富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2003-05-03

五月三日(土)かなりの雨。憲法記念日。日経にて経済同友会の会長北城恪太郎君(日本IBM会長)曰く憲法については「これまで国民的な議論がなかなか盛り上がらなかったが、しっかりした議論をする時期がきた」と。このような言説が実際の過去の歴史とは関わりもなくずっと繰返されてきたことは小熊英二『民主と愛国』にて暴露されたのだが、実際に憲法議論があったかどうか、ではなく、自分がそういったことに言及できる立場となると「つい」これまではなかったが広汎に議論を、といったようなことを述べたくなるといふもの。実際にかりにこの議論がおきれば今の雰囲気では何も具体的な改革案もないから教育基本法などと同じで憲法改憲してみることなど「ひまつぶし」がてら合意する国民が多いのだろう。が、真摯な議論も具体的な思想もないまま具体的なConstitution像もないまま憲法を弄ってしまふことの危険性など改憲に合意するものは誰もわかっておらず。朝、香港国際映画祭の主催団体であるHKIFFに電話する。昨晩の余のクレームはすでにHKIFFに届いており、電話に出た男性は柔軟で親切でもあり、彼は決定権のない立場のようで具体的な問題点をあらためて伝える。それは、小津の特集が通行証で見られぬということはbrochureには一切書かれておらず、それが通行証の期間限定が通行証の裏面に書かれていたとしても通行証購入後にそれが発覚しても返金も変更もできず、小津特集が見えることは購入前にHKIFF側に電話で確認しており、湾仔の芸術中心では先週末に小津特集を見れて昨晩は見れない、見れる、やはり見れないと判断が混乱しているように、この通行証の扱いについてHKIFF側できちんとした認識と対処ができていないことを指摘。暫くして上司の女性から電話あり。この方は通行証が4月の映画祭の期間内だけのもので小津特集は見れない、の一点張り。小津特集は映画祭の一環ではないか?という余の問いに何度質しても「小津特集は開催期間のあとに開催されている=だから見れない」という答えを繰り返し、そもそも発売段階のbrochureの記載に不十分な点があったことを認めないのか?にも答えず。あまりの愛想のなさに呆れあなたぢゃ話にならぬので上司を、と求める。上司は会議中とのことで後程返答、とHKIFF。どうも埒が開きそうにもなく、上級部署への抗議を検討。このHKIFFは香港芸術発展局なる政府の外郭団体の内部組織にて、この発展局は95年に政府出資で組織されており、また今回の映画祭の切符発売と宣伝は政府の康楽文化事務署が担っており、これなら明らかに公的であるが、発展局は=HKIFFであり自らの否を認めるわけもなく、康楽文化事務署とて役所で苦情などどうせ盥回しされ真っ当に応えられることも期待できず、政府のこのような市民対応のまずさは申訴専員公署(The Ombudsmanオブズマン)が扱うべき事柄であろうから、どうせ週明けにHKIFFより「認められない」といふ返事くることを前提に、Ombudsman宛に一連の事情と問題的を指摘したレターを準備する。第三者から見れば些細なことかも知れぬが、このHKIFFの余りに官僚的で自らの否を認めぬ独善的な姿勢は断固として抗議すべき。この怨念晴らさずおきべきか、エコエコアザラク、である(笑)。余がHKIFFであったら指摘されたら反論できぬ点なのだから、直に「御免なさい、ご指摘の通り」と否を認め、どうせこんなこと苦情いう客の一人や二人、通行証での小津特集の鑑賞など認めてしまい、ただこのことが他の通行証保持者に感染せぬことだけを祈りつつ「来年からは注意しましょうね」としてしまうのだが……。Z嬢と先日祝日に訪れてしまい休館だっが香港大学博物館の香港早期の飲食文化の展示見に行こうか、という話もでたが土曜日は開館している筈だが大雨にて念のため電話すると応答なく断念。外出もせず雜用済ます。