富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月十八日(火)  日本政府の追米の様は「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」という教育勅語の一節を思い出させ、たんにその勅語の「皇運」を「米軍」とでもすればよし。終日忙殺され疲れて帰路タクシーでニュース聞いていたら、ラジオで盛んに流れる香港政府の基本法23条の公安条例制定推進キャンペーンの広告、そのプロパガンダ放送に自分の税金がそんなバカなことに使われていると思うと腹たって仕方なし。米国はもう形振りかまわずイラクを攻める模様。ブッシュの演説聞いていて、ただ単純に思ったこと……なんでこんなバカが世界の覇権を握っているのか。あの虚ろな目つき、神に訴えるような懺悔するような語り口調。ふと聖書の言葉を思い出す(ヱレミア記21章8節)。ブッシュの御言葉をそれに変ええれば
汝(なんぢ)イラクの地に参り異教徒滅ぼし悔い改めさせ此(この)民にブッシュかくいふと語るべし。視(み)よわれ生命(いのち)の道と死の道を汝らの前に置く。この邑(まち)にとゞまる者は剣と飢饉と疫病に死ぬべし、されど汝らを攻め圍(かこ)むところのアメリカ人(びと)に出降(いでくだ)る者は生きむ。其(その)命は己の掠取物(ぶんどりもの)となるべし。ブッシュいひ給ふ。我がこの邑に面(かお)向けしは福(さいわい)をあたふる為にあらず禍(わざわい)を与へんが為なり。この邑はフセインの王の手に付(わた)されむ。彼れ火を以て之を焚(や)くべし。
……と。日本政府の国防キッズと同じで、ブッシュの場合、妄想で自分をこの世を正義に導く師とでも勘違いしている。とんでもないバカだ。が、そんなバカを大統領にしてしまったことが米国の大きな過ち。大統領選挙じだいが茶番だったが、それを認めてしまったのだ。小泉を首班指名した日本よかもっと深刻な惨禍。英国では政府内務卿のCook卿、そう、97年の香港返還の時の外務大臣、卿はブレア政権の追米対イラク交戦に抗して内務卿を辞任、天晴れ。ところで返還といへば最後の香港総督Patten君はオックスフォード大学の学長に当選。世の中があまりに狂ってしまい世の頭のなかは教育勅語と聖書の一節が交錯。交錯といえば数日前に誰だったろう、テレビで見ていて何だかの辞職の挨拶で「さまざまな思い出が頭の中を交叉し」と言おうとして「交錯し」と言ってしまい、それがその人には言い得て妙だったのを思い出した……誰だったろう。あ、思い出したテレビぢゃない、実際に聞いた挨拶だった。それはそうとイラク攻撃も大問題だが香港では謎の肺炎が流行。この下↓で紹介する紐育時報の社説でも実はこのイラク攻撃の社説の次にはこのアジアで流行る謎の肺炎の話題。これも怖いが、こういった疫病の流行というのはたんなる疫病でなく過去のペストや赤痢HIVなど見ればわかるように社会病理的な疫であり、その時代、その社会の何らかの社会的要因があるものだが、この謎の肺炎も実は9-11の惨禍と同じ社会病理的側面があるわけで、今回のイラク攻撃いざ開始!といった国際的な事象があると、それに「紛らわされざるを得ぬ」自己というものに陶酔する者も少なからず。「いやー困っちゃったよ、大きな商談あるのに会社でさ、全面渡航禁止だ、って。イラクのことはあるけど香港ベースにチャイナの仕事してるから香港出張はイケると思ってきたのに、香港があの疫病騒ぎだもの」と。会社が飛行機に乗るな、と言うので出張できない、とコボしているが、実は本当にビジネスの必要な奴ってのはこの程度の火遊びなら、それに関係なく海外でも商談しているし、少なくてもテロの危険性があるフライトよりもっとリスクの高い中国国内線を何万マイルも飛んでいるわけ。「困っちゃったよ」なんて言ってるのに限って、実は会社側もこれを機に無駄な旅費削減の意図があったりとか、実はテロにでも遭遇して遭難死することが会社のリストラに貢献することだったりする。疲れて風呂に入りフォークルのその68年の解散記念コンサートでイムジン河や悲しくてやりきれない、聴く。北山修先生の「またいつの日かイムジン河を歌える日が来るように」という一言、耳に残る。
