富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月八日(火)昨日より肩凝り甚だしく如何ともし難くふと手帳見れば前回の献血より三月と十日ばかり過ぎ血抜かねばこの肩凝りもさもありなむと合点。黄昏に銅鑼灣の香港紅十字会輸血服務中心にて献血。香港にて23度目の献血終ればひどい肩凝りも嘘の如く失せ快適。それにしてもこの献血場所銅鑼灣の一等地にて眺めも面白かれど窓大きく仕切りもなく向いの建物ばかりかHennessy Rdの通りの向こう側より見上げることも可能にて私隠もなし。献血しつつぼんやりと眺めておれば向い之建物に余は未だ訪れもせぬ「和民」なる日本式の居酒屋あり。どうも和民なる語の響き宜しからずふと思ふはこの「わ」が訓、「たみ」が音の重箱読みなる由。「わみん」と音読みできぬこの和民なる言葉ぢたい何故かと調べれば株式会社ワタミがそもそも在り昭和62年に居酒屋「つぼ八」のフランチャイジーとして直営店舗を運営していた有限会社渡美商事より居酒屋事業を買収し営業開始。「わたみ」が渡美であれば原音は「わ」「たみ」に非ず「わた」「み」で訓読みと納得、てつきり社長の姓かとも思ったが社長が渡邉美樹にてその姓と名の一字づつ採って命名と合点。献血終り晩に二時間半ほど講釈たるるお座敷あり企つたまま話しておればさすがに昨晩四時間ほどしか寝ておらず日中の疲れと献血にて眩暈。
▼六日(日)の日経に浦田某なる編集委員による「民俗学のいま」なる連載あり柳田国男より語り始め「定住した」柳田の限界から「漂泊」に関心寄せた折口信夫へと進むが折口について谷川健一の説引用され一読してそれに疑問多し。「同性への愛や家庭の不幸などを背負った折口先生は“幸福な民俗学”をめざした柳田先生とは対照的。柳田先生が富士山なら折口先生は妙義山だ」と。この評余りにも短絡的すぎぬか。折口信夫の宅に寄宿する書生総喰ひの男色暮らしはご本人にとつては幸福の極み、「歪んだ家庭環境ゆえに同性愛者になつた」などといふも野暮、家庭の不幸とて『身毒丸』でも一読すれば不幸すら美学へと昇華させむ思想、それらを短絡的に不幸の民俗学とでも呼べようか。対照とされる柳田とて何処が幸福か。稲作をする常民に課せられた宿命的定住性に不幸もあり其故に昔語りの奇っ怪なる物語伝承されたと言えなくもなし。漁民とて柳田が八戸の鮫といふ部落語った随筆読めばその悲しさ漂い余には柳田民俗学の何処に幸福などあろうかと疑問に思ふばかり。