富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2003-05-16

五月十六日(金)天気予報は雨ながらも快晴。ふと気づいたのだが、ちょっと市街を外れて歩いていると流しているタクシーが近よってくる時もあるのだが、今日は止ると思って高を括っていたら無視されてしまい、ふと気づいたことはスーツなど来ているとタクシーは客と期待して止るつもりとなりカジュアルだと「どうせタクシーは乗るまい」と思われている、ということ。晩に湾仔Lockhart Rd歩けば通りは客がおらず全く動かぬタクシーの行列(写真)。用法は異なるがなぜか「まんじりと」といふ言葉が似あいそう。帰宅して乾果実入りのカレー。夜、かなり久々にNHKニュース10見る。いきなり「景気は低速感が出ています」って、もう10年以上減速続けての今さら何が低速感だろうか。もう停まる寸前まで低速になっておりさらに停止が近づいたのが本当だろうに。昨年度の経済成長をどうにか0%成長にしなかった小泉内閣、小泉三世「景気はけして悪くはない。悪いところばかり見ないでいいところもあるのだから、それを見て元気を出していかないと」などと、聞くに値もせぬ愚論宣い自民党内部からも粉飾決算と揶揄される始末。小泉三世の言説、これまでも大平のような鈍弁、言語明瞭意味不明の竹下など、小泉に比べればまだ意味のあることを言っていたと今になり彷彿させられるほど。
▼昨日呆れた民主党だが有事関連法案の審議で一人裁決退場の議員あり。気骨ありと感心したが、この元社会党出身の葉山峻なる代議士、採決直前に本会議場隣のトイレに入り採決終了まで出て来なかった、と。本人は「賛否はまだ決めていない。造反の意図はない」と宣い執行部は責任追及せず、と。本当にトイレに隠れて採決に加わらぬとは……。この採決の間、この議員、トイレの個室で一人いったい何を考えていたのだろうか。みずからが民主党に属すことの是非とかまで考えたのだろうか。まじに「真摯に脱糞」していたりして。
▼一昨日のSouth China Morning Postに董建華に厳しき社説あったこと昨日綴ったが、同じ日に民主党党首Martin李柱銘氏の論評あり。1997年の返還にあたり香港市民は中国が4つの現代化への邁進を信じる。香港は法治、自由、質の高き社会、繁榮と安定、そして何よりもマネーであった。強いていえば民主主義だけが欠けていた。中国にて惨禍あれば香港は募金をして1991年の長江洪水の折にはHK$1億を中国に送った実績があり、その香港が今回の疫禍にてまさか先週、深センにて董建華が北京政府高官より防疫物資の援助を受けることになろうとは誰が想像しただろうか。97年以前に誰がこの香港の未来の変節を想像したか。まだ誰か登β小平の「50年不変」の約束を覚えていようか。香港の政府公務員は当時、世界有数の質と誇っていたのが今ではこの有様。董建華がここまで親中共であることばかりでなく、今では自由党と民建聯のいわば名誉上の党首の如く、民主派を無視し立法会において最大党派である民主党が疫禍にあって董建華との会合を求めたが「難しい」と返答。香港はといえば日に日に最大派閥の李嘉誠と二人の息子の寡占が強まる。董建華は香港をまるで彼自身の持ち会社のように扱い、彼の父親はかつて世界のオイルタンカーの保有量では世界一であった船財閥の創業者だが、或る弁護士(彼は董建華の父の代にその会社に関わっていた)が私に語ったのは、董建華がその会社を接いで10年で会社は倒産の危機にまで陥ったことで(この時に資金援助して会社を救ったのが中国政府資本系……富柏村注)、その経営危機と同じ事態が董建華が行政長官になってからの香港で続いているようなもの。危機的状況にあれば人々は指導者にリーダーシップを期待するわけで、指導者も時として第二次世界大戦でのチャーチルであるとか9-11での紐育ジュニアーニ市長であるとか“Cometh the hour, cometh the man”(チャンスが人を作る、とでも謂えばよいか)なのだが、香港は「チャンスはあったが人材は何処?」