▼紐育時報の社説読む。War in the Ruins of Diplomacy(外交の廃墟のなかでの戦争)という社説は明確に「この戦争が米国が孤高に戦うもの」(one fought almost alone)であり「米国はその最も正確な行動を世界が見せるべき時に世界は最悪のものを見せつけられている」と厳しく指摘しこの戦争の結果に将来にむけての方向性も必然性もない、と述べる。クリスチャンサイエンスモニター紙はWilliam Ury記者が「戦争に対する最後の望みはまだある」という論評で紹介しているのは孫子の兵法。The ancient Chinese military strategist Sun Tzu counseled 500 years ago: "The acme of victory is not to win a hundred battles but to win without battle." That is the prize we need to seek.と。有名な一節だが、勝利の極致は百の戦に勝つことに非ず戦わずして勝つことなり。ボルチモアサン紙も今日の社説は「この戦争は間違っている」という書き出し。同紙のPaul West記者による論評は極細にこの戦争の矛盾を突いており必読。……と意図的に米国でも最もリベラルな媒体ばかり選んでいると指摘されればそれまでだが(わかった?)、そういう良識ある声が米国に根強くあるのだ。このリベラルさが少なからず堅持されていることが米国の良さ。どこかの国のごとく漠然とその場の雰囲気でConstitutionを決定してしまうレベルの低さとは大違い。外務省の親米派のセンセ方とか××教会系のワシントンタイムズとかぢゃなくて、こういった良識をちゃんとお読みになっているのだろうか。少なくても小泉三世は英語も読めないし、理解できるわけもないが、せめて側近なり外務官僚が情報として呈するべき、だがそんなことしたら従米路線の徹底も無理か。でおそらく今、いちばん読まなければならないのはアラブ世界の声でありAl Ahram紙は格好の媒体。
▼で、世界でいちばん読むに値しないのが言論の自由憲法にいただく日本の新聞。「恒久の平和を念願し人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」し「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意し」「平和を維持し専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において名誉ある地位を占めたいと思」ひ「国家の名誉にかけ全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」……とまさかこんなこと対イラク攻撃に反対して社説に書く新聞があるはずもなく、それを憲法に謳いながら、たんに米国の腰巾着なら崇高なる憲法など勿体ないので改正してしまったほうがいいのかもしれない。憲法改正を契機にボロボロになるまでご破算して、再構築するほうがいいかも……閑話休題、で日本の新聞がいかにひどいか、というと、本来、対米論調が最も厳しかろう朝日新聞ですら今日の社説では、米政府で唯一中道リベラルと思われており良識派であるはずのパウエル国務長官のこれまでの言動取り上げ米政府の現在の路線を「国連のお墨付きも「ちゃんとした計画」もないまま、それでもこの戦争を世界は止められそうにない。パウエル氏はこれでいいと思っているのだろうか」と(笑)。パウエルのことなんかどうでもいいから朝日新聞は社としてどう考えているのか?、日本がどうすればいいのか?、何ら提言すらできず。これが日本を代表するクオリティペーパーとは情けなし。