どうであれ今晩の小津の映画あるので通行証での鑑賞はHKIFFが土曜の午後に返答するはずもなく今日は絶対に無理、西湾河の香港映画にて五時の『若き日』とZ嬢と一緒の予定だった九時半の『長屋紳士録』の入場券購う。二時間近く時間あり雨ひどく移動する気になれず昨晩に続き鯉景湾、どこでもいいので静かそうなFresh & Fresh Coffee Houseなる店に入り午後三時、下午茶メニューで公司三文治(Clubhouse Sandwich)頼んだら期待もしていなかったのに美味い三文治で驚く。新聞数紙読みこの日記打つ。付属のもっとも軽い電池ですでに40分ほど動かしていても電池消耗量は30%で、残り二時間弱使用可だそうな。立派。映画資料館に戻り小津の『若い日』看る。小津の八本目の映画で現存するものの最古の1929年(昭和4)。大学生がスキーに行く、というただそれだけの話。香港で無声映画でおせっかいなのはErnesto Maurice Corpusなるキーボード奏者がいて、この方が無声映画に曲をつけるのである。『メトロポリス』でもそうだったのだが、原作にない音楽が余計であるかどうかという意見すらあるのに、そのうえ演奏の音量甚だし。バスのなかでのケタタマしいテレビ放送、乗客の会話に抗じるため用いる耳栓する。演奏ぢたいはかなり上手いのだが場面にあわせ「エレクトーン占い」のおじさんの如し。どうせなら山田広野氏を招き活弁するか佐藤千夜子四家文子の昭和初期の流行歌でも流していればいいものを。日本映画好きのATVのW君も映画終って「つまらない」と一言。当時の現実といへば忍び寄る軍国主義、大学では共産主義思想が流行り芸術とてプロレタリアート芸術の盛んな時代、その時代に大学生とスキーという、それを撮ってしまったといふことは「何考えてるの?」と唖然とされるほど凄いこと。『私をスキーに連れてって』である、これぢゃ。見方によっては大学に行きたくても行けなかった小津の大学生という生活への憧れとすら映る。それでも、それなのに小津の神話がどう構築されていくか、といえば例えばこの『若き日』について蓮實重彦は斉藤達雄が流れてゆくスキーを追うシーンを「バスター・キートンばりの追跡シーン」「大活劇」と語る(筑摩書房版『監督小津安二郎』)。映画を見ていない者は権威である蓮實の物言いだから斉藤達雄のこの演技はバスター・キートン並み、という認識となる。が、実際にはそう言ってはバスター・キートンに失礼なほどチャチな演技にすぎない。こうして事実より乖離した言説が生まれることは前述した経済同友会会頭の憲法談義でも同じこと。下宿から眺める工場の煙突もスキー小屋のストーブの煙突の煙も神妙に象徴性がもたされる。ただ小津の現存する最も古い作品ということで香港でまでこうして上映され、ただの大学生のスキーを神妙に見ている奇妙なキョービの光景。いったん帰宅。郵便受に緑色の封筒多し。税務署からの確定申告の用紙送られてくる季節、通称「緑色爆弾」と呼ばれる恐怖の封筒(写真)。晩飯。大雨のなかまた映画資料館に戻り『長屋紳士録』看る。飯田蝶子主演(後家で雑貨屋営むおたね役)。名演。きく女という置屋の女將演じる吉川満子(この女優の最後の出演が伊丹十三の『お葬式』での藤原鎌足らと演じた葬儀に参列する老婆役)が厄払ひに「けんのんけんのん」(険呑剣呑の書く?)とか、おたねの雑貨屋を去る時に「お喧(やか)ましゅう」と言う挨拶など、我が祖母の生前の物言いを思い出させる。東京の粋な女衆の物言い。小沢栄治郎の東京弁笠智衆イチロー的なニヒルな格好よさ。それが二年後の『晩春』ではすっかり老け役となり原節子の父親役となるのだからこの映画は笠智衆にとっても貴重。築地の本願寺の裏町の長屋、まだ築地に広い堀割あり、聖路加病院の塔は当然として築地の交差点から銀座の和光までが見渡せる昭和22年の東京。終幕の孤児去ってからのおたねの長い台詞は要らぬだろう。いい作品だが小津であるから長屋の住民も全然本格的に非ず、小津的な紳士淑女ばかり、だから長屋紳士録なのかもしれないが。映画終ってもまだ雨足強くタクシーで帰宅。