富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月二十五日(火)晴。夕方地下鉄に乗るとマスクした人多し。数えると十人に一人くらい。多数といふわけではないがマスクが目立つ。献血。肩こりがひどくなると前回の献血より三ヶ月が優に過ぎていることに気づき銅鑼灣の献血中心に赴けば気のせいか献血者少なく待たずに献血の順番となる。丁度Z嬢より電話あり思わず「いやー抜いてもらってすっきりしたねぇ」と、それぢゃヘルス出てきたオヤジの如し。帰宅して晩酌しつつNHKの「クローズアップ現代」見ていたらイラク戦後に民主主義の導入を画策する米国だがそれが受け入れられるかどうかという点について出演する解説者=当然、専門家なのだろうが「今日まで米と味噌汁だったのが明日からパンと珈琲だといわれるようなもので衝撃は大きい」と宣う。なんだこの喩えは(笑)。これが衝撃大きいのは「とらや」の竜三とつね、寅の当てた福引でリゾートホテルにでも行った時の朝食での感想程度だ、これぢゃ。こんなのが全国にむけて放送されているのだから……平和ボケなのだろうか、でもそれ以前の問題としてクローズアップ現代なんて誰も見ていないか。やたら米軍の武器の紹介多いのも日本の報道番組の特徴、じつはそんなことでお茶を濁している、CNNにしてもBBCにしてもそんなことする暇あったら英国議会の生中継していた。
▼ブッシュ、ロシアに対してロシア企業が国連の武器禁輸措置に違反してイラクに兵器輸出を行っているとして強い懸念(こちら)。イラクだけでは済まぬことになりそうな気配。もう5年くらい前だが某企業の駐在員で「世界が危機的状況にあることが誰もわかっていない」と宣われ香港の日本人にそれを伝えなければと行動起こそうとし会社を飛び出し他の駐在員が馳せてこの方を拿捕し精神衰弱といふことで日本に送還されしことあり。当時はこの方が精神病であるかと思われたわけだが実はこの方の不安は正しかったのかも。アカデミー賞ではュメンタリー部門賞はボウリング・フォー・コロンバイン」、マケル・ムーア監督受賞スピーチで「我々はノンフィクションが大好きだ。なのに今は、イカサマ選挙で決まったイカサマの大統領をいただいて、作りものの世界に生きている」とブッシュ批判。「イカサマの理由によって戦争が始まった。イカサマの情報が流れている」と続け「我々はこの戦争に反対だ。ブッシュよ、恥を知れ。お前の持ち時間は終わった」と述べた。これが米国の「国体」なり。この人が壇上に上がれば何を言うかはわかっていること。それを承知で壇上に立たせた米国の自由、ただ悪くみれば形骸化したアカデミー賞を盛り返すにはこのムーア監督に賛成する者も反対する者もアカデミー賞に関心もつわけで、そこを狙った商業主義といふ見方もできなくもなし。ただし日本でいえば日本アカデミー賞原一男監督の「ゆきゆきて、神軍」がドキュメンタリー部門をとるようなもの、奥崎謙三氏を壇上に上げるか、といえばどんな「見せ場」が欲しい電通とテレビ局だってそれはできぬわけで、それから比べれば米国の精神、大したもの。
▼築地H君が今日の産経抄をとにかく読んで(笑)と教えてくれた。
産経抄よ、今からでも遅くはない、涙を流して反戦デモに加わっている純情な若者たちに向かって語れ、という叱責の投書をいただいた。“必要悪”である戦争の真実を語れ、と。そう、小欄の努力は足らなかった。遅ればせながらそのことを書こう。 
テレビには「反戦平和」のプラカードを掲げた人たちが映っている。「反米」を叫ぶ若者もデモをしている。その顔の多くは純粋であり、真摯(しんし)であり、ナイーブである。市民が戦火に巻き込まれる現状を嘆き、戦争の悲惨さを訴える姿には、ほとんど同感を禁じ得ない
しかしここが大事な点だが、ちょっと考えてほしい。戦争か、平和か、どちらを選ぶと問われれば、だれだって平和を選ぶ。戦争は嫌だ。だが国連安保理の偽善のように、ただお題目の平和を唱えているだけでは、平和は歩いてこない。
時としては血を流さなくては平和は築けず、奪い取ることができない場合がある。ひょっとすると、戦争を始めるより平和を作るほうが人類の努力のエネルギーを余計必要とする場合さえある。実は、今がその時だといわないわけにいかない。
戦地へ赴くアメリカの海兵隊の若者に「どうしても征くの?」と母親が問うと、「平和を守ることは誇りで、それがぼくの信じる道だ」と答えていた。そんな同盟国アメリカの若者たち十数人の血がすでに流されている。捕虜や戦死者の映像もイラク側によって放映されたという。
戦争の悲惨さには胸を締めつけられずにはいられない。しかし今の事態をストップさせるのはサダム・フセインの“決断”しかないのである。「反戦」デモをするなら、フセインに向かって「即時亡命を」と叫ばなくてはならない。それが筋道というものではないか。