▼東京都国立市の市立国立第四小学校で卒業アルバムに載せる児童の作文や教諭からの贈る言葉を校長が「学校批判につながる」「反戦的だ」などとして書き直させたり掲載させなかった、と(朝日)。思わず「キ××マの小さい校長だ」と思ったが校長は女性(笑)。6年生の全2学級の児童数人と担任教諭が卒業生のためのアルバム委員会を組織し「保護者が制作費を全額負担し」児童の作文や教諭からのお祝いの言葉の文章などを集めて掲載する方針だったが原稿が集まった今年2月初め、眞見幸子(まなみさちこ)校長が自ら内容をチェックし児童数人の作文を「学校や教師批判につながる」「表現が不適切」などとして担任を通じて書き直しを指示。また6年生のかつての担任教諭から寄せられた文章についても削除や書き直しを求めたのだがその教諭の文章は、イラク攻撃に反対する米国民の声を紹介し、戦争反対と言うだけで処罰された戦前の日本を例に「本当のことを知り、明らかにする目をもって新世紀を生きてほしい」というもの。校長は「反戦イメージが強すぎる」などと難色を示し、結局この教諭は「それなら載せなくてよい」と掲載を断った、と。こうした経緯に保護者有志が「ここまで内容に踏み込むのは言論の自由を侵している」と校長に抗議、校長は「経緯は市教委に報告している」とだけ答え朝日の取材にコメントを避け、同市教委学校指導課の堀竹充課長は「校長から『強制はしていないが、文集には適切でないと判断した』と聞いた。教育的指導の範囲内であり、問題はない」……だってさ。国立といへば実は余も香港に遷居する直前まで国立は谷保の住人。ここは「国」分寺と「立」川の間にできた田園都市、当然「敢て」国立に居を構える方多いわけで、故・山口瞳先生とか山口百恵とか。学校教育でも「日の丸君が代」反対が常識、駅前の東西書店は「あの」文芸春秋より岩波『世界』が売れ、『諸君』など置かれておらず、新聞は朝日がトップ、2位が赤旗、読売は東京新聞より購読者が少なく産経新聞をとっているとご近所付合いに支障がある、というくらい中道左派を気取る街。20年以上前から市民のうち大部分の中年女性は青汁を飲み続けているのだ! そこは美濃部都政のモデルのような街だった。……で、あるから、都知事選での石原慎太郎の得票率は都下ワースト1位だったのだが(以上、根拠なし)当然のようにこの赤化された田園都市はキョウビ石原都政下にあっては東京の恥部の如し、産経新聞だの正論だので目の敵にされ、殊に教育についてはかなり個性的で味のある教員が「残っている」風土であり、「正常化」が図られるのは必然。この校長とて、当然のことだがこの赤色都市正常化のために送られてきた十字軍の戦士、正常化に挑まぬわけがなく、実はこの戦いが今に始まったことでなく国立は国立二小の卒業式の正常化など過去から赤色市民と正常化校長とのバトルがあり、この眞見幸子校長もそういったことではこの「正常化」憂うキリスト者らの間では抗議すべき相手としてすでに有名でもあったりする。いずれにせよ、この校長相手に赤色市民、キリスト者らがいくら戦っても埒があくわけなし。まずこの校長はそういった正常化をすることが目的で遣られてきたサイボーグであって、命じられた政策の実行あるのみ。いくら戦っても暖簾に腕押し。かりに校長が譲歩したらこの校長の末路は惨憺たるもの。仮面ライダーに負けた敵がショッカーのアジトで、タイガーマスクに負けた敵が虎の穴のどんな惨い仕打ちを受けたことか。もはや国立「だけ」が石原東京都にあって英国の空想社会主義ユートピアを維持してはおれず。国立の市役所やこれまでそういった教育を培ってきた教育委員会など風前の灯、東京の翼賛化がまじまじと進んでいるわけで、結局、問題は、国立は拒否したかも知れないが結果的に石原慎太郎都知事に選んでいる東京都の一行政体(地方「自治」体などという言葉を使うのも日本の現状では長野や宮城などを除いてオコガマシかろう)、負けてしまうのだ。かりにかつての自由を取り戻したいのなら石原慎太郎に選挙で勝てるだけの候補者、しかも青島幸男で大失敗してしまっているが政策をもつ政治家を選ばなければならない。田中康夫ちゃんが都知事であれば少なくてもこの校長は知事会見で言論の自由の名の下に罵倒され、退場されてしまうのだろうし。しかし残念ながら東京都民は石原慎太郎に勝てる人材を探し得ておらず。つまりは石原の思うがままで(二期目は間違いなく国政にうって出られぬ欲求不満が余計に都政で強引さを発揮する)そこで国立だけがかつての美しき村を維持できない、ということ。