富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2003-05-06

五月六日(火)曇。マスクすれがさすがに蒸れ鼻息にて汗すらかくほど。不快でもあり。ふと今日はもう何十年も前に卒業した小学校の創立記念日であること思い出す。「こどもの日」の翌日で大型連休が一日長いという幸運。早晩にジム、鍛錬一時間。村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ白水社ホールデン少年学校放逐され紐育に出戻る頃まで読む。白水社、まぁ「売れる」といふ目論見で流行りの村上春樹君訳出したのは確か、「村上春樹の新しい訳でお届けする新時代の『ライ麦』」は「40年ぶりに生まれ変わりました」が「ホールデンが永遠に16歳でありつづけるのと同じように、この小説はあなたの中にいつまでも留まる」のであり「さあ、ホールデンの声に(もう一度)耳を澄ませてください」と帯に書かれているが、この「もう一度」が大切なわけで、この『ライ麦』が『いちご白書』であるとかサイモン&ガーファンクルと同じで臭ひ表現だがいつまでも青春の一頁にあるオジサン、オバサンにもう一度村上訳で読ませよう、といふ、『ライ麦』くらいしかロングヒットない白水社の商魂なのであろう。それにしても「ホールデンは魂のひとつのありかとなって、時代を超え、世代を超え、この世界に存在しているのです」とは、ホールデン読んだら「奴さん、ぜんぜんわかっちゃいない」と口にするだろうに。「奴さん」なんて村上春樹の訳にあるわけがなく、これは野崎孝訳の40年前の『ライ麦』だが、実は40年前の『ライ麦』が何故40刷ちかいロングセラーになったかと言えば原作の素晴しさは当然としてこの野崎訳がホールデンの言葉を生き生きと描写していたからで、つまり村上訳を読んでも野崎訳に比べて鮮烈なほど生まれ変わったかといふと実はほとんど変わらず。トンガっていた……とかくとトンガ王国みたいだ、トンガッテいたホールデンが村上訳では多少柔軟。ホールデンが寄宿学校に最後に残す言葉も「ガッポリ眠れ、低能野郎ども」が「ぐっすり眠れ、うすのろども!」と上品に、といった細かい点はあっても本筋では大して変わらず。それほどに野崎訳がいいのだが。もう話の筋も会話も小津の映画の如く細部まで知りし『ライ麦』でありサリンジャーの原本も何度か読んで今更なのだがそれでもまだ飽きずに村上訳読みたるが事実。築地のH君は『ライ麦』手にとるのがとても恥ずかしく、と述べていたが。白水社といへば青春の物語といへば『チボー家の人々』もこの出版社。20年ほど前に白水社Uブックスにて再版され廉価となりしこの本もかつては全五冊全巻揃え一万円くらいのはず、高校の頃にこれを近所の本屋で「つけ」で購い母親の逆鱗に触れむと覚悟したところ母曰く「あら、あたしが読んだのと装丁も当時のまま」と懐かしがられ高価不問、懐かしきこと。
▼昨晩博識のH氏に聴いた話。九龍湾のしがなき集合住宅にして今回の疫禍にて世界に名を馳せたるアモイマンション。漢字名は淘大花園。アモイは厦門福建省の古くからの港町にて、Xiamen(シャーメン)が現在の呼び方であるが福建の言葉で発音するとハーモイに近く、それを当時の英国人がAmoyと呼んだのであらふ、とここまでは支那の方言にまで堪能なる小倉のS君より聴く。で、その厦門が何故に淘大かといへば言葉に直接の関係なし。H氏によれば、淘大といへば香港の人が思い浮かべるは醤油の大手老舖の淘大醤油、実はこのマンションの敷地、かつての淘大醤油の醸造場であり、それが移転し跡地にマンション建設。で淘大の名の由来わかりしが、では何故にそれが厦門かといへば淘大醤油の創業が福建厦門の人。醤油は確かに福建の名産にて、香港にて醤油で財をなして、その土地に建ちたるマンションの名にAmoyを当てた、と。なるほどねぇ、と膝叩き感心す。で更に何故この獅子山下に醤油工場かといへば、当時、良水を得ることは醤油醸造に必須にて飛鵝山などより水を得るには此処は地の利あり、と、これは推測。写真はKCRのHungHom站出てすぐ右手にかなり昔からある淘大醤油の看板(五月八日KCRの車窓より写す)。