富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八月十八日(月)朝、駅に向えば小雨のなか駅前の宿無者、軒ある処に非ず、雨あたるベンチにビニールシート被り臥すを見る。かつてバス並び賑わいたる駅前、空中回廊伸びて遠めには近代都市なれど路面にゴミだの吸殻など散乱甚だし。寂しきこと限りなし。特急にて露伴五重塔』数頁読み眠りに陥り東京。新宿に向かいHotel Century Southern Towerに投宿。受付にて依頼もせぬうちに先日預けた荷物、上着の類クロークより持ち出さる手際の良さ。午前11時前ながら部屋に通され明日も13時すぎまでの逗留も可。Z嬢実家より戻る。昼につな八本店にて穴子天丼。二階席数えればカウンターと座敷にて32席を三人の揚げ方にて全ての客の食べ具合に合わせ天麩羅揚げる様、給仕する者との効率よき対応、見事といふばかり。午後、Z嬢と別れ独り新宿に遊び夕方日本橋。永頼堂にて扇子二本。丸善にて便箋、原稿用紙など購う。銀座。歌舞伎座前にて築地のH君と待ち合わせ。夜の勘九郎丈の野田版鼠小僧、連日大入りのところ切符余った客より一階席を要りませんか、と声かけられるが見れぬは残念。H君と木挽町の横丁にあるJohn Lennon偲ぶ喫茶にて歓談。築地に歩きZ嬢と待ち合わせ三人にて月本氏待つにぶらりと入った鳥芳なる焼鳥屋、焼鳥さることながらお新香、鶉卵の大根おろし和え、鶏スープも美味。月本氏と某局の元アナO嬢と五人で「ささ屋」。O嬢と別れ四人で銀座八丁目の西五番街にある、かつて「とりふじ」のH氏営む葡萄酒酒場にて一飲。十月の巴里にての再会を願い月本氏と別れH君Z嬢と新橋より国電にて新宿。管理教育と愛国心話題となりZ嬢酔いに疲れ「小学生でも音楽の授業で君が代歌唱指導徹底され、君が代を三番まで歌えとか、そういふ……」と口走り余もH君も君が代のニ三番の歌詞咄嗟に思いつかず頭の中早送りで君が代歌へば君が代にニ三番などないことを認識(笑)。これから君が代の普及に熱心なる輩と遭遇せし際は「そこまで君が代君が代と言ふのなら、ちゃんと三番まで斉唱してみなさいっ!」と言って差し上げれば相手間違いなく一瞬絶句し頭の中にて君が代歌い三番までを確かめることは確か。新宿にてH君と別れホテルに戻り東京最後のテレビ深夜放送ぼんやりと眺める。