富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五月五日(月)雨。朝起きると集中豪雨の紅雲警報発令中。夜半に目が覚めるほどの雨ではなかったが新界、深センとの境界あたりはかなりの水害と報道あり。晩に藪用あり終わって数名で食事済ませ帰路一緒になったH氏とバスに搖られ歓談続けるに、北角在住の氏と寿司加藤の話題となり余は食評論家・唯霊氏に薦められたのが加藤に行く切っ掛けという話から、そういへばH氏のマンションは唯霊氏と同じ、唯霊氏といへば信報に連載の隨筆、という話となり、H氏も信報の愛読者で唯霊、劉健威の文章好み、曹仁超の投資者日記も面白いが、やはり文章の冴えは登β達智、そして何よりもやはり社主兼主筆の林行止の広範なる知識は敬服以外の何ものでもなく、香港にて信報発行される限りはまだ香港も大丈夫、と語る。H氏に氏の師匠であるS先生、先生は台湾生にて九州大学農学部卒、このS先生も信報を長年愛読、と教えられ、尊敬するS先生なら、と納得。香港大学の経済学、世界的大家にて書家でもあり健筆誇る張五常(米国での脱税容疑にて指名手配されており米国には戻らず……笑)の蘋果日報での連載も面白いが、このかなり常人離れした張五常ですら林行止だけは素直に称賛するほど。香港ではこの唯霊、劉健威、曹仁超、登β達智、林行止、張五常それに『號外』での余宗明あたりを読めば文智秀逸。H氏との話題は勝新太郎に至り勝先生の逝去の前年だったか蔡瀾氏と黄沾氏の主宰する深夜番組に出演のため来港、素晴らしいトークの冴え。あの当時、香港のテレビはけっこう面白かったと彷彿。H氏に石原慎太郎について問われ、石原を非難することは容易だが、現実に東京都にて300万もの得票集めた事実、しかも注目すべき事実は石原に蔑視されているはずの中国人、朝鮮人においても、歌舞伎町にてビジネス展開の華僑であるとかパチンコ業界人士にて石原カジノ構想に虎視眈々の方とか具体的な利権絡みは別としても新参者の悪行に困惑する旧来の「第三国人」のなかに石原改革支持があることなど香港では報道されぬが考察に値す、と述べる。
▼日経「風見鶏」に「われらの戦後の終わり」という西田睦美編集委員の文章あり。教育基本法について。われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育を普及徹底しなければならない。 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。……という拡張高い前文で始まるこの基本法は「民族の歴史や伝統に触れていない」として中曽根大勲位が「「蒸留水みたいな人間になれ」と評するなど基本法には根強い批判があるが、その文章には伸び伸びとした力強さがある」と西田氏。これの「改正」がなぜ今なのか。自民党河村建夫君(文部科学副大臣)の「現行法はいいことが書いてあるが、どこの国でも通用する内容で、日本らしさがない。家庭の役割とか公共の精神など欠けている視点がある。戦後、われわれは平和な国家を築き、その目標はすでに達成した。教育の荒廃も進んでおり、早急に次の教育をどうするかを考える時だ」という呆れるほど拙稚な主張を西田氏紹介、この河村君には「どこの国でも通用する」ということが法律に於て最も崇高である普遍法であることの意義も、法律に「国家らしさ」など要らぬことも、基本法の文面改正したところで家庭も公共も改善などされぬことも、日本は戦後、平和な国家など築けずにいることは国内は戦争などないかも知れぬが国際社会において米国のテロ行為支持するだけで平和標榜する国家などと言う立場に非ず、教育の荒廃の原因も結局はこの半世紀で理想的な社会築けずに今日に至った大人の社会的責任であり憲法だの教育基本法の欠陥が原因ではないことを河村君には理解できず。ただ基本法に「いいことが書いてある」と思っただけ河村君もまだマトモか(笑)。西田氏はこの河村君の主張引用したあとに、若い世代の屈託のない国家観、なぜ年配者が何にも先だって愛国心を説くのか、「愛国心」でも「国を愛する心」でも英語に訳せば一緒、といった点など指摘、この文章の流れから、当然西田氏はそういった言葉だけの改正弄びに疑問を投げかけている、と思って読み進んだのだが、結論は「基本法を改正することは戦後に一区切りつけ、新しい国の姿を描くことにつながる。基本法を読みながら、たまに戦後の終わり方を考えるのも悪くはない」と、「おいおい……」って感じ。結局、改正やんか、それもこの漠然とした「……してみるのも悪くない」って村上春樹小説の主人公じゃないんだから。結局、戦後は終わった、新しい国の姿を描こう、という点では西田、河村両君とも発想は一緒、これが石原支持とかにつながる。戦後は終わった、だの戦後憲法教育基本法は役割を終えただの、日本は平和国家としてだの、言葉遊びばかり。実際には前述した如く平和に寄与せず。結局のところ、戦後、戦後というが戦争に負けただけで市民革命が起きて民主主義社会を建設したわけでもなく、憲法基本法も体得できぬまま半世紀過ごし、社会が手詰まりになったら石原に期待し基本法、ゆくゆくは憲法改正で、という幼稚な期待。困ったもの。結局、戦前から綿々としたアイデンティティ喪失の社会が続いている、事実。そんなことを思いつつ文化欄に掲載中の阿久悠氏の『私の履歴書』読んでいたら敗戦の頃について書かれており、民主主義が始まった当時が今思えば「滑稽」なるもので、阿久氏の接した民主主義は小学校の教員の口から「昨日までのことは悪いこと、昨日までと逆のことをやったらよろしい」という乱暴さ。阿久氏曰く「思えば、この愚かしく、滑稽で、乱暴な民主主義の解釈を、その後誰も修正していない。ぼくらちりめんじゃこのような少年が、それぞれ成長の過程で、わが内なる民主主義を確立させただけで、実は、与えた側と与えられた側とのコンセンサスは、50年過ぎた今も得られていないのである」と、阿久氏の卓見。まさにその通り。