富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八月廿八日(木)日暮れに北角の市場街を抜ければ次第に眩しくなる街灯は市場を明るく照らし、市場には一日の業を了へ家路に急ぐ顔晴々とせし買い物客溢れ喧噪騒々しきもまた風情あり。日本にても余が子供の頃にはどこにでもあつた風景。市街の横丁の賑わいも青物屋の威勢よき売り声も今では余の故郷の曾ては商都と謳われし街にもなし。帰宅してテレビつければ阪神は甲子園に戻り昨日の勝利に続きナヴェツネ巨人に11対0と完勝、自民党小泉続投といふ悪夢の世にあって社会党なき今、阪神の邁進のみ吉事、それにしてもナヴェツネ巨人の惨敗ぶり「プロ」を歇るべきでは?(笑)。鯵の開き、冷や奴など肴に菊正宗を冷やで一飲。『世界』九月号読む。和仁康夫さんが「政治の季節迎えた香港」なる文章寄稿され23条立法を日本の読者に巧く説明されるを読み感心至極。真っ当な寺島実郎氏の連載、大量破壊兵器も未だ発見されぬイラクでの米国イラク侵攻支持の根拠の曖昧さ質された小泉三世が「日本が情報活動しているわけではないし」と宣った一言を寺島氏取り上げ、米英の提示したイラクの脅威なるもののみを根拠に米英に加担した日本は本来であれば近代史の総括として自らを戒め、この半世紀以上も踏み固めてきたはずの「武力を紛争解決の手段としない」基本理念を簡単に見失ってはならぬはぬはず。寺島氏の指摘する欠陥の一つは日本が情報過疎地帯と化していることで、戦略研究所とて企業内の調査情報部を延長した株式会社型か(……と日本総研理事長の寺島氏が言うのも皮肉だが)官公庁の下請け外郭団体の財団法人型のみで、ブルッキングス研究所カーネギー平和財団のような多くの個人や企業の支援で安定した財政基盤を有するシンクタンクが育たず、だいいち米国相手に適切な外交安保政策を志向しようにも日本には半世紀以上の同盟関係の相手国を体系的に分析する米国研究所すらないのが現実、米国の中東政策を正面きって批判する仏蘭西が73年の翌年に構想を発表し20年がかりで開設した「アラブ世界研究所」が活発に作用して仏蘭西としての情報回路構築し主体的政策を有することとのこの格差、と。御意。二週間ほど日本に滞在し愕いたことはあれだけテレビだの雑誌だのマスコミあっても氾濫にすぎず、どうでもいいくだらぬネタの垂れ流し、真っ当な情報など甚だ少なきこと。金大中事件のおきた73年から88年まで『世界』に「韓国からの通信」寄稿したT・K生、それが池明観氏であることが先頃明らかになったが、今月の『世界』にはその池氏へのインタビューあり、それを読みつつ毎月この「T・K生よりの手紙」を熱心に読んだ当時を思わず回顧。築地のH君だの谷保の医師N兄、久が原のT君(余の勘違いにてずっと世田谷区と誤解)らと出会ったのも当時のこと。
ユニバーシアード大邱大会にて話題の北朝鮮の美女軍団、移動中にバスの車窓から街路に貼られた将軍様御真影金大中君と握手する御姿)が雨に撲たれるを看て、将軍様を雨に濡らすとは、と嘆き悲しみバスを降りた美女軍団、涙に咽びつつ木に登るなどして御真影を外す義挙。一つだけ不思議なるは濡らしていけぬはずの御真影ながら外した後は雨のなか将軍様賛ふ歌口遊みながら御真影を大切に掲げてバスまでゆっくりと行進。美女軍団が掲げれば雨の中でも掲げるは可、か。天安門にて毛沢東とて風雪に耐えるに……。その映像観てあんぐりと口を開け驚くのが我が国とて60年前までは御真影いただき崇め奉るは同じこと。他所ばかり驚いてはおれず。
▼築地のH君も小泉改憲発言について曰く「百歩譲れば」「天皇制とか安保国防とか、まあそのくらい大きなテーマであれば「憲法と現実との乖離が大きい」とかいいたくなるのもわからんでもない」が余の指摘した通り「衆議院選挙制度という技術的な問題(しかも数年前につくったばかり)を持ち出すなら、これ単に「選挙制度違憲」という話し」であり「総理が自ら違憲と認識している制度を放置してよいのか?改憲より先に選挙制度を改めるのが普通」と。御意。話していて虚しくなる感あり。H君続けて「わが国に「馬鹿に構う奴は猶馬鹿だ」との古諺あり、しかし小泉級の馬鹿を放置する奴は「馬鹿に構う馬鹿」より猶馬鹿と言うに如くはなし」であり「国を害する小泉に与する輩(小泉支持と宣ふ輩)はすなわち国賊、亡国の徒」ではなかろうか、と。小泉、橋本両君も今となればトテツもなく立派な首相だったような気もすれば、森君とて「かなりマトモ」と思へるは悲し。
▼築地のH君より27日朝のワイドショーの話題。北の工作員の足取りを追って釜山の警察署を訪ねた取材ディレクター。工作員の資料があるというので閲覧を求めるディレクター氏。しかし警察が拒否。激昂するディレクター。「韓国と日本は同盟国じゃないですか!なんで北をかばうんです!?」。通訳も困った表情。同盟国と言われても日本人よりも北朝鮮の方が近いだろう、なんといっても同胞。まあ、そういう理由で「かばってる」わけじゃないだろうが、さらに興奮したディレクターが「通訳してくださいよ!日本が、北朝鮮にひどい目にあって、それを……」と。通訳がよくこいつを殴らなかった、とH君。通訳がもしこの言葉通り通訳してたら警官が殴ったかも。こともあろうに、日本人が韓国まで行って日本が朝鮮にひどい目にあったなどとと宣うとはまさに「妄言」。H君曰く石原慎太郎でさえ、災害時には左翼でも助ける、と。理由は左翼とて同胞ゆえ。確かに拉致では日本が被害者ではあるが日本が朝鮮半島で犯した歴史的犯罪に比べれば結果は明白。北朝鮮拉致が独り歩きを続け日本にてはすでに北朝鮮を敵として日本が被害者といふ言説が当然に。日本は右傾化といふがこのディレクターの言動など朝鮮の民族性すら理解できておらぬ。つまり日本でいま着々と構築されし言動は本来の民族主義ともおそらく明治以来の近代の国家主義とも異なる、たんに虚言に満ちあふれた<帝国>なるものかも知れぬ。そこに小泉三世であれ、安倍石破といったネオコン、拉致運動などが宿る。
▼同じくH君よりの小話(事実)。毎日新聞の記者が、イラクにてウダイ、クサイ氏等の殺害現場で取材中。近所の住民への聞き込みをせんとする記者を、米兵が妨害し銃で威嚇し「これが最後の警告だ。おれの目を見ろ」と。しかしこの米兵、サングラスをかけておりいくら見ても彼の目は見えず。記者のまとめは「相手の心を理解しない一方的な暴力や善意の押し付けでは何も解決しない」。だがH君、やはりこれはハッキリと言いたい。いや言うべき。「オマエ、馬鹿じゃん!」と。