富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月十四日(土)時々雨。拙宅も引越して一年近くなり浴室の水道管だの廊下の幅木だの痛みも目立ち内装工事した会社の棟梁が来室。競馬のデータ眺め午後はジムにて二時間の鍛錬。拳闘系のクラスにてお師匠さんがこともあろうに参加者に打たせるためにと『ムーミン』の、しかも厭世感もあるが最も平和主義であるはずのスナフキンさんの人形を用意して来て楽しげにスナフキンさんをぶっ叩く。きっと『ムーミン』の物語も読んだこともないのだろうが野蛮なこと極まりなし。バスの中で競馬予想。Quarry Bayの場外にて馬券購入。East Endにてale飲みながら『神聖喜劇』少し読み帰宅。餃子、油菜、茄子の冷菜、胡瓜の四川風一夜漬と中華の晩餐で五糧液飲みかなりいい気分。テレビで競馬中継。R5にて百勝真威なる馬がdirtで前二戦三一着と好調でしかも馬場は雨で騎手が梁明偉君で5磅減の108磅で絡まぬはずないと信じて荒れる予感もありこのレースのみI君見倣いこの?軸に総流ししたら見事二着に入り而も一着に永恒之趣が入り連複でHK$1071.50の高配当。沙田マイルはMerridian Starに賭けたがCitizen Kane、R8では馬主C氏のDashing Championが1000mに初陣にて28倍と期待薄だが梁明偉君で114磅と軽量でDC含み三連複にするがDC善戦したものの最後差されて4着で馬券は惜しくも124着。『噂の真相』読む。筒井康隆がヒトゲノムについて書いているのだがヒトゲノム以前にも胎児の段階で男色傾向の有無など判り堕胎された例などもかつてあったそうで、ただそういう堕胎があるとコクトオみたいな優れた芸術家を葬ることになると筒井先生懸念を示し、ただヒトゲノムの研究が進めば部落差別といった差別に何の根拠もないことが明らかにされ差別も解消されるかも知れぬが、伝染病などなくなりヒトの寿命が一気に100歳になる日も近いのではないか、と。老害。Ken Parkの映画で少年が祖父母殺す場面を彷彿。台湾出身のインリン嬢のインタビュー拝読。ブッシュ死ね、とインリン嬢。「個人情報保護法」=「言論弾圧」反対!、「住基ネット」=「国民管理制度」反対!、「有事法制」=「軍事優先国家化」反対!と主張続き、侵略と戦争の時代は前世紀で終わりにして、日本は非武装中立穏健文化国家を目指そう!国家を捨て、個人の為に生きよう。民族を捨て、地球の為に生きよう。信仰を捨て、現実の為に生きよう。競争を捨て、他者の為に生きよう。暴力を捨て、理性の為に生きよう。武力を捨て、知性の為に生きよう。自由を捨て、平和の為に生きよう。人間なら生存の為に出来るはずだ。御意。『神聖喜劇』一行一行じっくりと読む。
▼視聴率13%台まで低迷しているというNHKの「武蔵」。余も当初新之助君の演技に期待して見たがここ数ヶ月すでに見ておらず。だいいち脚本(ほん)が悪い。築地H君指摘するに「おつうがどうしたの小次郎の女がなんだと脇筋に入りすぎてまったく盛り上がらなかった」所為なのだが、これがアサヒ(アサヒ芸能ではなく朝日新聞である)によればNHKイラク戦争が敗因の一つと分析してるそうで、前半の山場であるはずの「一乗寺下り松の決闘」がちょうどイラク攻撃と重なり、武蔵に斬られる吉岡道場の跡取りがイラクの子どもと視聴者にはダブって見えたのでは…って、ウソだろう、そんなの。いずれにせよこの一乗寺下り松の場がNHKの「配慮」によて刺激的で血腥いシーンを当初予定の3分の1までカットしたというが……。H君続けて脚本も悪いが脚本家の所為にばかりできずキャストとて問題あり。結果論だが小次郎に妻夫木聡、おつうは広末涼子が適任、と。さらに柳生宗矩菅原文太。おつうは断然、ちょっとキレてる広末が新之助相手にいい演技できたはず。
▼Washington Postが昨日中国のCoquinteau国家主席が来る7月1日の中国共産党建党82周年祝賀大会にて地方議会の競選制を導入発表と伝える。これまで事実上党公認候補の信任投票。今回の改革はポスト江沢民の路線明確にしたい胡錦涛の思惑と新型肺炎の蔓延隠蔽に見える党官僚機構の重大な弊害の改革が目的。小さな一歩であるが党が地方議会とはいえ選挙制度導入し党支持なき者でも立候補できるようになることは意義あり。疫病が社会を改める事実。Coquinteauが国家主席に就任したものの依然として軍を掌握する江沢民が実質的な領袖であり子飼のCoquinteauはまだ見習いでしかなく実際の権力掌握にはあと数年かかる、という見方もあったが、今回の疫禍にて江沢民や朱鎔基、李鵬らが疫禍の北京をそさくさと離れ上海などで防疫に籠ってしまい、それと対比される形でCoquinteauや温家寶、特命にて疫禍対策を統帥することになった呉儀らが疫禍のなか果敢に防疫に奮闘する様がメディアに流れ新しい時代の指導者の姿となる。北野武監督『教祖誕生』という映画で教祖がいかに偶然のなかで誕生してゆくかの過程とその神格の虚構性が描かれていたが、この中国の指導部の変遷と疫禍を見ているとまさに政治の可笑しさ感じ入る。