富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八月十七日(日)小雨。朝、友と別れ土浦より実家に戻る。日韓の携帯電話の「勇気ある孤立」により世界基準のGPSから日韓両国に来た者には甚だ不便あり。日韓での年に数度の使用のため毎月の高き月額払い番号維持するのも馬鹿馬鹿しく、前払い方式は僅か三ヶ月の未使用にて電話番号抹消される不便もあり。DocomoAUも要領得ぬところブラリと入ったJ-Phoneにて聡明親切なる副店長よりVodafoneなるW-CDMAGSM対応の携帯(ベツカム君宣伝に起用)紹介され日本にて未使用であれば月額僅か650円も納得。残念ながら在庫なし。東京にてかなり反響ありW-CDMAのまだ普及せぬ地方に一旦は配った電話機を東京に戻したる由。昼に芸術館の中庭にて小学よりの畏友J君と再会。J君の奥様、二人の娘息子にも初めてお会いしご挨拶。J君と二人、郷里のかつて賑わいし酒場街、昔を懐かしみつつ歩き裡信願寺町の中川楼と云ふ鰻で評判の老舗の料理屋。余が子どもの頃から少しも変わらぬ門前より玄関に続く径、古き料亭の造り、庭眺める座敷といふJ君らしき招飲まことに有難き限り。あっさりとしたタレの蒲焼はキョービの多くの鰻屋の甘く滷からき味とは異なり秀逸。余の祖父の頃から親しくさせて頂く店にて老いてもなお品ある女将さんにご挨拶いただく。昔を思いおこせば中川楼にて宴会で最後に出されたる蒲焼をすでに酔いもまわった祖父や父は箸つけず折詰めにて持ち帰り翌日の余の幼稚園のお弁当にこの蒲焼といふ今思えば何といふ贅沢か。祖父や父たちがかつて蒲焼に舌鼓打ち酒に酔ったこの店にこうしてJ君と訪れるも何とも言葉にならぬ感慨。老いるもまた愉し。J君を自宅に車で送る。J君の広大なる屋敷はかつて狸狐の出そうな土地も今では近くに国道バイパス通り、そこに出れば市街の閑散に比べ店々並ぶ賑わい。夕方、母とCafe Trois Chambresなる珈琲店にて一飲。「たかだか」といへばたかだか一杯の珈琲淹れるに神妙なる抽出、客はそれ15分以上を只管待つは世界にて日本にあるのみの文化、か。確かにグァテマラ注文すればグァテマラの香り。香港にてはグァテマラなど珈琲店にてもEgyptian Greco Coffeeのご主人除けば誰も知らぬ話。母と久々のよもやま話。近くのHolyday Innホテルの「滬」なる中華料理屋、立ち寄りフロントにて電話番号もらい見習いの如きスタッフに「この中華は何料理ですか?」と尋ねたところ多少戸惑いつつ「上海料理となります」と滬が上海の字と知ってか知らずかいずれにせよ確か。晩にこの店に両親と妹連れ食す。上海料理といふがいわゆる中華全般。帰宅してWild TurkyのFreedomなる古酒、コルク屑だの沈殿物だのあり紙フィルターで濾して飲む。昨晩ザ・フォーククルセダーズの昨年末の音楽界の再々放送あり妹に録画頼み今晩見る。CDにては何度も聴きしものの映像にて坂崎幸之助あらば坂崎氏音曲にいくら上手とてやはり「はしだのりひこ」なきフォークルは余の三十数年前に聞きしフォークルに非ず別物なり。歌舞伎の口上とした幕開けの演出面白くも観客の多くは舞台上の役者が口上流暢に始めて白塗りの顔見てもその声聴いても猿之助本人名乗るまで沢潟屋だと気づかぬほど、猿之助ほどの知名度とてこの程度とは……。それにしても「イムジン河」、勿論三十数年前に朝鮮半島の現実歌ったことの意義は大きいが今回の演奏での北山修によるMCにせよテロップにせよ「ハングル語、ハングル語」と。ハングル語とは何ぞや。
▼築地のH君より。自民党のいっとき評価もせし谷垣禎一君が靖国神社参拝。ちょっと買いかぶりすぎたか、とH君。首相になるには親分の「ハト派加藤紘一を反面教師にしたか。日本を救うには「守旧派亀井静香チャン首班? イラク派兵について自民党では野中と古賀誠イラク派兵に反対して採決時退席、もう一人は稲葉大和という元科学技術庁長官、新潟3区選出で尊敬する政治家は田中正造、と。
▼久が原のT君より終戦の日に当たり綴りし日剰送られ一読に値する内容。要旨のみ書き写せば、四月二十九日の先帝御誕辰をみどりの日、昭和の日と小手先でいぢくりまはして連休歓楽の名目を餝るより、沖縄陥落の日、広島長崎焼尽の日、終戰日をば休日になすべき、と。靖国も常人を神と祭るは本邦古来の伝統になく、人の魂と神霊とを同列に扱ふほど神々に対して不敬はなく、明治以前は天皇を祭神とするは御霊たる崇?院など除けば百二十五代中僅かに応仁天皇?功女皇の例を見るのみ、仲哀天皇の香椎社も中古には廟と称し 他の?社とは性格を異に処す。T君曰くところの「祖霊信仰と神社神道とのネヂレ」、靖国も「参拝事実の可不可のみあげつらひ、肝腎の信仰を論ぜぬ」錯誤。耶蘇の降誕祭には青山表参道の街路樹に電飾騒動あり「人波の多さを論ずる者のみにして、明治大帝を祝ひ奉る社の参道に異教の祝儀もつてのほかなりとの「正論」は聞かざり」と。御意。