富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月初四日(木)昼に航空会社勤務のY氏と外国人記者倶楽部。鶏肉の白カレー。夕方帰宅して週刊香港連載の原稿二本。秋ゆえに秋刀魚、豚汁。日経Galleryの原稿。一晩で三本済ませひとまずこれで次の入稿は10月下旬。村上春樹柴田元幸サリンジャー戦記』読む。あまり悪口ばかりいわず少しは本人の弁読まむといふ次第。
▼沖縄の自衛隊員宅より大量の武器弾薬発見さるる。末端の自衛隊員から防衛庁長官まで軍器オタクとは素晴らしき統率ぶり。
▼ある友人より久しぶりの美味しい出張、と便りあり。一日で済む仕事が「せっかくだから泊まってくれば」で温泉。友人曰く、日本中の会社でそういう金の使い方をしなくなったということは即ち巨額の内需が喪われたということ。無駄な金を使うということは資本主義にとっては欠くべからざる経済の潤滑油。新自由主義的「構造改革」のもとでは、そうした需要は経済の無駄として敵視され、さらにより一層削減されるべく。景気はますます冷え込む。
▼築地のH君より今日の毎日新聞夕刊で松本健一氏曰く「若いときには、8.15に革命があったというのは丸山さんの錯覚だと思っていた。しかし今回、戦前の国体に帰らないように革命というフィクションを設定し、8.15革命の原点に返れという考え方なのだ、と気づきました」と。H君曰く若い頃より「丸山真男は「そういうもの」と思って読んできましたが」と。全く。丸山先生本人が「戦後民主主義の虚妄に賭ける」とした、これは「常識」、小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』読めばよくわかること。もしかすると丸山以前の問題で、大きな誤解あるかも。この「……ということにしておく」というはH君が例えに挙げたはルソーの社会契約論にせよ天賦人権論にせよ「神様から人権もらったり国家と社会契約したりした現場を見た人は一人もいない」わけで、「そういうこと」にしておかなければ市民革命は理論的に正当化できないこと。丸山の8.15革命も全くそれと同じ。それを「錯覚」と思っていた、とは。でも間違いに気づいただけまだいいが、今度は「フィクションを設定」と今さらながら気づいたとは、ちょっと……。松本健一もなんだがそれを週刊読書人であれ毎日新聞であれ積極的に取り上げるといふことは、もしかすると編集者なり新聞記者も若い世代でこのようなかつての思想界の常識が新鮮な発想と映るのかも。そういえば民主党の若手議員らが丸山眞男を新鮮な気持ちで読んでいる、といふ話もH君に聞いたが、同じ状況か。丸山眞男など社会政治思想に興味ある者なら高校生くらいでまず岩波新書で読んでいて当然、などと思ふのは余やH君が老世代の証拠。
▼今日も産経新聞産経抄」かなりの力量と新宿のL君より報せあり。あたかも「新聞投書」「白河越え」「ジェンダーフリー」で三題噺をつくれ、という大喜利を見る如し、とL君。「昨日の某紙投書欄に「白河越えって差別なのでは」という四十六歳の女性公務員の投書」あり「今夏の高校野球の決勝は宮城と茨城の対決」を「「白河越え」という言葉の歴史的背景を思えば、これは高校野球にふさわしくない」という意見。それに対して産経抄「やれやれ」と。「蝦夷の南下を防ぐために設けられた関所」という「歴史の出来事を学ぶことは大切」「言葉の本来の意味を考えてみることも大切」だが「歴史が生んだ日本語の多彩な言い回しを“差別語”として封じるのは困ったもの」で「それもまた一種の言葉狩り」、これでは「「天城越え」「箱根越え」なども使えなくなってしまう」と。「みちのく」なる言葉に「とんでもない辺地とか地の果てとかいったイメージを抱く人はいない」「むしろロマンチックな夢を感じる人のほうが多い」し「縄文の三内丸山遺跡のように、古代から東北の文化的水準の高さを示す遺産もある」と、ここまでは「まだ」いいが最後が凄い。「地名にはみな深い由緒があり、古い文化があり、長い歴史がある。当然ながら人間の哀歓が宿り、明暗こもごも入りまじる。その暗だけを見て、“差別語”などと排斥する人は、たぶんジェンダーフリーという浮薄な風潮にも賛同する人だろう」と白河越えの話が最後はジェンダーフリー批判(笑)。仙台に生まれ育ったL君曰く
余は寡聞にして「天城越え」「箱根越え」なる用語に差別語としての意味を認める議論のあるを識らず。相通ずるは僅かに「越え」なる語を以てこの三語を並べて論ずるが如きは只記者の無知蒙昧にて品性低劣なるを満天下に示すに他なし。抑某紙に白河越えの投書したる人はジェンダーフリーにつき何ら意見を陳ぶるところなし。産経紙がジェンダーフリー批判為すは自由勝手なれども、「こういう人は‘たぶん’こうだろう」なる思い込みにて公論を為しは凡そ売文生業とせし徒には非ざる所為らずや。余は代々東北の生まれにて薩長政府以来「白河以北一山百文」と蔑まれにし先祖の苦衷を能く識りしかば斯くの如き牽強付会の論にて東北が文化的水準云々と利用されたるは苦痛甚だしき所なり。過日男色家に言寄せたる駄文有り亦た此処に東北人適当に用いて只己の政論を無理にも新聞紙上にて掲げたるは産経新聞の頽廃更に止まるを知らざるなり。尤も是れ同紙に宛てて認めし処で凡そ意の通ずることも能はず。却て復も差別語排斥せし愚者在り等と得意にならるることもあらむゆへ只畏友富柏村君にのみ私信としてのみ伝へむ。
と。御意。よくぞ産経抄ジェンダーフリーに続き「こういう人たちが、国家の歴史も同じで、祖国の歴史のうち暗だけを見て自虐史観に陥っている」と結ばなかったもの。