何も言うことなし。この真摯でナイーブな命まで犠牲にして地球を守る平和主義。お見事。米軍の兵隊もこんな戦争に狩り出され不幸だが自らの意思で戦場に赴いたその10数名の生命よりバクダッドで爆撃くらう500万の市民の悲劇は大きいのでは? 産経新聞ってこれくらい書けばせめて米国大使館と在日米軍基地で参考までに、って数十部は購読してくれて購読数1,000,030部くらいにはなるのかな(笑)
野坂昭如氏が書いている。
開戦後の小泉首相は、初めてはっきり、アメリカの攻撃支持の理由の、大きなものとして、北朝鮮の脅威に触れ、抑止力を有するのは、米国だけ、故にと明言。開始以前にこれを言えば、北朝鮮大騒ぎしただろう、だから「雰囲気によって」と言葉をにごしていた。
小泉首相の支持、支持理由説明の演説は、かみしめて考えるべきだ。これからの日本はどう生きていくのか、改めて多くの選択肢に直面、間違えると、とんでもないことになる。
【1】今のまま。
【2】北朝鮮、中国、ロシヤの軍事力と張り合う、備えを持つ。究極は、核弾頭ミサイル搭載原子力空母。こんな小さな国で、相手の攻撃を抑止せしめるには、これしかない。
【3】農業を復興。職人的分野に属する精密工業に力を入れる。観光立国、フジヤマサクラゲイシャガール。生活水準は、多分、昭和35年〜9年あたり。
【1】は問題先送り。いつの日か、日本列島は、戦場になる。アメリカは助けてくれない。
【2】は、アメリカが許さない。
【3】は、経済、金融、農業、福祉厚生大恐慌の後でなきゃかなえられない。非業の死をとげるより、これに耐えるほうがずっといい。とりあえず、「自立」「プライド」「主権」など、既製のカッコ良い記号にこだわらぬこと。
アメリカは、中東、カスピ海周辺の石油を押さえると、モンロー主義になるかもしれない。仮装的中国だけを考えて。資源のない国が、角突き合せ、血を血で洗う戦争を繰り返すなど知ったこっちゃない。
次の知事選は、不謹慎ないい方だが、おもしろい。都政とは関係ないが、都民の国際感覚が問われる。
……と。【3】いいねぇ、これ。井上ひさし吉里吉里国のような。最後の都知事選への言及。そう良識が問われているのだが、石原以外に選択肢を持たぬ東京、石原が国際感覚でどれだけ狂っているのか、は少しはわかっているのだろうが、それと石原が積極的に行なおうとしている都政改革は別モノと理解してしまう都民の知性。東京という都市が世界でどれだけ大きな役割を担っており、だがそれが世界と言葉すら通じないのだから実際の力を発揮せず国際感覚からどれほどズレてしまっているのか、ということが石原が都知事に再選されてしまうことがよく象徴している。
▼多摩在住のD君より。イラク攻撃に「7割から8割が反対」だったはずの世論が、開戦後はかなりのパーセント(各種世論調査で4割前後)で「政府の対応を評価する」に行ってしまった、と。その理由はどうも「北朝鮮」らしい。以下、D君の文章を引用。
都内某所でビラまきしたときも、「北朝鮮の攻撃から守ってもらうためにはアメリカに逆らえないんだ」というオジサンがいた。そのときはとっさに「北朝鮮の先制攻撃なんて、宇宙人が攻めてくる程度の蓋然性しかありませんよ」と返したのだが、(米国の)先制攻撃が現実化したことで、(米国のそれを北朝鮮が現実に見てしまったことで)北の脅威は宇宙人よりも可能性が高くなったとみます。だいたい「抑止力」っていうけど、ホントに攻撃しちゃったら抑止力じゃないでしょう。たんなる軍事的脅威(北にとっての)だ。「手を出したらやられる」と思わせるのが抑止力。「手を出さなくてもやられる」なら、「やられる前にやる」ということだってありうる。
北朝鮮脅威論」によるアメリカ支持論は、あらゆる意味で成り立たない、それどころかぎゃくに脅威を増していると思われます。
まず第一。イラク武装解除は、戦争なしで国連の監視下に進められており、これは「戦争抜きの解決」ぼ先例となるべきだったのに、アメリカがぶち壊した。北朝鮮は「査察に応じても攻撃されるなら、今後は国連の核査察に応じることは無意味」と判断せざるをえない。「イラクは核をもっていないからやられた。わが共和国はより核武装を強化せねば生き残れない」として、北朝鮮が核開発をより進展させることは必至。つまり逆効果。
第二。「先制攻撃で解決」という先例を、もし北朝鮮に適用するなら、次は北朝鮮と戦争? それはわが国(笑)にとってリスクが大きすぎる。まず、米軍に攻撃された北朝鮮が報復攻撃でテポドン打ち込むのはどこの国だ。米本土までは射程が届かない。韓国は反米世論を見方につけなくてはならん。日本であれば、国民感情からいってもなんの障害もなし。つまり「米軍が北を攻撃すれば、北は日本を攻撃」という図式。かえって軍事的な危険性を増している。
