富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五月九日(金)曇。WHOがSARSの感染による死亡率が15%になるであろう予測を発表。4月25日の日剰にて紹介した死亡者数÷結果の出た(死亡+完治)感染者数での計算による死亡率に近い数字になりつつあることに安堵……いや安堵ぢゃない。香港での日々の感染者は減っているが回復を見ないで死亡する患者は依然減らず。夕方銅鑼灣にて水泳用のゴーグル購いにタイムズスクエア。エレベータ客が何階だの開閉のボタンに触れるリスク回避するためかエレベータ嬢ならぬ衛生嬢おりG階(正確には此処では2階だが)に昇降機戻るとこの衛星嬢乗り込み制御板を消毒し階数ボタン押してくれるサービスあり、過剰。トマトにて先日売り払った書籍の代金受け取る。使い捨てコンタクトレンズ半年分。Tom Leeの銅鑼灣店にこのあとの小津の映画の切符購はむと赴けば店内改装で切符売り場閉鎖。Z嬢と電話で湾仔の居酒屋卯佐木にて落合うこととなり卯佐木に荷物置かせてもらってTom Leeの湾仔店まで一走り。ちなみに香港映画祭の通行証にて小津特集見れぬことについては一昨日香港政府申訴専員公署に提訴済み。卯佐木にて一勺。疫禍のなか繁盛。ご亭主曰く客筋は日本人の勤め人、単身も多くこの疫禍にて家族日本に疎開してしまった俄か単身などやっぱり食べて呑んでなわけで、しかも地元客は若いアベックだから肺炎どころのお熱ぢゃない、と。納得。タクシーで康怡戯院、陳凱歌監督の『和イ尓在一起』看る。水郷の町の天才バイオリン少年が父と北京に上京しての物語。少年・小春訳は実際に北京音楽学院でバイオリン学ぶ唐韻、誠実な父は劉佩奇、上京したばかりの小春を音楽に目覚めさせる芸術家肌の教師に王志文、そして小春の才能を研き国際コンクールにまで出そうとする余教授は陳凱歌監督本人。上手い役者と芸達者な子役での感動物、山田洋次作品で泣ける人にはこれはお薦め。山田洋次がどうしてもダメならこの陳凱歌作品もダメであろう。小春が人格的に出来すぎ、他の出演者も余りに善人ばかり。最後「……で、どうなるの?」と。Z嬢曰く「お父さんが小春のコンクールでの演奏さえ見てあげればみんな円満なのに」と。全く。この映画、時期的にも香港国際映画祭に掛かっていい筈なのだがそうならず、無視される陳凱歌のわけもなく、選出期に間に合わず?とかいろいろ憶測していたが、見終って「あまりにも美談」で寧ろそこが厭われたか、という点だが、それをいったら『たそがれ清兵衛』が開幕上映にまで選ばれており、選考基準もよくわからず。で、こういった中国映画で気になるのは邦題、『洗澡』の『こころの湯』を超える邦題を期待しつつ、最近は実際に映画を看る前には作品への印象を悪くしないため邦題は調べないことにしており、終ってZ嬢と『こころの音』とか母おらずバイオリンの習得に燃える父子の姿から『バイオリンの星』とか邦題を予想するが結果は『北京ヴァイオリン』でした。確かに物語そのものだが、あまりに思考なくゴロも悪けりゃ流行りそうもなき邦題。なんて悪いセンス。せめて筋そのものなら『北京のバイオリン少年』だろうし、原題の『あなた=おとうちゃんと一緒』なら『父と子』だろう。
▼母の日近し。自称「節句の起源」好事家として「母の日」の起源知らず調べてみたら「やっぱり」米国(こちら)。1905年に亡くなった或る母の命日が母の日とする運動が起き教会通じて全米に広がり1914年にウィルソン大統領により祝日となる。「母の日」にカーネーションを贈るのはその母親の大好きだった白いカーネーションを追悼会で配ったことが由来だそうだが、母が存命であれば赤色、亡くなっていれば白色という仕来り。小学生の時に同級だったTちゃんという女の子、いつも活発な子だったが母親を亡くしており、このカーネーション配られる時期になると流石に悲しそうで、なぜこんなことを組織だってしているのか、と余は小学生ながら毎年不思議に思っていたが、今、こうして調べてみれば、慈母の念はあって当然にしても、それが教会から更に国家にまで国民運動として広めたこと、それが1914年といふ第一次世界大戦の年であること。こういう、発端は個人の小さな誠意が国民運動にまで昇華、それが決まって「国家が国民を要する時期」に当たることが多いのが近代の事実なり。ちなみにこの花の中央部が赤いのは「キリストの体から滴った血のせい」とか、イタリアのロンセッコ家にまつわる伝承では「勇士オルランドが敵に胸を突かれたときの血で白い花が赤くまだらに染まった」という謂れあり。いづれにせよ血やなぁ。それに母の日があるのだから父の日がないのは不平等、ってマジにそれで創設されたのが父の日。哀れ。
▼ふと思ったが国旗国歌が強いられる時世において、例えば学校の入学式とか卒業式、国歌斉唱でマスクしてれば昔なら不敬罪だろうが「マスクをしないことが望ましい」なんて文部省の公式見解が出はせぬだろうが「不特定多数の集る場でみなさんで斉唱なんてして感染して責任とってくれるんですか?」と質されれば誰も責任とれぬわけで「時節柄国歌演奏」なんて回避策?、まぁ穏便に済まされるのだろうが、国立とか「せめて君が代への反対の意思表示でマスクをしましょう!」なんて市民運動がおきるとか。見方によっては君が代反対、方便としては歌っていたがマスクに覆われて口が見えず歌ってたかどうかわからず、なんて。このまま感染症が増えると国立とかかつての埼玉県立所沢高校であるとかの風潮なら「マスクして式典」もありかも。で、これが嵩じると日の丸掲揚にはサングラス着用、となるのだが、赤いサングラスすると「日の丸が、あーら不思議、赤旗があがっているように見える」とか