富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五月四日(日)大雨。早朝より粉嶺に参り箕勒仔より大刀屶へと行山の予定が雨だけならまだしも雷響り避雷できぬ岩山にて止むを得ず中止。六時半だといふのに一度目醒めてしまふと二度寝できぬのは老いの由。朝食とり朝刊数紙読んでいてほんの少し転寝。昼にかけて二時間ジムにて鍛錬。午後Z嬢と香港大学にて待ち合わせ大学博物館にて香江知味:香港的早期飲食場所なる特別展。昔の料理屋の店の文物だのメニューだのはどうしても少なく市街の写真での料理屋、茶屋の外見の認識多いがこのような発想だけでも大したもの。金陵、高陞茶樓、新紀元(写真は英国王ジョージ六世戴冠を祝う祝賀の電光装飾)など戦前の有名な料理屋の様子や場所などわかる貴重な写真多し。これが全て鄭寶鴻氏による蒐集なのであるから敬服。博物館の茶室にて龍井茶一服。大学よりBonham Rd散歩して堅巷公園の香港医学博物館。疫禍もあり香港の感染症と医術の歴史もう一度見てみた次第。Hollywood Rdの骨董品屋ひやかしてElgin街の屋台(写真)玉葉甜店にて紅豆沙。中環に出て場外で競馬の結果見ればジムに行くまえに咄嗟で買った馬劵そこそこ当る。バスで北角。北角在住のT夫妻誘いZ嬢のお薦め(といっても本人もバスから看板見ただけ)明園西街の横丁入ったところにある華順越南餐庁、此処はかつての源發飯店(西環の高街に移り祥發飯店となる)があった路地裏で源發の店影すらあり。期待よかよっぽど美味い料理。軟蟹は格別。経営者が文人肌で日本語堪能。T氏宅に招かれ珈琲一喫し歓談二更に及ぶ。
▼昨晩遅く『東京人』5月号読む。東京の懐かしい写真。恵比寿で何度か尊顔に拝した沼田元気氏が昭和35年頃に銀座松屋屋上にて船遊びする写真あるのだが40年以上前の写真なのに沼田さんの顔も髪型も服装までもが今とあまり変わらぬことに感心。加賀乙彦氏が本郷菊坂、樋口一葉の旧居あたりについて書いているのだが古風な井戸のあるこの路地も今では「現代的な二階家建って明治の味わいのある街の風景はぶちこわしになってしまった」と。加賀氏が「私が好きな散歩道がひとつ減ってしまった」といふのはいいのだが「そのことを最も嘆いているのは樋口一葉その人ではないだろうか」という言説はどんなものか。意外と一葉なら、もしその現代家屋を見たら「あら、きれい」と言うかも知れず、一葉=下町というのは他に選択がないから長屋での貧困暮しに耐えていたのであり、好きでその暮しをしていたのでもなく、勝手な思い入れはいけない、と感じる。小津の『東京暮色』について田中真澄なる映画史家が書いており香港での上映は?と見たらまだ間に合った。それと大島渚の1967年の『日本春歌考』も見てみたい映画。新宿の鼎での鯵の「なめろう」、麹町の一元屋のきんつば……東京への郷愁。麹町といへば千鳥ヶ淵のフェアモントホテルがずいぶん前に閉館してマンション建設されているとか、全然知らず。東京に戻ると何度か止まったが東京オリンピックの時にけして普請のいい建物でもなく老朽化著しく、いつもあと何年もつか、といふ感じであったが老練の職員のあっさりとした服務もバーの落ち着きも格あり。ふと夜中に懐かしき東京を彷彿。
▼WHO、新型肺炎の流行地指定を感染地域で重度から軽度の段階別とし北京、香港など重度に指定される栄誉。日経(一面)には「中国の感染者は四千人に迫り、香港や台湾も加わって拡大の勢いが増している」と全く意味不明の記事あり。加わるというのは感染者数を合算の意味か、中国は一つであるから香港は当然として台湾も数は中国に加えるという政治的配慮か、香港の場合は感染が下降しており拡大の勢いには加勢しないのだが……いずれにせよ意味不明。
▼『週刊読書人』5月9日号の「論潮」に酒井隆史史が書いている話。最近、京都での反戦デモにて、デモ隊の一部が過剰警備の警官と揉めた際にある参加者が警察とも仲良くするべきと言ったところ、そのデモに参加していた中学3年生が、「みんなと仲良く笑顔で」と学校の道徳で教えられてはいるが「だけどそれは、笑顔でいられない人は出て行け、と排除した上での話」であり、この中学生は「私は仲良くできない人とは仲良くできない」と宣ったそうな。御意。米国にせよ「愛国」にせよ日の丸君が代にせよ前提として従えぬ者をまず排除して、その中で友情なり平和なりを語るのがいまのご時世。
▼斎藤貴雄の『空疎な小皇帝「石原慎太郎」という問題』(岩波書店)の書評で上野昂志が石原をうまく説明している(週刊読書人)。国会議員になった時は所詮どこかの派閥の青年将校を務めた程度で、青年でなくなった途端に賞味期限切れになると上野氏は思っていたが(じっさいにそうなった)「どうやら、それではすまない」と思わされたのは石原が東京都知事に就任したからで、都知事というキャラこそ石原にはぴったりで、東京という首都の領袖として権力揮いながら、あくまでも国家の傘の下で庇護されているポジションが石原に似合う、と。中国、南北朝鮮に侮辱的、差別的な言動があっても「とりあえず」地方自治体の長であるということで抑えられる。そこで勝手なことをしている、権力を弄んでいる程度なら、どうせ今期で降ろされるのだから、それでいいのだろうが、斎藤氏も上野氏の抱く危機感は、「石原が振りまく「嫌悪」の政治がこの閉息した社会の底に澱んだ負の情念を組織化して、上からでなあく下から、国を動かすことになるのではないか」ということ。閉息した社会の中で防災の名をかりての自衛隊の治安出動の日常化や北朝鮮との戦争も辞さぬといった発想が「勇気」と感じられ、そんなことへの勇ましさで自意識の充実を誤魔化す社会感情が、実に理解しやすい幼稚な国家主義の体言である石原を支持する。日本という国家が安全な軍事力を有し北朝鮮などに堂々と対峙する、その姿勢を自分に照らし合せ自分が一人前に勃起したと勘違いしているような思想、その快感の投影が石原に為されている。問題は石原にあるのではなく、やはり靖国で参拝する都知事に「石原ーっ!」と声援送ってしまふ若者なのだろう。本来なら若造に呼びつけられたら「馬鹿者、失敬なっ!」と叱るべきなのだが、狡いのか賢いのか(狡いのだが)叱りもせぬ。このような閉塞感が社会変動の怨念になってゆくと、取り返しのつかぬことになる。