反であり、まがりなりにも機能してきた国連の存在を完全に踏みにじるものです。イラクの脅威が差し迫っていたという点についてもまったく信憑性がなく、明らかな侵略戦争といっていいでしょう。ところが小泉首相はいち早くこれを支持し、米国の手でイラク人が殺されている最中にブッシュ大統領を褒めちぎり日本の貢献を売り込んで点数を稼ごうとまでしている。微力ながらもレバノンで中東外交に取り組んできた私にとって、これは絶対に許容できないことでした。アラブの人たちは非常に親日的で、中東地域に直接的利害関係のない日本が公平な立場から中東和平に貢献してくれることを期待しているんです。それがこんな一方的な政策をとったら、それこそアラブ諸国との信頼関係は目茶苦茶になる。実際、私の周囲のアラブ人は全員、日本の米国支持に「失望した」と口を揃えていました。私は心が引き裂かれるような思いでそういった声を聞き、この戦争は日本にとっては勿論、米国にとっても多大なマイナスになると確信したんです。それで、なんとかこの暴走を思い止まらせることはできないか、と米国が攻撃を開始する直前と直後に二度にわたって意見を具申したというわけです」と。こんな良心ある外交官がその良心故の解雇。政府の愚かさ情けないかいぎり。せっかくのアラブ諸国親日さも今では形無し。これほどの追米では日本もテロ対象にされてもおかしくもなし。さきごろビンラディン師の映像公開されたが「日本もテロの対象」などと宣われておらぬことを祈るばかり。
▼この天木発言に関連する話だが寺島実郎氏は『世界』十月号で「日本人の国際認識の死角」という文章にて、「日本・独逸などの「枢軸国」に対する「連合国」の合議体にすぎなかったUnited Nationsを普遍的な世界機構であるかのごとき印象を放つ「国際連合」と翻訳したところ」が「戦後日本の国際関係を性格づけ」ている、と寺島氏。氏の挙げる通り中国語ではUNは「国際連合」でなく「連合国」。余は「国家連合」のほうが適切かと思うが。いずれにせよ、この「連合国」と「国連」の感覚の差はイラク攻撃でもわかるわけで、国連の承認得られぬままイラクへの軍事攻撃に踏み切った米国には「国連は究極的な国際意思決定機関」という発想なし。その例が国際刑事裁判所ICC)に対して米国は「米国民が第三国で刑事犯として逮捕され不公平な裁判の犠牲とされることを拒否」と参加拒否。追米主義が国是の日本も全ての予備会議に参加しつつICC批准は保留。さすがフジモリを庇護するだけのことあり(笑)。米国にとって国家の上にUNがあるのではなく、あくまで米国という国家ありき。日本は醜悪にて「国際連合」あると“誤解”抱きつつそれを信奉できぬまま国家の意思もなく単なる隷米体と化しているのだが……。だが寺島氏曰く、むしろ米国のこの独善主義により国連が米国不支持を打ち出せたわけで、米国の覇権主義に対峙するかたちで各国が国際法理と国際協調による制御へと前進していることを評価、と。
東京都知事石原慎太郎君の「田中均というやつ、今度爆弾しかけられて、あったり前の話だ」といふ発言、いくら例え話とて理論上は「テロ容認」発言。しかも自民党といふ政権与党の総裁選挙の応援演説でそれがされたこと。多摩のD君によれば直ちに社説で反応したのは朝日のみ。東京・毎日は今日付けで言及。注目すべきは我らが産経(笑)で、今日の社説は「これは明らかに言い過ぎであろう」「口がすべった部分は潔く撤回する方が賢明ではないか」と「諫言」とか。救う会や家族会も石原発言に批判的発言、「いくらなんでも石原とは一緒にされたくない」のだろうが、D君によれば情けないのは読売で社説で取り上げないのは勿論、社会面の扱いも極少とは……さすが。いずれにせよ「総じてヨノナカ的には石原発言はさして重大と受け止められていないかの様子」で「普通の国」なら、即政治生命終了。日本といふ非常識が常識の国だからこそ石原君も都知事になれるといふもの。D君の言ふ通り小泉三世も信じられないような低レベルの放言を繰り返してきたが小泉君の空言の如きがアホらしくて相手にならぬのとは石原発言はレベル違ひ。明らかに「言ってはならないこと」の放言。それをごく静かに受け流す世論。日本「社会」はすでに崩壊したるか、少なくとも社会における「言論」の意義というものが全く認められておらぬことは確か、公人が言論に責任をとらぬ以上言論に基づく近代市民社会はもはや存在の基盤を失っている、とD君。或は、革命も経ぬまま今日に至る中で日本には近代も市民社会もないままなのかも。一部の進歩的市民層がそれっぽいだけで社会としては小泉、石原君の如きを許容し自民党に政治を放り投げて無節操に生活すばかりの大衆なるものがそこにあり。それにしても、逆に「石原君を狙うテロ勢力といふものが今の日本に存在せぬこと」の認識が大事。石原君の言いたい放題のやりたい放題はテロに狙われるでも革命左派暴力集団が爆弾仕掛けるでもなきことは石原君を更に傲慢にさせる。日本の社会は粛正が行き届いた結果、過激派は石原君の如き右ばかり。いずれにせよ唯一の救いは石原君には同じ右翼でも北一輝先生の如き尊大なる思想性もなく単に吼えるだけでPHPだの自衛隊の若手幹部が呼応するような社会運動にならぬこと。実害といへばその非常識さに石原君を都知事に据える都民、日本国民が「常識外」として海外より白眼視され、日本の民度の低さを嗤われることだが、それもピンと来ぬから都知事にできるのであり実害があるといふ認識もなし。お話にならず。最後に、実は今回の石原発言、重要なるフレーズは実はテロ容認にあるのではなく石原君曰く「政治家に言わずに」の部分。田中氏が「政治家に言わずに」北朝鮮交渉続けたことが政治家の逆鱗に触れたこと。外務省幹部にしてみれば政治家に介入されては政治絡みとなり交渉不可能、といふ判断は当然、だが政治家にしてみれば対北朝鮮交渉といふ大事をたかが外交官どもが勝手しおって、と。外務省と政治家、どっちもどっち(嗤)。