第三。では北が日本を先制攻撃する可能性はないのか。宇宙人の先制攻撃よりは可能性が高いかもしれない。しかしそれをやれば、北の政権が生き残れる見込みはない。なにしろ先制攻撃をやっていいのは、アメリカだけ。それだけのリスクをおかして自暴自棄の先制攻撃をかけることがあるとすれば、よほどアメリカの軍事的圧力が強まって「このままではイラク同様潰される。座して死を待つより、せめて一太刀なりとも日帝に」と思いつめたときしかありえない。
第四。北の脅威がもしあるとすれば、それに対応するために安保理を強化しなくてはならないのに、今回の戦争はそれに逆行した。前項で「北の先制攻撃はありえない」というのは米軍の抑止力が前提ではないか、という疑問もあるだろうがそうではない。あくまで国連安保理による国際的な枠組みで対応できるのである。実力部隊としては、当然米軍もその一部に想定されるとしても、侵略行為を抑止するのは、一国の軍事力ではなく多国間の枠組みでなければならない。というのは、米軍は北朝鮮の抑止力にはなりうるが、米軍の抑止力は存在しなくなってしまった。これはキワメテ深刻な脅威。米軍が「日本本土に多少の損害がでるかもしれないが、アメリカの国益を総合的に判断して北朝鮮に先制攻撃かけることにしました」といったとき、もう米軍をとめる手段はないのである。
というような合理的な根拠を述べたとしても、「いやあの国は何をしでかすかわからないので、あらゆる可能性に備えねばならない」という人もいる。しかし「相手は何をしでかすかわからない」という前提に立ってしまうと、それに対する対応策もあらゆる想定をしなければならなくなる。可能性ではなく蓋然性で考えなければ、外交政策はありえない。北やイラクといえども、現実世界を生きてるわけですから、「生き残り」のためのリアルな状況判断は、必ずしていると思います。
フセインはフランスやロシアに石油利権を与えることで彼らの権益を保護し、核査察を受け入れることによって、安保理を敵に回すことを回避して、世界の世論によってアメリカを抑制しようとした。これはすごくまっとうな生き残り戦略であり、国際ルールにのっとるかぎり、成功するはずだった。ところがブッシュの方が一方的に「ゲームイズオーバー」(笑)で、ゲームの途中でルールを変えてしまったわけですよね。
つまりこれは「国際法にしたがっていては、身を守れない(こともある)」という教訓を将軍さまに与えたことになるのではないでしょうか。国際法に基づいて行動すれば利益になると思えば、そう選択する。利益にならないと思えば、そのように選択する。これはアメリカも北朝鮮も同じなのではないですか。
いかな「ならずもの国家」といえども、遵法精神の問題ではなく、国際法がじぶんの生存に役立つかどうかという判断は行う。国際法や国連をタテにとれば生き残れるのか、あるいは逆に自国の行為が国際法に基づいて制裁を受けるとすれば、それはどの程度のものになり結果はどうなるか、というようなリアルな状況判断は、絶対にする。どうみても勝算のない大東亜戦争に突っ込んだわが国にしたって、最後はちゃんと「どうすれば天皇制は生き残れるか」という計算ずくで行動したではありませんか。
どうだろうか。以上のような論理で「北朝鮮脅威論」とそれを根拠にした「アメリカ追随以外ありえない論」は、じゅうぶんに論破できるだろうか?
……と以上、D君より。思いまするに、今回のイラク攻撃で、ほんと北の将軍様は世の中が法治できない、ってことをつくづく思い知ってしまっただろう。かといって将軍様は戦争ということの愚かさも知っていらっしゃるはず。いったいどういう戦略をお考えのことか。いちばんいいのはそういった愚劣な世界と決別して栄光の孤立主義を貫徹、地上の楽園の建設だけだろうか。でもそれがほんといちばんの得策では?と思ったりもする。
▼ 一昨日の蘋果日報(副刊)にて蔡瀾氏が今年4月から大阪市立美術館で開催される「海を渡った中国の書」と題するエリオットコレクションと宋元の名蹟の展示会を紹介している。それはいいのだが、で、連載でそれで何を述べているかというと、つきましては旅行団を結成します、この書展、京都奈良の古跡を訪ね、有馬温泉も泊まり美味しい神戸牛を食べましょう、日程や旅費などは後日公布、と。企画は悪くないがこれって自分の名前使った旅行団の宣伝なわけで、それなら広告として登刊すべき。香港一高い稿料もらって連載の随筆でしてしまうのって「いけないこと」だろう。が、大家ゆえに誰もそれを指摘できず。ご本人はどうせ何を言われても老境に達して天真爛漫、何でも許される、とおっしゃるのだろうし。