富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月廿九日(日)明走会にて大埔墟に朝集まり林村の梧桐寨より大帽山に向かい渓谷をさかのぼり梧桐寨群瀑の滝めぐり。朝は時折通り雨に見舞われるが歩き始めると昼より見事な快晴。梧桐寨の集落より山道に入ると四輪車も入らぬ山中に萬徳苑なる見事な寺院あり。廿分ほど歩き最初の景観は低瀑(下滝)の滝底の井低瀑。見事な水量の中瀑(中滝)にて水浴び、香港一の35mの高さを誇る長瀑(主瀑とも云う)に至れば高度三百米ほどとなる。滝はここ数日の雨で見事な水量を有しその姿も水のおちる音も太陽の光あびてきらきらと輝く水飛沫も見事(写真)。ここから数年前の大雨で岩崩れがあって未修で一応通行止めの滝横の沢のぼり散髪滝と云う小さな滝まで上がる。滝底の真っ暗な洞窟に入り写真撮る蜻蛉なのだろうか飛んでおり、画像左上には「手に本を持った男性」が写っている?(写真)。ここで大帽山に登る本隊と別れZ嬢、I嬢と山道を一気に梧桐寨まで下りバスで太和、KCRで九龍塘、車で九龍城に向かい金蘭花にてタイ料理。福老村道の地茂館甜品にて黒芝麻糊、秀逸。車で土瓜湾の馬頭角道にある牛棚芸術村(写真)。牛棚(Cattle Depot=牛舎)という名は嘗てここが牛の屠殺場だったからであり、この土瓜湾の周囲は工業地帯だの階下に板金業や自動車修理工場の並ぶ下町になぜ屠殺場かといへば1908年に此処にそれが設けられた当時はおそらくここが海沿いで船で牛が運ばれてきたのだろうか。周囲の景色は大きく変わったが此処の屠殺場は80年代末まで使われ、90年代には動物検疫所となったが周囲の環境問題もあり閉鎖。1908年からの煉瓦造の建物が当時のまま残っており香港政府が奇跡的にここを再開発せずその建物を遺して芸術家や演劇などの団体(進念であるとか)に貸与、彼からの活動場所となっており、そこでここ数日「夏之日與牛棚芸術節」なる企画ありまだ10代からのアート系の若者が好きに企画運営、それを少し参観。内容は全く大したことなき創造活動だが好き者の若者らがここでコミューンのようにこうして活動できるだけでもよいこと。ちなみに食用牛は今では中国であれ外国産であれすでに解体され食肉製品となり香港に輸入されるが、豚は香港島のKennedy Townに90年代中葉まで屠房ありKCRで強烈な悪臭撒き散らしながら貨物列車にてHung Homに運ばれてきた豚が今度はトラックに押し込まれ海底トンネルを抜けて湾仔から中環のハーバー沿いの大通りをブイブイ言わしながらKennedy Townのその屠房まで運ばれていたもの。KCRのホームでこの豚列車に遭遇した時もなんとも悪臭と埃がひどかったがトンネルでこの豚トラックの後ろについてしまうと、当時冷房などないバスの中は地獄だったもの。新界に屠房が移り今では食肉化された豚しか市街には参らず。……閑話休題快晴を通り越して遠くの山が近づいて来るほど見事な強烈な晴れ間のなか九龍城の波止場まで歩く。白宮冰室という古めかしい店あり(写真)。冰室とはパーラーとでも言おうか、暑い香港では夏に冷たいアイスクリームだの氷菓子を供する店が冰室という喫茶店のような形態としてあり今でも下町にいくつか冰室が残る。フェリーで北角に渡り帰宅。午後六時を過ぎても強烈なる日差し。
▼“帰来超人”の地球防衛軍が国連の組織と書いたら築地H君がウルトラマン科学特捜隊の本部はパリでドゴールの時代、と。確かに国際科学警察機構(科学特捜隊の正式名称)の本部はパリだがド・ゴールといわれるとド・ゴールは一時代前の人でウルトラマンを知らずに亡くなったような印象もあるが調べてみると確かに69年に失脚し70年の逝去、昭和41年=66年のウルトラマンの時は確かにド・ゴールがフランス大統領であり、とするとこの国際科学警察機構がなぜパリに本部があるのか、ということもド・ゴールと関連して考えなければならぬ。勿論、国際科学警察機構が国際刑事機構の本部がパリということで連携から同じパリに本部を置いたということも考えられるが科学特捜隊は当時の国連にとって正規軍と同格であり、それを米国がそう簡単に海外、しかもフランスに本部設置を認めたとは。当然、当時はベトナム戦争の真っ只中、米国も冷戦でのソ連との対立があり今日のような覇権主義の余裕もない時代であったが、これも強力なド・ゴール主義の外交戦略というとらえ方も可能なはず。
▼月本さんが日記に野村萬斎ハムレット』を見たと書かれているがオフィーリア演じた中村芝のぶを褒めている。15年ほど前に稚児の会とかでこの芝のぶの演技をみて今後が楽しみと思っていたがこのオフィーリアの好演は是非見てみたいもの。もう若手女形ではないし今後、この役者は老け役や新派(新派が今後もあれば、の話だが)でかなりいい演技を期待できるはず。
▼昨日綴るのを忘れたがS氏が骨董時計屋を再開した西港城にて階上のレストランよりジャズバンドのリハらしい音が聞こえてきて一聴してその巧みな音を奏でるギターからそれがEugene Pao氏である、と判る。ここまでギターの音色ひとつでわかるのはこのPao氏であるとか竹中尚人(Char)であるとか。リハのため階には上がれぬがエスカレータからステージ見えてやはりPao氏。その姿は後光がさすほどなり。