である。董建華は我々が望んだのではなく中央政府よって選ばれてその職に2007年の6月30日まであるのだ。この七月には国家安全法が議会通過し、市民の多くが反対があるのに、香港の本土化は完成する。だが我々はこれで負けられない。次の行政長官が香港のためになるよう全力を尽くさねばならない。だがどうであれ中央政府に対して董建華の失脚を求めてはならない。その理由は、まず、もし我々が中央政府に対してダメな行政長官の更迭を今日求めれば中央政府は明日には適任の行政長官を更迭することができる。そして中央政府によって選ばれる次の行政長官が適任者であるという保証はどこにもない。最も大切なことは我々が民主主義を確立し2007年の選挙で行政長官を民主的に推挙し、翌年の立法議会選挙を民主的なものにすることである。これは香港基本法で認められていることなのだ。そうすることによって登β小平の描いた港人治港が達成できる。まだ遅くはない、時と潮は人を待たず、ただ急がなければならない。……ちなみにこのMartin李氏の論説に対峙する形で民建連のTsang Yok-shing氏の文章もあり。当然、董建華を評価するもので、董建華はマスコミを通しての市民へのアピールなど確かに乏しい部分もあるが、見えない部分で政府内でいかに董建華が香港のために尽力しているか、その誠意は素晴しいもので、何よりも返還後、一国二制度をこうして続けていることが董建華の最大の成果、とTsang Yok-shing。だが実際には一国二制度の成果など董建華の力量でないことは確か。中央政府の力量なのである、誰が行政長官になっても同じではないか。
▼香港のPEG(米ドル準備金による通貨安定制度)、SARSの影響によりデフレと財政赤字がこのまま続けばPEG制度の維持困難とMoody'sが報告。個人的には貯蓄米ドルのためPEG制解禁と香港ドル安は歓迎なのだが収入と生活が香港ドルであれば香港ドル安は受入れ難し。
▼13日の米国総統ブッシュ君の演説にこの人の発言で初めて共感。ブッシュ君サウジアラビアでの一連の自爆弾攻撃にてアルカイーダを勝手に名指しし“The United States will find the killers and they will leran the meaning of American justice”と宣ふ。殺し屋を見つけて奴らはアメリカの正義の意味を知るだろう、って、アメリカの正義の意味=独善による覇権といふことを知るは当然。
▼4月1日の日剰にも綴りしパロディで明報のレイアウト使い「香港政府が香港の疫埠を宣言」つまり香港疫禍にての壊滅的状況を公言といふニュースつくり自分のサイトに載せていたものがインターネットで拡散され、そのニュースが流れ市民の間に食料品買占めなどの混乱生じ、政府が正式のこれがデマであると告知、携帯電話会社が協力して全契約者にデマ否定のメッセージ流すまでに至った事件。この少年が故意に社会混乱させる意図なくあくまで個人の趣味のパロディであった行為、それを取締る刑罰もなく明報の有するサイトの著作権侵害で起訴されたが、4月初に適用され感染者の隔離、感染場所封鎖など施行したQuarantine and Prevention of Disease Ordinance(検疫及防疫条例)により偽内容の感染情報流した咎で、この条例での最高罰金HK$2,500となる。HK$2,500は高額とはいへぬが、その理由にしてもこの条例1936年に施行され、この罰金刑が用いられるは今回のこの少年が初めて。ちなみにこの少年が用いた疫埠なる表現、いまひとつなぜ疫病の都市ではなく埠=港かわからぬが、、この法律の条文読めば一目瞭然だが船舶運輸に関する記述多く、それはといへばかつて疫病なるものがいかに船舶運輸通じて感染が各地に広がっていたか、という名残り。それ故にその土地に感染広まるとまず港を封鎖することが手順、それゆえ疫埠なる表現あり。このわずか15歳の少年、そこまで詳しき謂れは知らぬだろうが少なくても大人が読んでも信じるほどの疫埠に関する記事綴っただけでも見事と言う他非ず。